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礼拝メッセージ


2026年9月27日 礼拝「一杯のコーヒーから」ガラテヤ2:20
本日のメッセージは河野 博好(かわの ひろたか)牧師が礼拝宣教をしてくださいました。 主にあるご奉仕に感謝し、今後の働きに祝福を祈りましょう。 尚、メッセージ原稿はございませんので配信された動画をご視聴ください。 https://youtube.com/live/778wXsikD14
9月27日


2026年9月20日 礼拝「年老いてもなお、実を実らせる」詩篇92:12~15 敬老祝福
今日の礼拝を、私たちは、敬老祝福礼拝としてお献げしています。そして75歳以上の方 に、お祝いとして、ささやかやプレゼントをご用意いたしました。 今年の敬老祝福礼拝では、年老いてもなお、実を実らせるという神の約束を確認して、 老いることもまたすばらしいことを覚えたいのです。私たちキリスト信仰者は、創造者で あるまことの神にあって、すばらしい老いが約束されています。まだ若いと思っている者 もみな、必ず老いを迎えます。その時、老いの祝福を味わえる者となりましょう。 まず、高齢者の方々を尊敬しましょう。様々な経験を重ねながら、長い年月を生きてこ られたことそれ自体、十分に敬うに足ることです。私たちは今、ご高齢の方々が作り上げ てきた社会の恩恵を受けて、今を生きています。確かに、社会の現実を見る時、喜ばしい 恩恵だけではなく、負の遺産をも引き継いでいることも事実です。しかし負の遺産はある にしても、祖父母や両親、人生の先輩たちが存在して、私たちは存在し、今の社会が成り 立っています。まずこの事実を感謝するのです。そして高齢者を敬う社会を作り上げるこ..
9月20日


2026年9月13日 礼拝「パウロが喜んでいること」ピリピ 1:12~18
パウロは、喜んでいます、これからも喜ぶでしょうと、ピリピの聖徒たちに書き送りま した。パウロにとって、ピリピの聖徒たちは、真に心を許せる間柄であったと言えます。 ピリピの聖徒たちは、ピリピの町に福音が伝えられた最初の日から今日まで、福音を伝え ることにともにあずかってきた仲間です。パウロはそのことを感謝していると、この手紙 に書き記しています。そのようなピリピの聖徒たちに、喜んでいること、これからも喜ぶ ことを共有しようとしているのです。では、パウロは何を喜んでいるのでしょう。今日の 箇所を確認して、パウロが喜びとしていることを、私たちも自分の喜びとしたいのです。 ピリピの聖徒たちとともに、霊的恵みを共有しましょう。 12節。私の身に起こったこととは、14節を見ると、パウロが投獄されたことだと分か ります。パウロは、キリストの福音を宣べ伝え続けたことのゆえに、投獄されました。そ うして福音の大宣教者であったパウロが捕縛され、牢獄に入れられたのだから、福音は停 滞する、あるいは後退すると考えがちですが、パウロの投獄が、かえって福音の前進に繋...
9月13日


2026年9月6日 礼拝「ユダにサタンが入る」ルカ 22:1~13
主イエスの十字架への道を、ルカ独自の視点で記述されている箇所を見ています。いよ いよ過越の祭りとその後の種なしパンの祭りの場面に入ります。過越の祭りは一日の祭り ですが、種なしパンの祭りは、その後の七日間の祭りです。過越の祭りとは、主なる神が エジプトで奴隷状態にあったイスラエルの民を脱出させる際に、御使いを遣わして、エジ プトのすべての家庭から長子を殺す時に、家の門柱と鴨居に羊の血を塗りつけさせ、血が 塗られた家を過ぎ越させたことを記念するためにの祭りです。エジプト全土に長子を失う 悲しみが広がることになった出来事を通して、エジプトの王ファラオはイスラエルの民を 追い出したのです。民は、パン種を入れる余裕もなく追い出されたので、種を入れないで 焼いたパンを食べました。その記念として、種なしパンの祭りが定められたのです。 さて主イエスは、弟子たちとの過越の食事の後、ゲツセマネの園で、ユダヤ教指導者た ちに捕らえられます。その手引きをしたのがイスカリオテのユダです。今日私たちは、イ スカリオテのユダが、どのように裏切る者となったのかを見ます。..
9月6日


2026年8月30日 礼拝「信仰による義を得る」ローマ 9:25~33
パウロは9~11章で、同胞ユダヤ人の救いについて述べます。その中で「イスラエルか ら出た者がみな、イスラエルではありません」と宣言しています。ユダヤ人だから、みな が神の民イスラエルとなるとは限らないということです。すべての人は罪人であって、主 イエスを信じることで救われます。ユダヤ人だから救われるとか、ユダヤ人ではないから 救われないという線引きはありません。私たちが罪の赦しを受け、罪からの救いを得るの は、十字架で死なれた神の御子、主イエス・キリストを、自分の救い主と信じ、自分の主 とすることによるのです。 18節には「神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるの です」とありました。神がだれをあわれんでくださるのか、だれはあわれまないのか、そ の主権は創造者であるまことの神にあります。そして今、ユダヤ人は頑ななままにされる 中で、パウロを始め一部のユダヤ人たちはあわれみを受け、主イエスを信じる信仰が与え られたのです。私たちキリスト信仰者も神のあわれみを受けたので、多くの人々が主なる 神を神としない社会の中で、十字
8月30日


2026年8月23日 礼拝「聞く耳のある者になる幸い」ルカ8:4~15
主イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」と、聞く耳を持つ者になることへと招きま した。今日私たちは、主イエスが語られた一つのたとえ話とその解説を通して、聞く耳の ある者になることを求めます。それが真の幸いを得る秘訣だからです。 現代は、聞くことそれ自体が難しい社会でもあります。様々な情報が氾濫し、錯綜して いて、しかもそれらの多くは文字とか映像による情報です。つまり目で見たり、読んで情 報を得て、自分で判断することが多く、聞く姿勢が身につきにくいのです。 聞くには、語る相手の存在を意識する必要があります。語る人が何を伝えようとしてい るかを聞こうとするのです。読むという動作も、本来ならそれを書いた人の思いを受け止 めるべきですが、その相手を意識することなく、そこに記されている文字を、自分の主観 的な判断で取捨選択しています。自分に都合よく読むことになるのです。 この傾向は、聖書を読む際にも起こっています。私たちは聖書を読むことにおいても、 一般書や雑誌、新聞を読む時のような感覚で、そこに書き手である神を意識しないまま、 自分の主観や判断基準
8月23日


2026年8月16日 礼拝「天の故郷に憧れる」ヘブル11:13~16 召天者記念礼拝
今日は、年に一度ですが、召天者記念礼拝の日です。キリスト教会が召天者記念礼拝を 行うのは、先に天に召された方々を偲ぶとともに、主イエスを信じた私たちも、天に凱旋 する日を待ち望みつつ、地上生涯を歩んでいることを確認するためです。主イエスを信じ て永遠のいのちを受け取った私たちも、必ず死ぬけれど、その日は天の御国への凱旋する 日です。そして先に召された神の家族と再会する希望の日でもあります。今日私たちは、 創造者であるまことの神を信じて、地上生涯を終えた信仰者たちのように、私たちも天の 故郷に憧れて地上生涯を歩む者となっていることを確認します。 週報に記した方々は、創造者である神の恵みの中で、主イエス・キリストを信じる告白 をした人たちです。彼らの生と死を思いながら、聖書の語りかけに耳を傾けましょう。 「死ぬるばかりは真」という諺があります。嘘、偽りが蔓延している社会においてさえ も、死ぬことだけは真実であるという意味です。社会が乱れ、誰をも信じることができな い世になったとしても、ただ一つ、嘘、偽りのない厳粛な事実がある。それは誰もが死ぬ..
8月16日


2026年8月9日 礼拝「十字架のイエス様の救い」ルカ23:39~43
本日のメッセージは横谷 亘牧師(七飯福音キリスト教会)が礼拝宣教をしてくださいました。 主にあるご奉仕に感謝し、今後の働きに祝福を祈りましょう。 尚、メッセージ原稿はございませんので配信された動画をご視聴ください。 https://youtube.com/live/g_EmOwRgWT8
8月9日


2026年8月2日 礼拝「主イエスの再臨の予告」ルカ21:25~36
21章5~6節で、何人かが、エルサレム神殿が美しい石や奉納物で飾られている、と話 していたことをきっかけに、主イエスは弟子たちに、神殿が完全に破壊されること、どの 石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない、そのような日が来ると語られました。 弟子たちは、主イエスのことばから、エルサレム神殿が破壊されるとは、世の終わりで はないかと考えて、それが起こるときのしるしはどのようなものかと質問したのです。 その質問に、主イエスは、2重の意味を込めて答えられました。ご自分が再び来られる 終末と、もうまもなく起こることになるエルサレムの陥落です。前回私たちは、エルサレ ムの陥落の予告を見ました。今日は、主イエスが再び来られる終末の予告を確認します。 25~26節。天変地異が起こり、人々は不安に陥って苦悩すると、主イエスは言われま した。太陽と月と星にしるしが現れるとあります。これが具体的にどのようであるかは言 われていません。私たちは、太陽と月と星は規則正しく運行し続けてきたし、運行し続け ていくと思っています。不変と思っていることが不変ではなくな
8月2日


2026年7月26日 礼拝「罪人を招く主イエス」ルカ5:27~32
今日私たちは、主イエスは「罪人」、すなわち、自分には罪があると認め、罪の赦しと 罪からの救いを求めている「罪人」を、招いておられることを確認します。 今日の箇所に、12弟子の一人、レビ(マタイ)が主イエスの弟子となった経緯が記され ています。レビは自分の仕事を捨てて、主イエスの招きに応じて、従いました。ルカの福 音書ではレビですが、マタイの福音書では、マタイとなっています。このレビが、マタイ の福音書を書き記したマタイです。 27節。主イエスは町を出て、道を歩いているときに、収税所に座っているレビという取 税人に目を留められたとあります。主イエスはレビに何を見られたのか、詳細は記されて いません。主イエスはレビに声をかけ、自分について来るようにと招いたのです。すると レビはすぐに、主イエスの呼びかけに応じました。 取税人という職業は、ローマの手先となって、人頭税や通行税などを徴収して、ローマ 帝国に納める人たちです。新約聖書の時代、今から二千年ほど前、イスラエルを含む世界 はローマ帝国が統治していました。ローマ政府は、税金を集める権利、徴税
7月26日


2026年7月19日 礼拝「あわれみの器として」ローマ9:14~24
パウロは6節で「イスラエルから出た者がみな、イスラエルではありません」と記しま した。私たちも、この霊的認識を持っていることが大事です。「神にはえこひいきがあり ません」ともあります。主イエスを信じる信仰によって救われるのであって、そこにはユ ダヤ人だからとか、ユダヤ人ではないからとの線引きはありません。この霊的真実も踏ま ましょう。私たちが罪の赦しを受け、罪からの救いを得るのは、十字架で死なれた神の御 子、主イエス・キリストを、自分の救い主と信じ、自分の主とすることによるのです。 前回の箇所では、ヤコブの選びが記されていました。兄エサウも、弟ヤコブも、まだ母 リベカの胎内にいるときに、兄が弟に仕えるとの、主のことばが語られていました。13節 には、預言書マラキを通して語られた「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」という 神のことばが引用されています。 この神のことばを受けて14節です。神は不正をしていると思う人たちがいることを前提 にして、決してそんなことはない、神に不正はないとパウロは断言します。なぜそう言い 切れるのか、その理由が15
7月19日


2026年7月12日 礼拝「ピリピ教会のための祈り」ピリピ1:3~11
前回私たちは、6節までの箇所から、パウロとピリピの教会の親密な関係について確認 しました。パウロは、ピリピの聖徒たちを思うたびに、神に感謝し、彼らのために祈るた びに、いつも喜びをもって祈っていると述べています。そしてピリピの聖徒たちの間で良 い働きを始められた方に目を向けさせます。その方は主イエスであり、ご自分が再び来ら れる日までに、その良い働きを完成させてくださると確認させたのです。6節。 宣教の主は、福音宣教と罪からの救いという良い働きを始め、それを完成させてくださ います。ピリピの町での具体的な働きでは、パウロを導き、ピリピの町で福音を宣べ伝え させました。リディアを救い、その家族をも救いに導き、リディアの家を開放する思いを 与え、福音宣教の拠点とし、主イエスを信じる信仰者の群れ、教会を建てられました。そ うしてピリピの町で福音が伝えられ、一人でも多くの人たちを救いに導き、罪の赦しと罪 からの救いを生きる者とならせるように、恵みをもって祝福されたのです。 私たちは、主のみわざは、主ご自身が完成させてくださると信じるので、自分を主に委
7月12日


2026年7月5日 礼拝「エルサレム陥落の予告」ルカ21:5~9 、20~24
主イエスがユダヤ教指導者たちとの問答を終えた後、弟子たちがエルサレム神殿が美し い石や奉納物で飾られていると話していたことをきっかけに、主イエスが弟子たちに語ら れたのが21章です。主イエスは、神殿が完全に破壊されること、どの石も崩されずに、ほ かの石の上に残ることのない、そのような日がやって来ると語られたのです。 7節。弟子たちは、主イエスのことばから、エルサレム神殿が破壊されるとは、世の終 わりではないかと考えて質問しました。それが起こるしるしはどのようなものかと。 その質問に、主イエスは、2重の意味を込めて語られました。ご自分が再び来られる終 末ともうじき起こることになるエルサレムの陥落です。今日私たちは、エルサレムの陥落 の予告を見ます。次回は、主イエスが再び来られる終末の予告を確認します。 ユダヤ人たちは、神の宮、神殿が建てられているエルサレムは決して滅ぼされないと考 えていました。ご自分の宮が建てられているエルサレムだから、主なる神は、必ず守って くださるはずだと思っていたのです。しかしこの考えは間違っていることは、冷静に考え.
7月5日


2026年6月28日 礼拝「表面的な解決で終わらせない」ルカ17:11~19
私たちは日々の生活の中で様々な問題にぶつかります。そしてそれらの問題に解決が与 えられることは本当に嬉しいことです。ただそれぞれの問題には、表面に現れた具体的な 問題とは別に、その根となる、それこそが解決されるべき根源的な問題が潜んでいること があります。表面に現れた問題が解決されることは本当に喜ばしいことですが、もし根源 的な問題が潜んでいるなら、その解決こそが必須です。 今日の箇所には、ツァラアトに冒された人が出てきます。ツァラアトとは、皮膚に現れ る場合には、ハンセン氏病(らい病)に似た病気ですが、家の壁や衣服にも現れることがあ るので、ハンセン氏病とは違う病気と言えます。ツァラアトが癒されたとき、つまりツァ ラートガ消えた時は、祭司が判断することで、社会復帰ができます。 今日私たちは、10人のツァラアトに冒された人が主イエスに助けを求め、その病が癒さ れた出来事を通して、表面的な解決で終わらせずに、最も必要となる主なる神との関係が 正されることの重要さを確認したいのです。この出来事は、主イエスとその一行がエルサ レムに上る途中、ガリラ
6月28日


2026年6月21日 礼拝「パウロの大きな悲しみ」ローマ9:1~13
8章の終わりでパウロは、どのような困難に見舞われても、死でさえも、私たちの主キ リスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない、これらすべてにお いても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者ですと高らかに 宣言しました。しかし9章では、大きな悲しみがあると吐露するのです。それは同胞イス ラエル人の多くが、約束のメシヤとして来られた方、人となられた神である救い主、主イ エスを拒んでいることで、主なる神に敵対しているからです。そしてその姿は、主イエス を信じる前のパウロ自身です。パウロは同胞の救いを心から願うのです。 9~11章でパウロはイスラエルについて言及します。民族としてのイスラエルと、真に 神の民として歩もうとするイスラエルです。私たちはこの9~11章から、イスラエルにつ いて整理し、教えられたいと考えています。 主イエスを信じる前のパウロは、主イエスとキリストの教会に対して、強硬に反対し、 神への熱心のゆえに、キリスト信仰者への迫害を続けていました。神は、そのようなパウ ロあわれんで、復活された主イ
6月21日


2026年6月14日 礼拝「良き働きを始められた方」ピリピ1:1~6
本日から、第2主日礼拝では、ピリピ人への手紙を読み進める計画です。ピリピ人への 手紙は、投獄されているパウロが獄中から送った書簡です。それは13節で「私がキリスト のゆえに投獄されている」とパウロ自身が言及していることで分かります。この手紙の特 徴は喜びです。キリストのゆえに投獄されているパウロが喜んでいるのはどうしてなのか をも、この手紙を読み進める中で確認したいと考えています。 ピリピはギリシアの北部マケドニア地方にある植民都市で、パウロの第二回伝道旅行の 時に教会が誕生しました。紫布の商人リディアが主イエスを信じ、彼女が自分の家を福音 宣教の拠点として使ってほしいと申し出たことで、ピリピでの福音宣教が続けられ、そう してこの家を拠点として、キリストを信じる群れが作られたのです。 1節。パウロは自分のことをキリスト・イエスのしもべと紹介します。そのパウロとテ モテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、監督たちと執事た ちに書き送られた手紙であると分かります。パウロは、キリストを信じる信仰によって救...
6月14日


2026年6月7日 礼拝「キリストはダビデの主」ルカ20:41~44
ルカの福音書から、主イエスの十字架への道を読み進めています。受難週に入り、その 火曜日には、宗教指導者たちが主イエスに問いかけ、主イエスが答えたことが記されてい ます。40節に、彼らはそれ以上、何もあえて質問しようとはしなかったとあり、その後、 主イエスが逆に問いかけたのが今日の箇所です。今日私たちは、主イエスの問いかけを通 して、私たちも知らなければならない重要な真理を確認します。それは、キリストはダビ デの子であるとともに、ダビデはキリストを自分の主と告白したということです。キリス トはダビデの主です。そして私たちにも、キリストは自分の主であるお方です。 41節。主イエスの問いかけです。どうして人々は、キリストをダビデの子だと言うので すかと。ユダヤ人はだれもが、約束されたメシヤが来られることを待ち望んでいました。 メシヤ、キリストはダビデの子孫であることは、預言者たちを通しての神の約束です。メ シヤ、キリストはユダ族から、ダビデの子孫として来られるのです。そのような意味で、 キリストはダビデの子です。 しかし主イエスは、当時「ダビデの子
6月7日


2026年5月31日 礼拝「神に愛されている私たち」ローマ8:31~39
私たちは神に愛されています。今日私たちは、私たちがどれほど神に愛されているかを 確認します。神は愛です。みなさまは、自分が神に愛されていることを味わい知っている でしょうか。主イエスを信じた私たちは、主イエスの十字架での身代わりの死を自分のた めであると信じ、受け入れました。私たちは主イエスに、いのちを捨てるほどの愛で愛さ れていることを、体験的に知っているはずです。私たちは神に愛されています。 31節。これらのこととは、30節までのすべてを含むでしょう。福音によって、私たちを 救いに導いてくださった神の一方的な恵みのすべてです。そして最後の部分で、26節、御 霊が弱い私たちを助けてくださる、28節、神を愛する私たちのためには、すべてのことが ともに働いて益となる、30節、さらに栄光が与えられる、ということです。主権者である 神が私たちキリスト信仰者の味方です。全能の神が、全地の主が、創造者である神が私た ちの味方です。だからだれも私たちに敵対できません。 私たちキリスト信仰者は、繰り返し確認しましょう。全能の神が、全地の主が、私たち...
5月31日


2026年5月24日 礼拝「約束の聖霊が与えられた」使徒2:22~39
今日は、キリスト教会において、ペンテコステとして記念する日です。主イエスが弟子 たちに約束しておられた助け主の聖霊が、弟子たちに与えられた記念の日です。そうして 聖霊は、主イエスを信じる者の心に賜物して与えられることになったのです。 使徒の働き1章には、主イエスが天に戻られるときの出来事が記されています。その時 主イエスは弟子たちに、聖霊が与えられると約束し、その時をエルサレムで待つようにと 命じられました。さらに、聖霊が与えられる目的は、弟子たちが主イエスの証人となり、 十字架の死と復活による罪の赦しと罪からの救いの福音を大胆に証する力に満たされるた めです。その約束を受けて弟子たちは、一つ所に集まり、120名ほどが心を合わせて、祈 りに専念して、約束の実現を待ち望んだのです。そして10日が経過しました。 2章1節。主イエスが天に戻って行かれてから10日後、主イエスの復活の日から50日、 五旬節の日になりました。この日は7週の祭りの日です。7週の祭りとは、過越の祭りの 安息日から、7回の安息日を数え、その翌日に行なわれる祭りです。つまり、主
5月24日


2026年5月17日 礼拝「御霊のとりなしがある」ローマ8:26~30
前回私たちは、私たちも、すべての被造物も、滅びの束縛の中で、ともにうめき、とも に産みの苦しみをしていることを確認しました。そうして私たちは、私たちのからだが贖 われることを、忍耐して待ち望んでいることも確認したのです。 26節。同じように御霊も、とあります。御霊も忍耐しています。忍耐して、弱い私たち を助けてくださるのです。弱い私たちとは、自分の弱さを自覚している私たちという意味 です。自分の弱さを自覚する者は、助け主の聖霊に助けを求めます。私たちキリスト信仰 者の心には、賜物として助け主の聖霊が宿っておられるので、いつでも助けを求めること ができます。罪の性質を引きずっている肉体で歩んでいる私たちですから、聖霊の助けを 受けるのでなければ、弱い私たちが、罪と死の支配から解放されることはできません。 そのような私たちを、御霊は助けてくださるのです。私たちは、何をどう祈ったらよい か分からないような、困難を極める状況に陥ることもあります。肉体的な、精神的なトラ ブルに巻き込まれて苦悩に落ち込むこともあります。主イエスに従うことのゆえに苦難を.
5月17日
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