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礼拝メッセージ


2026年2月1日 礼拝「真に権威を持っている方」ルカ20:1~8
今日私たちは、主イエスとユダヤ教指導者たちとの問答を通して、真に権威を持ってい るのはだれか、を確認します。その権威を与えたのはだれかも知ることになります。 主イエスは平和をもたらす王として、エルサレムに、ろばの子の子ろばに乗って入城さ れました。受難週の初日です。主イエスは十字架で死ぬために、苦しみを受ける週の日曜 日にエルサレムに入られたのです。多くの群衆が大声で神を賛美して、主イエスを迎えた ことが記録されています。そうして主イエスは、エルサレムの神殿に入り、商売人たちを 追い出し始め、彼らに言われました。「『わたしの家は祈りの家でなければならない』と 書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にした」と。 この出来事は、19章45~46節に記されています。ユダヤ教指導者たちは、商売人たち に、ささげ物にするための動物を売る権利、献金を献げるために神殿の通貨に両替する権 利を与えていたのです。商売人たちが商売をしていた場所は、異邦人の庭でした。ユダヤ 人以外の人々が、主なる神を礼拝するための場として、開放されていた部分です。
2 日前


2026年1月25日 礼拝「主イエスは良い羊飼い」ヨハネ10:7~18
今日私たちは、主イエスが良い羊飼いであることを確認します。主イエスは、私たち主 イエスを信じた者を、ご自分の羊として、面倒を見てくださるのです。これほどの幸いは ないことを確認し、羊飼いである主イエスに聞き従う歩みを確かにしましょう。 羊は、羊飼いに対して、従順です。羊は視野は広いのですが、奥行きを見るなど距離感 を取ることが苦手だと言われています。なので窪みなどに足を取られひっくり返ることが あります。もし毛がふわふわの状態で仰向けに転んでしまうなら、自分では起き上がれな いので、助けられなければ死を迎えます。羊が良い草や良い水を見つけ、いのちの安全が 保たれるのは、羊飼いの世話によります。羊が羊飼いから離れたなら、きわめて危険なの です。羊は良い羊飼いに従っている時、最も安全で、安心して、生きられます。 羊は羊飼いの声を聞き分けると言われます。主イエスは良い羊飼いで、私たちがその羊 であるなら、私たちは主イエスの声を聞き分ける者となり、盗人で強盗である、悪い羊飼 いについていくことはないと言われます。 7節。主イエスは、羊たちの門でもあ
1月25日


2026年1月18日 礼拝「私のうちに住んでいる罪とは」ローマ7:15~25
私たちは信仰によって義と認められます。主イエスの十字架での身代わりの死を、自分 の罪のためであると受け入れ、罪を悔い改めて、主イエスを救い主と信じる信仰によって 神に義と認められるのです。神の一方的な恵みによる罪の赦し、罪からの救いです。 今日私たちは、パウロも苦悩した、自分のうちに住んでいる罪について確認します。私 たちに与えられた救いは3段階あります。罪が赦される、神に義と認められるのが出発点 です。これはすべてのキリスト信仰者に与えられており、主イエスの十字架を信じる信仰 によって救われます。救われたので、新しいいのちが与えられ、神のいのちに歩み始めて います。救いの完成は、主イエス・キリストの再臨によって、罪の全くないからだ、栄光 のからだに復活する時、あるいは変えられる時になされます。 義と認められて、地上での信仰生活を積み重ねる中で、私たちは罪の性質と戦いつつ、 罪から解放されていきます。霊的に成長しながら、神の聖さに近づいていくのです。救い の次の段階と言えます。この7章でパウロが取り上げているのが、この部分です。罪の性...
1月18日


光る海まつり2026のお知らせ
2月11日(土)午後1〜4時、八重山福音光る海教会会堂・駐車場にて光る海まつり2026を開催いたします。 キッズコーナー、バザーなどがあり、収益金は大阪・釜ヶ崎生活者支援として寄付します。当日カンパを募ります。ご協力ください。 お一人で、友達と一緒に、ご家族で、ぜひお出かけください!
1月17日


2026年1月11日 礼拝「互いに従い合う」エペソ5:21
クリスマスなどで中断しましたが、再び月に一回の、エペソ人への手紙から、神の語り かけを聞きます。エペソ人への手紙後半部分、4章から読み進めて、今日は11回目になり ました。今朝私たちは、互いに従い合う関係になるようにと、教会の主に召されているこ とを確認します。そのような者へと整えられていくことを求めましょう。 本日の礼拝招詞では、1章3~4節が読まれました。ここに、私たちが主に召された目 的が記されています。私たちキリスト信仰者は、神の御前に聖なる、傷のない者とされる ために救われたということです。私たちは主イエスを信じる信仰によって救われました。 それは、世界の基が据えられる前から、キリストにあって選ばれていたということです。 この霊的な事実を、私たちの理性は納得できません。私たちの知らない、理解を越えた大 いなる神のみわざであり、一方的なあわれみ、恵みによって、私たちは選ばれたというこ とを、そのまま受けとめ、感謝するだけです。 私たちが救われるために、神の御子は神のあり方を捨て、人としてこの地上に生まれ、 私たちの罪の処罰の身代わりに
1月11日


2026年1月4日 礼拝「思い起こし、ほめたたえる」詩篇103:1~22
本日のメッセージは相山 暁牧師が礼拝宣教をしてくださいました。 主にあるご奉仕に感謝し、今後の働きに祝福を祈りましょう。 尚、メッセージ原稿はございませんので配信された動画をご視聴ください。 https://youtube.com/live/0z9HEpT5pJ4
1月4日


2026年1月1日 礼拝「愛のうちに建てられる」 エペソ4:16
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。2026年の初めの 日に、皆さまと、ただひとりまことの神への礼拝を献げることができ、感謝です。 今日私たちは、エペソ人への手紙4章16節から、キリストのからだである神の教会は愛 のうちに建てられることを確認し、互いに愛し合う群れとして建て上げられることを確認 します。教会はキリストのからだです。1章21節に「教会はキリストのからだであり、す べてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです」とあります。教会に は、すべてのものをすべてのもので満たす方、キリストが満ちておられるのです。 私たちのからだは不思議です、赤ちゃんとして生まれ、成長していくのも不思議です。 赤ちゃんの誕生それ自体が神秘です。一つの受精卵が細胞分裂を繰り返して、それぞれ全 く異なる機能を持つ器官となり、それらが組み合わされ、結び合わされて、からだ全体が 造りあげられて誕生してきます。その赤ちゃんが幼児に、子どもに、そして大人へと成長 していくのも、不思議そのものです。いのちのすばらしさ、力強さ、そ
2026年1月1日


2025年12月28日 礼拝「主が良くしてくださったことを忘れない」詩篇103:1~5
おはようございます。2025年最後の主日礼拝となりました。今年も一年、主なる神が 私たちとともに歩んでくださり、私たちを守り、支え、導いてくださった恵みを覚えて心 からの感謝をささげます。皆さまにとってこの一年は、どのような年だったでしょうか。 いろいろな困難や様々な問題に翻弄されたかもしれません。楽しいことや嬉しいこと、苦 しいことや悲しいこともあったと思われます。しかしどのような状況に置かれても、そこ に主なる神はおられ、そのご支配によって私たちを守ってくださいました。 私たちは意識していないと、恵みに慣れ、感謝や喜びは薄れていきます。だからこそ作 者は、主が良くしてくださったことを何一つ忘れるなと、自分に語りかけるのです。私た ちも意識していることが大事です。主が良くしてくださったことを数えて、日々感謝する のです。残された31日までの間に時間を作り、主の良くしてくださったことを数え上げ、 感謝を新たにする時を持ちましょう。その上で新しい一年を迎えることをお勧めします。 1節。この詩の作者は、自分のたましいに語りかけます。「わがたましい
2025年12月28日


2025年12月24日 燭火礼拝「神のあり方を捨てて人となられた」ヨハネ1:14
今年も皆様とともに、蝋燭をともし、聖書を読み、讃美歌を歌いながら、クリスマスイ ヴを過ごすことができ、心から嬉しく思います。 クリスマスは主イエスの人としての誕生を記念する日です。神の御子キリストはナザレ のイエスとして地上生涯を歩まれたのですが、その実在を否定する人はいません。それは 歴史的な事実です。ただナザレのイエスをどう評価するかは、いろいろな意見や考え方が あります。三大聖人の一人であるとか、革命家であったとか、理想家であったとか、言い ます。しかし聖書は、ナザレのイエスは主キリストであると証言するのです。 使徒ヨハネは、その福音書の冒頭で、イエスをことばである神と紹介しています。ヨハ ネは3年の間、イエスの弟子として寝食を共にしました。その目撃者として、ナザレのイ エスを、初めにおられた神のことばとして紹介したのです。このことばは、世界が造られ る前から存在し、すべてのものを創造した神であること、このことばにいのちがあり、こ とばは人を照らすまことの光なのだと宣言します。このことばは人となって、この世に住 まわれました。この、神の
2025年12月24日


2025年12月21日 礼拝「救いから最も遠いと思われていた人々」マタイ2:1~11アドベント4
クリスマスおめでとうございます。本日、皆さまと主イエスの人としての誕生を記念す るクリスマス礼拝を献げることができ、心から嬉しく思います。今やクリスマスは、年中 行事の一つとなり、日本中至るところで、クリスマスに関連する何らかの行事が行われて います。ただ残念なことに、クリスマスは救い主の誕生を記念し、喜び祝う日である、と いうクリスマスの本来の意味を知らない人々は多くいます。 今日私たちは、救い主の誕生を知らされ、その方を自分の救い主として礼拝した人々を 確認します。彼らは、ユダヤ人たちから、神の救いからは最も遠いと見下されていた人た ちですが、救い主の誕生の知らせに応答することで、神からの祝福に与りました。逆に、 これらの人たちを見下していて、自分たちこそが神の救いの中にいると自負し、自己満足 していた人々は、自分の救い主の誕生とはしませんでした。 救い主の誕生の知らせは、東方の博士たちには不思議な星の出現によって、羊飼いたち には御使いの語りかけによってもたらされました。東方の博士たちはユダヤ人ではない、 異邦人であるというだけで民族的
2025年12月21日


2025年12月14日 礼拝「主を迎える備えをする」黙示録 22:10~21 アドベント3
アドベント第3週を迎えました。いよいよ来週はクリスマス、救い主イエス・キリスト の誕生を記念する日を迎えます。アドベントとは来臨という意味です。4週の日曜日をア ドベントの期間として過ごし、神の御子が人として来られた意味に思いを潜め、私の罪に 赦しを備えるために、十字架で身代わりの処罰を受けるために来臨されたことを深く覚え て、主イエス・キリストの人としての誕生を心から感謝するのです。 同時に、十字架で死なれ、三日目に死を打ち破って復活された主イエスは、40日の間、 弟子たちに復活の事実を確認させた後、もう一度来られることを約束して、天に上って行 かれました。キリスト信仰者は、主イエスの2度目の来臨を待ち望み、再臨の主を迎える 心備えをもするのです。このアドベントの期間に、私たちは、再臨の主を迎える者である ことをも意識し、喜びをもって主イエスを迎える備えをします。 今日私たちは、ヨハネの黙示録の最後の部分を開いています。初代キリスト教会はロー マ帝国からの激しい迫害を受けていました。そのような緊迫した状況の中で、使徒ヨハネ...
2025年12月14日


2025年12月7日 礼拝「人の従順と預言の成就」マタイ1:18~25 アドベント2
アドベント第2週を迎えました。先週に続けて、神の御子の誕生について、聖書から確 認します。創造者である神はご自分の約束の実現のために、人を用います。主なる神は一 方的な恵みで人を選び、ご自分の働きに用いられるのです。神の御子の人としての誕生に は、母親として処女マリアが、育ての父親としてヨセフが選ばれました。 私たちは今日、ヨセフの選びと、ヨセフの従順を確認します。主なる神は全能の神です から、人の助けなど必要としません。しかし、あえて人を、私たちを用いようとします。 私たちは神に愛され、神のかたちとして、神の似姿に、特別に造られました。だからこ そ、私たちの自由意思に働きかけて、神のみわざに参与するようにと招くのです。私たち が、神の招きに応じて、神のみわざに参与することで、神の力あるわざ、その全能の御力 を体験的に知り、さらに霊的成長へと進ませるためです。 18節。ヨセフとマリアは婚約期間に入っていました。当時のユダヤ社会では、一年ほど の婚約期間を経て、結婚生活に入るのです。婚約期間は法的には夫婦ですが、一緒に住む...
2025年12月7日


2025年11月30日 礼拝「神と人との間の仲介者」テモテⅠ 2:1 ~7 アドベント1
本日から、アドベントに入ります。主イエスの誕生を待ち望む期間で、待降節とも言い ます。私たちを愛して、私たちを罪と滅びから救うために、父なる神はひとり子イエスを この世に誕生させました。旧約聖書の時代に、何度となく救い主の来臨を予告しておられ た神が、その約束を、神のひとり子の誕生によって実現されたのです。 私たちは、アドベントの期間に、救い主の誕生に思いを潜めます。4週に亘って、クリ スマスを待ち望む期間を過ごすことで、神の御子はなぜ人として生まれたのか、その誕生 は私たちに何をもたらしたのか、もし主イエスが来られなかったなら、私たちはどうなる のか、などなど、救い主の来臨に思いを潜めて、主イエスの誕生を喜び、その日を与えて くださった父なる神への感謝を、改めて確認するのです。 と同時に、アドベントの期間を通して、主イエスの再臨をも待ち望みます。神の御子が 約束の通りに人として来られたように、主イエスは約束の通りに、もう一度来られること を確認して、主イエスの再臨に備える思いを新たにするのです。今日来られても、10年後 に来られても、いつ来
2025年11月30日


2025年11月23日 礼拝「聖書が教える黄金律の意味」マタイ7:12
本日のメッセージは伊藤 遣牧師(神戸聖書教会)が礼拝宣教をしてくださいました。 主にあるご奉仕に感謝し、今後の働きに祝福を祈りましょう。 尚、メッセージ原稿はございませんので配信された動画をご視聴ください。 https://youtube.com/live/ktGjquOUYck
2025年11月23日


2025年11月16日 礼拝「知恵のある者として歩む」エペソ5:15~20
皆さまに質問します。あなたは知恵のある者として歩みたいですか。それとも知恵のな い者として歩みたいですか。もちろん、知恵のある者として歩みたいですよね。 今日私たちが招かれているのは、知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、 機会を十分に活かして歩むことです。今日の箇所には、知恵のない者として、知恵のある 者として、愚かにならないで、とあります。知恵のない者としてとは、愚かになると言い 換えられます。私たちキリスト信仰者は、知恵のない者として歩むことも、知恵のある者 として歩むことも、愚かな人として歩むこともできるのです。 さて知恵のある者として歩む、知恵のない者として歩むとは、どのような歩みを言うの でしょうか。10節では、何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさいと命じられ、17節 では、主のみこころが何であるかを悟りなさいと招かれています。つまり、知恵のある者 としての歩みとは、何が主に喜ばれることかを吟味する歩みであり、主のみこころが何で あるかを悟る歩みとなります。愚かになるとは、何が主に喜ばれることかを吟味せず、主...
2025年11月16日


2025年11月11日


2025年11月9日 礼拝「主イエスによる滅亡の宣告」ルカ 19:41~46
主イエスの十字架への道を読み進めてきました。いよいよ十字架につくために、エルサレムへと入っていくのです。41節。主イエスは都のために泣いたとあります。その嘆きのことばが42節です。主イエスの十字架は、罪人たちに、神との平和をもたらすためのみわざです。しかし宗教指導者たちも、ユダヤ人たちも、主イエスが神との平和をもたらすために、十字架に向かっておられることを悟ろうとしませんでした。 神との平和を得るためには、罪の赦しが必要不可欠です。罪人は神との敵対関係にあり、義の神は罪に対して怒りを向けておられるからです。神との平和に入れられるために必要なのは、罪の赦しです。この罪の赦しをもたらすために、神の御子は人となられ、十字架で身代わりの処罰を受けるのです。しかし宗教指導者たちも多くのユダヤ人たちも、神の救いの計画を理解しようとしませんでした。彼らの目からは隠されていたからです。 主イエスは、預言者イザヤのことばを引用して語りました。「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり
2025年11月9日


2025年11月2日 礼拝「風とともにつかむ勝利」ルカ1:67~79
本日のメッセージは城間 創牧師(那覇バプテスト教会)が礼拝宣教をしてくださいました。 主にあるご奉仕に感謝し、今後の働きに祝福を祈りましょう。 尚、メッセージ原稿はございませんので配信された動画をご視聴ください。 https://youtube.com/live/BVbOFLiUUJU
2025年11月2日


2025年10月26日 礼拝「真の自由を得るために」ヨハネ8:31~36
自由に生きられるというのは、とても魅力的です。さて、自由とは何でしょうか。自分 の思いのまま、何をしても良い、何でも許されることが自由でしょうか。自分さえ良けれ ば、他人がどうなっても構わないという言動は、真の自由と言えるのでしょうか。今日の 箇所で主イエスは、真理はあなたがたを自由にしますと言われました。私たちは、この主 イエスのことばを通して、真の自由とは何かを考えます。皆さまは、今自由でしょうか。 自由とは解放です。束縛や強制や義務からの解放です。なにものにも束縛されず、だれ からも強制されないで、自分の善悪の基準に従って生きられることです。自分の意志で決 断したことを行うにあたって、妨げのないことです。束縛されたり、強制されて、何かを するのではなく、自発的に、自分で決めた通りを行えること、それが自由です。 今、私たちが生きている日本の社会は、基本的に自由が保障されています。基本的人権 が擁護され、一人の独立した人間としての自由が保障されています。今私たちは、どんな ことを考えても良いですし、それを自由に発言することができます。どのよ
2025年10月26日


2025年10月19日 礼拝「手足を義の道具として献げる」ローマ6:12~23
前回私たちは、キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた者はみな、十字架の死にあ ずかるバプテスマを受けたという霊的事実を確認しました。キリストとともに十字架に死 に、キリストともに葬られ、つまり完全に死んだので、キリストとともに死者の中からよ みがえって、新しいいのちに歩んでいるという霊的事実です。 11節で私たちは、認めること、認め続けることが命じられました。キリスト信仰者であ る私たちは、罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者です。私たちは認めな ければなりません。自分は罪に対して死んだという霊的事実をです。 12節。ですからと続けます。罪に支配されていた古い自分は死にました。今は御子イエ スにあって、新しいいのちに生きています。罪の性質を引きずっている死ぬべきからだに あって、新しいいのちを生きているのです。だから、その死ぬべきからだを罪に支配させ てはならないと命じられます。罪の誘惑に自分を従わせて、罪に支配させてはならないの です。肉が発する様々な欲望に従ってはならないということです。 私たちは肉体にあって、様々な欲求に
2025年10月19日
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