2026年4月12日 礼拝「堅く立つために」エペソ6:10~17
- 4月12日
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前回に続いて、6章10節から確認します。前回は、私たちキリスト信仰者は、悪魔とそ
の勢力との一対一の格闘、霊的な戦いをしていることを確認しました。敵を知り、己を知
る者、百戦あやうからず、と格言にありますが、私たちが格闘する相手と自分のことを正
しく知っているなら、悪魔とその策略に惑わされることなく、信仰の歩みは揺るがされる
ことはありません。
悪魔の策略は、私たちのキリスト信仰を骨抜きにして、私たちが神に用いられることを
妨げるためのものです。そうして、再び神から引き離すことが目的です。これは信仰の戦
いです。私たちが神と共に歩んで、信仰によって神のみわざに用いられるのか、それとも
悪魔がそれをやめさせるかの、霊的戦い、信仰の戦いです。
だから私たちは、主にあって、その大能の力によって強められなさいと招かれました。
そうすることで、堅く立つことができるのです。今日私たちは、そのために、神のすべて
の武具を身につけるようにと命じられていることを確認します。私たちは自分で自分を強
くすることができません。私たちが、自分の弱さを正直に認めることが重要です。自分の
弱さを認めるなら、強められることを求めます。自分の弱さを認めないから、神の助けを
求めません。私たちは、主にあって、その大能の力によって強められることができます。
パワードスーツ、ロボットスーツが開発され、性能も良くなっています。それを身体に
装着することで、その助けを得て、自分の力ではできないことができるようになります。
重労働の作業や、高齢者や身体に障害がある人たちを介護するのに大きな助けになってい
ます。このようなパワードスーツを思い浮かべると分かりやすいかもしれません。私たち
が霊的に強められ、堅く立つためには、神のすべての武具を身に着けることです。私たち
は弱く、力のない者だけれど、その大能の力によって強められるのです。
私たちの信仰生活には、霊的な戦い、信仰の戦いがあります。そして、この戦いでの勝
利は、約束されています。だから恐れることはありません。父なる神が備えてくださった
武具で身を固めるなら、私たちは強められ、圧倒的な勝利者となるのです。
エペソ人への手紙では1章4節に、私たちが救われた目的が記されています。神の「御
前に聖なる、傷のない者にしようとされた」とあります。聖とは俗でないことです。世俗
のものであった私たちを、主イエスの十字架の血によって贖い、罪を赦し、罪から救い出
して、神のものとして聖別したのです。私たちは「聖」となるために救われました。
神に聞くことをせず、自分の思いのままに歩む、罪に死んでいた私たち、創造者である
神を認めず、神のことば、その基準に聞き従って生きることなど、全く考えていなかった
私たちが救い出されました。そして私たちは、創造者である神を自分の主として仰ぎ、神
のことばだからと聞き従って生きる者、信仰によって神に用いられる者とされたのです。
2章10節には有名なことば「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするために
キリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その
良い行いを予め備えてくださいました」があります。私たちは、自分の古い人に死んで、
新しい人として、神が備えられた良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造ら
れた者たちです。私たちが、この救われた目的に歩むのか、それとも悪魔が、神が備えら
れた良い行いに歩ませないようにするのか、その戦いと言えます。
悪魔の策略は、私たちを、神のことばに無頓着にさせること、神のことばを退けたとし
ても、信仰生活に何の不都合もないと思わせることができたなら大成功です。表明的で、
形式的な信仰生活で良しとする霊的な貧困状態に陥らせることが、悪魔の策略なのです。
自分の霊的成長に無関心になっているなら、霊的衰退へと陥っていきます。キリスト信仰
に中庸はありません。霊的に成熟していくのか、霊的に衰えていくのかどちらかです。上
り坂で自転車をこぐようなものです。こぐのを止めたなら上ることはできません。
11~13節。神のすべての武具を身に着けなければなりません。悪魔の策略に対して堅く
立つため、邪悪な日に際して対抗するため、一切を成し遂げて堅く立つためです。神のす
べての武具は防御ではなく、攻撃のためです。神が備えておられる良い行いを成し遂げる
ためです。神のすべての武具です。一つや二つではなく、すべてです。神のすべての武具
で完全武装することで、私たちは全能の神の大能の力で、神のみわざに用いられます。
14~17節。堅く立つ、気を引き締めて、神の武具で身を固める決断をします。神の武具
は備えられていますが、私たちが身に着けなければ、宝の持ち腐れとなります。神の武具
は完全であり、万全です。しかしその武具を身に着けなければ、その効力を味わうことは
できないのです。神のすべての武具を装着するだけです。神の武具は、真理、正義、平和
の福音、信仰、救い、神のことばです。そのすべてで完全武装するのです。
まずは、真理と正義。これは私たち人間が勝手に叫ぶ真理や正義ではありません。神が
聖書を通して示している真理であり、正義です。いくらキリスト教国が神の正義だと宣言
しても、いくらイスラム原理主義者たちが聖戦と叫んでも、自分に都合の良い真理や正義
であるなら、神の真理、神の正義ではありません。私たちも同じです。自分が真理だ、正
義だと叫び、主張しても、しかもその根拠を、聖書のことばの一部に置いたとしても、神
のことばの全体に照らすなら、真理や正義ではないこともあります。自分を正当化するた
めに、神のことばを用いることはできます。私たちは、自分の言動を正当化するために、
聖書のことばを捜し、当てはめてはなりません。そうではなく神のことばに自分を合わせ
るのです。自分が中心ではなく、神が中心である生き方を築き上げる必要があります。自
分のではなく、神の真理と正義で武装するのです。
平和の福音の備えとは、私たちが何をするにも、どこへ行くにも、平和の福音を備える
ことです。平和はなによりも、神との平和が基盤です。かつての私たちは、神に敵対して
いたのであり、生まれながら、神の御怒りを受けるべき罪人でした。そのような私たちが
主イエスを信じる信仰によって、神との平和に入れられています。神との平和を持ってい
る私たちなので、他の人との平和もつくるのです。「平和をつくる者は幸いです。その人
たちは神の子どもと呼ばれるからです」と主イエスは語っておられるとおりです。私たち
キリスト信仰者は、平和を壊す者ではなく、平和をつくる者たちです。
2章14節に「キリストこそ私たちの平和です」とあり、「ご自分の肉において、隔ての
壁である敵意を打ち壊し」とあるように、キリストにあって、敵意は廃棄され、平和が実
現しました。キリスト信仰者は、敵対関係ではなく、平和を作り出す者たちです。
信仰の大盾です。信仰は神への信頼です。神を完全に信頼し、神に全く依存して生きる
ことが信仰の歩みです。この信仰の大盾で、悪い者すなわち悪魔が放つ火矢を、みな消す
ことができます。悪魔は私たちの心を挫こうとして、いろいろな困難や悩みや苦しみをぶ
つけてきます。そのような時に神への信頼が薄れているなら、神を信じていても仕方がな
いとの結論に達します。逆に何をやっても成功し、豊かで快適な生活が、自分の思い通り
にできるという火矢かも知れません。もし神に依存していないなら、自分の力でなんでも
できる、神なんか必要ないとの結論に達するのです。信仰の大盾で武装しましょう。
信仰の大盾の順番で、これらは防御ではなく、攻撃のための武具と分かります。通常大
盾は最後に持ちます。兜をかぶり、剣を取り、そして大盾です。大盾が先なので、手に握
るのではなく、背中に背負うということです。大盾の下に身を隠し、隊列を組んで、敵の
陣地に進軍するためです。敵は城壁の上から火矢を放ってきますが、大盾が火矢をすべて
消し、攻撃し続けることができます。攻撃は最大の防御と言いますが、キリスト者がばら
ばらに悪魔とその勢力に立ち向かうのではなく、教会が一丸となって信仰の大盾を背負っ
て、祈りの後方支援に支えられて、一対一の格闘に臨み、勝利するのです。
大盾を背負った上で、救いの兜をかぶります。救いとは罪からの救いです。貧困からの
救い、病苦からの救い、困難からの救いなどのような、対処療法的な救いではなく、それ
らの根底にある、根源的な罪からの根治療法的な救いです。この救いの喜びが、私たちが
堅く立つための基盤です。自分の願いがかなうという利己的な救いではなく、神が与えて
くださる根源的な救い、罪からの救いを喜び、高く掲げて、神と共に生きるのです。
そして最後に、御霊の剣である、神のことばを取ります。神のことばが悪魔の策略を退
ける剣です。主イエスも悪魔との攻防において、神のことばで撃退しました。私たちも同
じです。神ことばを多く心に蓄えることで、悪魔の策略を退けることができるのです。
私たちは、心の王座をキリストに明け渡し、神中心の生き方に進むために、神のことば
を神のことばとして受け取り、神のことばを生きる一歩を踏み出しましょう。神ご自身を
真理とし、神ご自身を正義として、その真理と正義に生きるのです。神との平和を追い求
め、和解の福音に生き、平和をつくる者となるのです。神に完全に信頼し、神にのみ依存
するという信仰を確立し、罪からの完全な救いを確認するのです。そうして、神のことば
である、御霊の与える剣を取ります。御霊の語りかけに敏感になり、御霊の促しに素直に
聞き従って生きる者に対して、悪魔は惑わすことができません。私たちは堅く立って動か
されることなく、主のみわざに用いられていくのです。
私たちは、神の武具を身に着けることで、強められます。悪魔の策略に対して立ち向か
う者となり、邪悪な日に際して対抗できます。そして何よりも、私たちは神の作品とし
て、神が備えておられる良い行いの一切を成し遂げる者となるのです。良い行いの一切を
成し遂げて、堅く立つ、キリスト信仰者として整えられるのです。
私たちは、神のすべての武具を身につけることを追い求めましょう。ペテロの手紙第一
5章8~9節に「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼え
たける獅子のように、だれかを食い尽くそうとして探し回っています。堅く信仰に立っ
て、この悪魔に対抗しなされ」とあります、またヤコブの手紙4章7節には「ですから、
神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」とあ
ります。私たちには勝利が約束されています。私たちは堅く立って、一切を成し遂げる者
となるのです。神のすべての武具は備えられています。それを身につけるだけです。




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