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礼拝メッセージ


2026年8月9日 礼拝「十字架のイエス様の救い」ルカ23:39~43
本日のメッセージは横谷 亘牧師(七飯福音キリスト教会)が礼拝宣教をしてくださいました。 主にあるご奉仕に感謝し、今後の働きに祝福を祈りましょう。 尚、メッセージ原稿はございませんので配信された動画をご視聴ください。 https://youtube.com/live/g_EmOwRgWT8
6 日前


2026年8月2日 礼拝「主イエスの再臨の予告」ルカ21:25~36
21章5~6節で、何人かが、エルサレム神殿が美しい石や奉納物で飾られている、と話 していたことをきっかけに、主イエスは弟子たちに、神殿が完全に破壊されること、どの 石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない、そのような日が来ると語られました。 弟子たちは、主イエスのことばから、エルサレム神殿が破壊されるとは、世の終わりで はないかと考えて、それが起こるときのしるしはどのようなものかと質問したのです。 その質問に、主イエスは、2重の意味を込めて答えられました。ご自分が再び来られる 終末と、もうまもなく起こることになるエルサレムの陥落です。前回私たちは、エルサレ ムの陥落の予告を見ました。今日は、主イエスが再び来られる終末の予告を確認します。 25~26節。天変地異が起こり、人々は不安に陥って苦悩すると、主イエスは言われま した。太陽と月と星にしるしが現れるとあります。これが具体的にどのようであるかは言 われていません。私たちは、太陽と月と星は規則正しく運行し続けてきたし、運行し続け ていくと思っています。不変と思っていることが不変ではなくな
8月2日


2026年7月26日 礼拝「罪人を招く主イエス」ルカ5:27~32
今日私たちは、主イエスは「罪人」、すなわち、自分には罪があると認め、罪の赦しと 罪からの救いを求めている「罪人」を、招いておられることを確認します。 今日の箇所に、12弟子の一人、レビ(マタイ)が主イエスの弟子となった経緯が記され ています。レビは自分の仕事を捨てて、主イエスの招きに応じて、従いました。ルカの福 音書ではレビですが、マタイの福音書では、マタイとなっています。このレビが、マタイ の福音書を書き記したマタイです。 27節。主イエスは町を出て、道を歩いているときに、収税所に座っているレビという取 税人に目を留められたとあります。主イエスはレビに何を見られたのか、詳細は記されて いません。主イエスはレビに声をかけ、自分について来るようにと招いたのです。すると レビはすぐに、主イエスの呼びかけに応じました。 取税人という職業は、ローマの手先となって、人頭税や通行税などを徴収して、ローマ 帝国に納める人たちです。新約聖書の時代、今から二千年ほど前、イスラエルを含む世界 はローマ帝国が統治していました。ローマ政府は、税金を集める権利、徴税
7月26日


2026年7月19日 礼拝「あわれみの器として」ローマ9:14~24
パウロは6節で「イスラエルから出た者がみな、イスラエルではありません」と記しま した。私たちも、この霊的認識を持っていることが大事です。「神にはえこひいきがあり ません」ともあります。主イエスを信じる信仰によって救われるのであって、そこにはユ ダヤ人だからとか、ユダヤ人ではないからとの線引きはありません。この霊的真実も踏ま ましょう。私たちが罪の赦しを受け、罪からの救いを得るのは、十字架で死なれた神の御 子、主イエス・キリストを、自分の救い主と信じ、自分の主とすることによるのです。 前回の箇所では、ヤコブの選びが記されていました。兄エサウも、弟ヤコブも、まだ母 リベカの胎内にいるときに、兄が弟に仕えるとの、主のことばが語られていました。13節 には、預言書マラキを通して語られた「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」という 神のことばが引用されています。 この神のことばを受けて14節です。神は不正をしていると思う人たちがいることを前提 にして、決してそんなことはない、神に不正はないとパウロは断言します。なぜそう言い 切れるのか、その理由が15
7月19日


2026年7月12日 礼拝「ピリピ教会のための祈り」ピリピ1:3~11
前回私たちは、6節までの箇所から、パウロとピリピの教会の親密な関係について確認 しました。パウロは、ピリピの聖徒たちを思うたびに、神に感謝し、彼らのために祈るた びに、いつも喜びをもって祈っていると述べています。そしてピリピの聖徒たちの間で良 い働きを始められた方に目を向けさせます。その方は主イエスであり、ご自分が再び来ら れる日までに、その良い働きを完成させてくださると確認させたのです。6節。 宣教の主は、福音宣教と罪からの救いという良い働きを始め、それを完成させてくださ います。ピリピの町での具体的な働きでは、パウロを導き、ピリピの町で福音を宣べ伝え させました。リディアを救い、その家族をも救いに導き、リディアの家を開放する思いを 与え、福音宣教の拠点とし、主イエスを信じる信仰者の群れ、教会を建てられました。そ うしてピリピの町で福音が伝えられ、一人でも多くの人たちを救いに導き、罪の赦しと罪 からの救いを生きる者とならせるように、恵みをもって祝福されたのです。 私たちは、主のみわざは、主ご自身が完成させてくださると信じるので、自分を主に委
7月12日


2026年7月5日 礼拝「エルサレム陥落の予告」ルカ21:5~9 、20~24
主イエスがユダヤ教指導者たちとの問答を終えた後、弟子たちがエルサレム神殿が美し い石や奉納物で飾られていると話していたことをきっかけに、主イエスが弟子たちに語ら れたのが21章です。主イエスは、神殿が完全に破壊されること、どの石も崩されずに、ほ かの石の上に残ることのない、そのような日がやって来ると語られたのです。 7節。弟子たちは、主イエスのことばから、エルサレム神殿が破壊されるとは、世の終 わりではないかと考えて質問しました。それが起こるしるしはどのようなものかと。 その質問に、主イエスは、2重の意味を込めて語られました。ご自分が再び来られる終 末ともうじき起こることになるエルサレムの陥落です。今日私たちは、エルサレムの陥落 の予告を見ます。次回は、主イエスが再び来られる終末の予告を確認します。 ユダヤ人たちは、神の宮、神殿が建てられているエルサレムは決して滅ぼされないと考 えていました。ご自分の宮が建てられているエルサレムだから、主なる神は、必ず守って くださるはずだと思っていたのです。しかしこの考えは間違っていることは、冷静に考え.
7月5日


2026年6月28日 礼拝「表面的な解決で終わらせない」ルカ17:11~19
私たちは日々の生活の中で様々な問題にぶつかります。そしてそれらの問題に解決が与 えられることは本当に嬉しいことです。ただそれぞれの問題には、表面に現れた具体的な 問題とは別に、その根となる、それこそが解決されるべき根源的な問題が潜んでいること があります。表面に現れた問題が解決されることは本当に喜ばしいことですが、もし根源 的な問題が潜んでいるなら、その解決こそが必須です。 今日の箇所には、ツァラアトに冒された人が出てきます。ツァラアトとは、皮膚に現れ る場合には、ハンセン氏病(らい病)に似た病気ですが、家の壁や衣服にも現れることがあ るので、ハンセン氏病とは違う病気と言えます。ツァラアトが癒されたとき、つまりツァ ラートガ消えた時は、祭司が判断することで、社会復帰ができます。 今日私たちは、10人のツァラアトに冒された人が主イエスに助けを求め、その病が癒さ れた出来事を通して、表面的な解決で終わらせずに、最も必要となる主なる神との関係が 正されることの重要さを確認したいのです。この出来事は、主イエスとその一行がエルサ レムに上る途中、ガリラ
6月28日


2026年6月21日 礼拝「パウロの大きな悲しみ」ローマ9:1~13
8章の終わりでパウロは、どのような困難に見舞われても、死でさえも、私たちの主キ リスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない、これらすべてにお いても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者ですと高らかに 宣言しました。しかし9章では、大きな悲しみがあると吐露するのです。それは同胞イス ラエル人の多くが、約束のメシヤとして来られた方、人となられた神である救い主、主イ エスを拒んでいることで、主なる神に敵対しているからです。そしてその姿は、主イエス を信じる前のパウロ自身です。パウロは同胞の救いを心から願うのです。 9~11章でパウロはイスラエルについて言及します。民族としてのイスラエルと、真に 神の民として歩もうとするイスラエルです。私たちはこの9~11章から、イスラエルにつ いて整理し、教えられたいと考えています。 主イエスを信じる前のパウロは、主イエスとキリストの教会に対して、強硬に反対し、 神への熱心のゆえに、キリスト信仰者への迫害を続けていました。神は、そのようなパウ ロあわれんで、復活された主イ
6月21日


2026年6月14日 礼拝「良き働きを始められた方」ピリピ1:1~6
本日から、第2主日礼拝では、ピリピ人への手紙を読み進める計画です。ピリピ人への 手紙は、投獄されているパウロが獄中から送った書簡です。それは13節で「私がキリスト のゆえに投獄されている」とパウロ自身が言及していることで分かります。この手紙の特 徴は喜びです。キリストのゆえに投獄されているパウロが喜んでいるのはどうしてなのか をも、この手紙を読み進める中で確認したいと考えています。 ピリピはギリシアの北部マケドニア地方にある植民都市で、パウロの第二回伝道旅行の 時に教会が誕生しました。紫布の商人リディアが主イエスを信じ、彼女が自分の家を福音 宣教の拠点として使ってほしいと申し出たことで、ピリピでの福音宣教が続けられ、そう してこの家を拠点として、キリストを信じる群れが作られたのです。 1節。パウロは自分のことをキリスト・イエスのしもべと紹介します。そのパウロとテ モテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、監督たちと執事た ちに書き送られた手紙であると分かります。パウロは、キリストを信じる信仰によって救...
6月14日


2026年6月7日 礼拝「キリストはダビデの主」ルカ20:41~44
ルカの福音書から、主イエスの十字架への道を読み進めています。受難週に入り、その 火曜日には、宗教指導者たちが主イエスに問いかけ、主イエスが答えたことが記されてい ます。40節に、彼らはそれ以上、何もあえて質問しようとはしなかったとあり、その後、 主イエスが逆に問いかけたのが今日の箇所です。今日私たちは、主イエスの問いかけを通 して、私たちも知らなければならない重要な真理を確認します。それは、キリストはダビ デの子であるとともに、ダビデはキリストを自分の主と告白したということです。キリス トはダビデの主です。そして私たちにも、キリストは自分の主であるお方です。 41節。主イエスの問いかけです。どうして人々は、キリストをダビデの子だと言うので すかと。ユダヤ人はだれもが、約束されたメシヤが来られることを待ち望んでいました。 メシヤ、キリストはダビデの子孫であることは、預言者たちを通しての神の約束です。メ シヤ、キリストはユダ族から、ダビデの子孫として来られるのです。そのような意味で、 キリストはダビデの子です。 しかし主イエスは、当時「ダビデの子
6月7日


2026年5月31日 礼拝「神に愛されている私たち」ローマ8:31~39
私たちは神に愛されています。今日私たちは、私たちがどれほど神に愛されているかを 確認します。神は愛です。みなさまは、自分が神に愛されていることを味わい知っている でしょうか。主イエスを信じた私たちは、主イエスの十字架での身代わりの死を自分のた めであると信じ、受け入れました。私たちは主イエスに、いのちを捨てるほどの愛で愛さ れていることを、体験的に知っているはずです。私たちは神に愛されています。 31節。これらのこととは、30節までのすべてを含むでしょう。福音によって、私たちを 救いに導いてくださった神の一方的な恵みのすべてです。そして最後の部分で、26節、御 霊が弱い私たちを助けてくださる、28節、神を愛する私たちのためには、すべてのことが ともに働いて益となる、30節、さらに栄光が与えられる、ということです。主権者である 神が私たちキリスト信仰者の味方です。全能の神が、全地の主が、創造者である神が私た ちの味方です。だからだれも私たちに敵対できません。 私たちキリスト信仰者は、繰り返し確認しましょう。全能の神が、全地の主が、私たち...
5月31日


2026年5月24日 礼拝「約束の聖霊が与えられた」使徒2:22~39
今日は、キリスト教会において、ペンテコステとして記念する日です。主イエスが弟子 たちに約束しておられた助け主の聖霊が、弟子たちに与えられた記念の日です。そうして 聖霊は、主イエスを信じる者の心に賜物して与えられることになったのです。 使徒の働き1章には、主イエスが天に戻られるときの出来事が記されています。その時 主イエスは弟子たちに、聖霊が与えられると約束し、その時をエルサレムで待つようにと 命じられました。さらに、聖霊が与えられる目的は、弟子たちが主イエスの証人となり、 十字架の死と復活による罪の赦しと罪からの救いの福音を大胆に証する力に満たされるた めです。その約束を受けて弟子たちは、一つ所に集まり、120名ほどが心を合わせて、祈 りに専念して、約束の実現を待ち望んだのです。そして10日が経過しました。 2章1節。主イエスが天に戻って行かれてから10日後、主イエスの復活の日から50日、 五旬節の日になりました。この日は7週の祭りの日です。7週の祭りとは、過越の祭りの 安息日から、7回の安息日を数え、その翌日に行なわれる祭りです。つまり、主
5月24日


2026年5月17日 礼拝「御霊のとりなしがある」ローマ8:26~30
前回私たちは、私たちも、すべての被造物も、滅びの束縛の中で、ともにうめき、とも に産みの苦しみをしていることを確認しました。そうして私たちは、私たちのからだが贖 われることを、忍耐して待ち望んでいることも確認したのです。 26節。同じように御霊も、とあります。御霊も忍耐しています。忍耐して、弱い私たち を助けてくださるのです。弱い私たちとは、自分の弱さを自覚している私たちという意味 です。自分の弱さを自覚する者は、助け主の聖霊に助けを求めます。私たちキリスト信仰 者の心には、賜物として助け主の聖霊が宿っておられるので、いつでも助けを求めること ができます。罪の性質を引きずっている肉体で歩んでいる私たちですから、聖霊の助けを 受けるのでなければ、弱い私たちが、罪と死の支配から解放されることはできません。 そのような私たちを、御霊は助けてくださるのです。私たちは、何をどう祈ったらよい か分からないような、困難を極める状況に陥ることもあります。肉体的な、精神的なトラ ブルに巻き込まれて苦悩に落ち込むこともあります。主イエスに従うことのゆえに苦難を.
5月17日


2026年5月10日 礼拝「祈りへの招き」エペソ6:18~20
私たちキリスト信仰者は、主にあって、その大能の力によって強められます。10節の、 主にあって、その大能の力によって強められなさいという招きに応じることで強められる のです。私たちキリスト信仰者は、悪魔との霊的格闘をしているのだから、神の大能の力 によって強められることが必要だということです。 悪魔が私たちに戦いを挑む目的は、私たちの信仰を骨抜きにすること、私たちを、肉に 属する信仰者とする、つまり神と神のことばに聞くのではなく、自分の肉の頑張りで歩む 信仰者へと霊的状態を引き下げることです。そのために、私たちの肉の性質に戦いを挑ん でくるのです。私たちは、肉の頑張りで信仰生活を送るのか、主なる神により頼んで信仰 生活を送るのか、人間的な誇りで信仰生活を送るのか、神をのみ頼って信仰生活を送るの かの霊的格闘をしているのです。私たちは、神のすべての武具、神のパワードスーツを身 に着けること、神の全能の力によって強められることを求めるべきなのです。 パウロは、祈りへの招きをします。彼自身も、よく人々のために祈っているし、自分の ために祈ってほしいと
5月10日


2026年5月3日 礼拝「復活の子として神の子」ルカ20:27~38
私たちは今日、主イエスとサドカイ人たちとの問答を通して、私たちの復活について確 認します。サドカイ人とは、ユダヤ社会における、上流階級、祭司階級、富裕層で、ユダ ヤ最高法院の主導権を担っている一派でした。この世がすべてと考えており、ローマ帝国 と協調路線をとって政治的安定を保っていました。彼らは、モーセ五書、つまり創世記か ら申命記だけを神のことばとし、死後の復活、御使いの存在、霊などを否定したのです。 そのようなサドカイ人が、復活を予告する主イエスに対して、モーセの律法の書から、 兄弟の義務の規定を引用して質問しました。実際にはあり得ないけれど、理論上は考えら れる仮説をもとに、復活を信じることの愚かしさを突きつけたのです。 その内容が28~33節です。7人の兄弟すべての妻となったこの女性は、復活の時には誰 の妻となるのかという質問です。この質問によって、イエスを論破できると考えました。 ユダヤ人にとって、土地は神さまからの割り当て地であり、土地を相続することが重要 な意味を持っていました。なので兄が子どものいないままで死去したときに、兄
5月3日


2026年4月26日 礼拝「悔い改めを待つ父なる神の愛」ルカ15:11~32
創造者である神は、聖書でご自分を示しておられます。私たちが、神はこのような方で あってほしいと考えるのではなく、神が私たちに、ご自分をどのような方として示してい るかを確認して、そのまま受け入れることが大事です。 今日の箇所では、創造者である神は、息子を待ち続ける父と紹介されています。放蕩に 身を持ち崩した息子を待ち続ける父、また父の愛が分かっていなく、義務的に父に仕えて いる息子を愛し続ける父が紹介されています。どちらも息子の悔い改めを待っています。 創造者であるまことの神は、私たちが悔い改めることを待ち続ける愛の神です。 11節。ある人に二人の息子がいたと、家族構成が記されます。12節。ある日弟息子は 父に向かって、財産の譲渡、すなわち遺産の生前贈与を要求しました。これは父親を侮辱 する行為、父の存在を否定しての要求であり、律法に背く行為として、これほど罪深い行 為はないと言えます。その親不幸の要求を、この父親は、そのまま受け入れました。 13節。弟息子は、すべてをお金に換えて、遠い国へと旅だっていきました。父の目の届...
4月26日


2026年4月19日 礼拝「被造物もともにうめく」ローマ8:18~25
新約聖書時代のキリスト教会は迫害に晒されていて、キリスト信仰者も様々な圧迫を受 けていました。今日の箇所で私たちは、被造物のすべては、ともにうめき、ともに産みの 苦しみをしていることを確認します。キリスト信仰者もともに、ということです。 かつてキリスト教会迫害の急先鋒であったパウロは今、ローマにいるキリスト信仰者た ちを励まし、福音の恵みに生きるように促しています。パウロ自身も、キリスト信仰者と されたゆえに、様々な苦難を受けてきました。パウロはコリント人への手紙第2で、自分 は愚かになって、あえて誇ると言うのです。「彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼 らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうで す。彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそ うです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたこ とははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。ユダヤ人から四十に一つ足 りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石
4月19日


2026年4月12日 礼拝「堅く立つために」エペソ6:10~17
前回に続いて、6章10節から確認します。前回は、私たちキリスト信仰者は、悪魔とそ の勢力との一対一の格闘、霊的な戦いをしていることを確認しました。敵を知り、己を知 る者、百戦あやうからず、と格言にありますが、私たちが格闘する相手と自分のことを正 しく知っているなら、悪魔とその策略に惑わされることなく、信仰の歩みは揺るがされる ことはありません。 悪魔の策略は、私たちのキリスト信仰を骨抜きにして、私たちが神に用いられることを 妨げるためのものです。そうして、再び神から引き離すことが目的です。これは信仰の戦 いです。私たちが神と共に歩んで、信仰によって神のみわざに用いられるのか、それとも 悪魔がそれをやめさせるかの、霊的戦い、信仰の戦いです。 だから私たちは、主にあって、その大能の力によって強められなさいと招かれました。 そうすることで、堅く立つことができるのです。今日私たちは、そのために、神のすべて の武具を身につけるようにと命じられていることを確認します。私たちは自分で自分を強 くすることができません。私たちが、自分の弱さを正直に認めることが
4月12日


2026年4月5日 礼拝「復活の力を知る」ピリピ3:5~11
イースター、おめでとうございます。主イエスが死者の中から復活したことを記念する 礼拝を、皆さまと主なる神に献げることができ、感謝です。主イエスの復活を記念する日 は毎年変わります。春分の日を過ぎた、最初の満月の次の日曜日が主イエスの復活を記念 する日です。今年は先週2日(木)に満月となりました。なので先週3日(金)に、主イエスは 十字架で、罪の身代わりの処罰を受け、私たちに罪の赦しを備え、そして今日、死者の中 から復活されたことで、罪人を救う神の救いの計画は完了したのです。 今日私たちは、パウロの証を確認します。その中で、彼が、キリストとその復活の力を 知り、と語っていますが、主イエスを信じた私たちも、キリストとその復活の力を体験的 に知る、信仰の生涯を歩みたいのです。パウロが語った、キリストとその復活の力を知る とは、何を意味するのかを、パウロの証から確認しましょう。 5~6節。パウロは、自分が生粋のユダヤ人であり、熱心なユダヤ教徒であったと告白 します。その熱心さは、キリストの教会を迫害したほどであり、律法による義については...
4月5日


2026年3月29日 礼拝「神に生きるために」ガラテヤ2:19~21 受難週
今週は受難週です。今週金曜日に、主イエスは十字架で処刑され、来週日曜日に死者の 中から復活されました。私たちに罪の赦しを備えるため、私たちを罪から救うために、主 イエスは私たちのすべての罪をその身に負って、十字架で身代わりの処罰を受けてくださ いました。私たちは今週、いのちを捨てるほどの愛で、私たちを愛してくださった、主イ エスの愛に思いを潜めましょう。そうして、私たちも主イエスの愛に応えて、主イエスを 愛し、主イエスを自分の主として、主イエスとともに歩む歩みを追い求めましょう。 19節。パウロは、神に生きるために、自分は死んだと告白します。主イエスの十字架で の死は、私たちが神に生きるため、ということが分かります。今日交読したローマ人への 手紙に、私たちがキリスト・イエスにつくバプテスマを受けたことは、キリストの死にあ ずかり、キリストともに葬られたことだとありました。それは私たちが、キリストともに 死者の中からよみがえることで、新しいいのちに歩むためです。この、新しいいのちに歩 むことが、神に生きると言い換えられます。 パウロは言い切りま
3月29日
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