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2026年2月1日 礼拝「真に権威を持っている方」ルカ20:1~8

  • hikaruumichurch
  • 2 日前
  • 読了時間: 7分

 今日私たちは、主イエスとユダヤ教指導者たちとの問答を通して、真に権威を持ってい

るのはだれか、を確認します。その権威を与えたのはだれかも知ることになります。

 主イエスは平和をもたらす王として、エルサレムに、ろばの子の子ろばに乗って入城さ

れました。受難週の初日です。主イエスは十字架で死ぬために、苦しみを受ける週の日曜

日にエルサレムに入られたのです。多くの群衆が大声で神を賛美して、主イエスを迎えた

ことが記録されています。そうして主イエスは、エルサレムの神殿に入り、商売人たちを

追い出し始め、彼らに言われました。「『わたしの家は祈りの家でなければならない』と

書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にした」と。

 この出来事は、19章45~46節に記されています。ユダヤ教指導者たちは、商売人たち

に、ささげ物にするための動物を売る権利、献金を献げるために神殿の通貨に両替する権

利を与えていたのです。商売人たちが商売をしていた場所は、異邦人の庭でした。ユダヤ

人以外の人々が、主なる神を礼拝するための場として、開放されていた部分です。

 ユダヤ人は全世界のすべての国民の祝福の基となるために、神の民として選ばれまし

た。しかし彼らは、その選民意識を、異邦人の祝福の基となるためにではなく、異邦人を

見下し、排除するために使ったのです。そうして、異邦人を見下していたユダヤ教指導者

たちは、神殿から異邦人を閉め出して、商売人に商売をさせ、その利益を受け取って、私

腹を肥やしていたのです。主イエスが商売人たちを追い出し、商売することを禁じた行為

は、ユダヤ教指導者たちの権益を妨害する、敵対行為と見なされたのです。

 また主イエスは、神殿にいる人々に教えていました。神殿で教えるには、教師であるこ

とが必要です。正規の学びをして、教師としての認可を受けなければなりません。その許

可を与えるのは、ユダヤ教指導者です。しかし主イエスは、正規に学んだこともなく、教

師としての認可を得ているわけではありません。無許可で教えていたということです。商

売人を追い出すことも、神殿で教えることも、ユダヤ教指導者たちは、自分たちこそ、そ

の許可を与える立場だと、その権威を主張していたのです。

 それで1~2節。イエスが神殿で人々を教え、福音を宣べ伝えているところに、祭司長

たちと律法学者たち、長老たちが一緒にやって来ました。彼らユダヤ教指導者たちは、神

殿での許可を与える権威は自分たちが持っていると考えていたので、イエスに問いかけま

す。何の権威によって、これらのことをしているのか、あなたにその権威を授けたのはだ

れなのか、教えてくれませんかと、民衆が主イエスの教えを喜んで聞いている手前、こと

ばでは丁寧さを装っていますが、イエスがどう答えたとしても、神への冒瀆であると断罪

して、抹殺しようと目論んでいたのです。

 3節。主イエスは、宗教指導者たちの悪意に満ちた問いかけに答えることをしないで、

問い返すことにしました。私たちも、悪意を込めての質問に対しては、素直に答えるので

はなく、問い返すことが有効なこともあります。聖霊からの知恵を求めましょう。

 4節。主イエスの問いかけは、バプテスマのヨハネに関するもので、ヨハネが授けてい

たバプテスマは天から来たのか、人から出たのかというものでした。ヨハネは、罪の赦し

に導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたのです。しかしユダヤ教指導者たちは、ヨハネ

も、ヨハネが授けていた悔い改めのバプテスマも認めませんでした。

 5~6節。しかし宗教指導者たちは答えることを避けたのです。ここに彼らの不誠実さ

があります。真理に向き合うことを避けて、自己保身に走ったからです。彼らは自分たち

にこそ権威があるとしました。そのような自分たちを無視して、商売人を追い出し、神殿

で商売することを禁じたイエス、勝手に民衆に福音を伝え、教えているイエスに腹を立

て、自分たちにこそ権威があると示そうとしたにもかかわらず、彼らは民衆の反応を恐れ

たのです。主イエスの問いかけに対する彼らの答えは明確でした。ヨハネは自分勝手にバ

プテスマを授けていたということです。人から出た、が彼らの答えです。

 しかし彼らは、自分の考えを毅然と答えることを避けたのです。天からと言えば、どう

してヨハネを信じなかったと言われてしまいます。人からと言えば、民の反感を受け、石

で打ち殺されてしまうのではと恐れました。民はヨハネを預言者と確信している、つまり

ヨハネのバプテスマは神から与えられた権威によるものと、民は確信しているからです。

ユダヤ教指導者たちは答えるのを避けました。みっともない姿を晒しています。自分たち

にこそ権威があると主張しているのに、主イエスにどう言われるかとか、民衆から殺され

るのではないかと恐れている。権威も何も持っていないことをさらけ出したのです。

 7節。彼らは、どこから来たのか知りませんと、答えることから逃げました。彼らの真

理に向き合おうとしない姿を見ることになります。真理を知ろうとしないで、自分のたち

の権威だけを主張する者に、何かを伝えるとか、教えるとかは、無意味と言えます。だか

ら主イエスも、彼らに向き合うことを止めました。8節。

 宗教指導者たちは、知りませんと答えました。主イエスは、あなたがたに言いません、

と答えたのです。主イエスは、ご自分がなしておられるあらゆるわざ、ご自分が教えてお

られる教え方、それ自体が権威ある者であることを示しています。宗教指導者は、昔の人

はこう言っていると教え、主イエスは、わたしはこう言いますと教えました。権威ある者

として教えられたのです。あらゆる病気を癒やす権威、罪を赦す権威、悪霊を支配する権

威、死者を生き返らせる権威などなど、謙虚になるなら、主イエスには神としての権威が

あると認めざるを得ないのに、宗教指導者たちは認めようとはしませんでした。

 私たちは、主イエスは権威を持っておられる方であると認めましょう。神の御子が人と

なられて地上に来てくださいました。十字架で全人類のあらゆる罪に対して赦しを備える

ために、身代わりとして罪の処罰を受けるためでした。主イエスが神ご自身であることの

しるしとしてあらゆる不思議を行われたのです。真に権威を持つお方が、自分のいのちを

捨てる権威があり、そのいのちを再び得る権威があることを示すために、自分から十字架

でいのちを捨てて、三日目に死者の中からよみがえられたのです。

 主イエスは、権威のある者として地上生涯を歩まれました。様々な不思議と力あるわざ

を行われることで神であることのしるしとしたのです。そうして十字架の死と復活によっ

て、罪人に罪の赦しを備えて、救いへと招きました。

 私たちは、ユダヤ教指導者たちに倣ってはなりません。真理に向き合おうとしないで、

人にどう見られるかを気にして、主張を変えるのではなく、しっかりと真理と向き合い、

謙虚に真理を知ろうとすることが大事です。主イエスは、真剣に向き合う者に、真理を教

えてくださいます。主イエスが真理であり、真理は主イエスにあると、聖書にあるのです

から。主イエスの権威に自分を従わせることが、私たちを救います。

 主イエスは言われました。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与

えられています」と。すべての権威を持っておられるお方、主イエスが、主イエスを信じ

る私たちに約束しておられます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともに

います」と。すべての権威を持っておられるお方が、いつも私たちとともにいてくださる

のです。これほど力強いことはありません。私たちは大胆に、主イエスとともに歩む信仰

者とされましょう。そうして私たちも、主イエスの権威によって、人々に福音を宣べ伝え

て、罪の赦しと罪からの救いを紹介しましょう。

 主イエスを信じる以外に救いはないこと、あの十字架は自分の罪を赦すための身代わり

の処罰であって、罪の赦しを受け取ることで救われることを伝えるのです。みことばには

人を救う力があります。主イエスは罪を赦す権威を持っているのです。


 
 
 

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