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2025年12月21日 礼拝「救いから最も遠いと思われていた人々」マタイ2:1~11アドベント4

  • hikaruumichurch
  • 2025年12月21日
  • 読了時間: 9分

 クリスマスおめでとうございます。本日、皆さまと主イエスの人としての誕生を記念す

るクリスマス礼拝を献げることができ、心から嬉しく思います。今やクリスマスは、年中

行事の一つとなり、日本中至るところで、クリスマスに関連する何らかの行事が行われて

います。ただ残念なことに、クリスマスは救い主の誕生を記念し、喜び祝う日である、と

いうクリスマスの本来の意味を知らない人々は多くいます。

 今日私たちは、救い主の誕生を知らされ、その方を自分の救い主として礼拝した人々を

確認します。彼らは、ユダヤ人たちから、神の救いからは最も遠いと見下されていた人た

ちですが、救い主の誕生の知らせに応答することで、神からの祝福に与りました。逆に、

これらの人たちを見下していて、自分たちこそが神の救いの中にいると自負し、自己満足

していた人々は、自分の救い主の誕生とはしませんでした。

 救い主の誕生の知らせは、東方の博士たちには不思議な星の出現によって、羊飼いたち

には御使いの語りかけによってもたらされました。東方の博士たちはユダヤ人ではない、

異邦人であるというだけで民族的に見下され、また異教的な学者ということで宗教的に見

下されていました。羊飼いたちは職業柄安息日や律法を守り行えないことのゆえに、社会

的底辺に置かれ、職業的に見下されていたのです。しかし救い主誕生の知らせは、ユダヤ

教の宗教指導者や一般民衆にではなく、この人たちにもたらされたのです。しかもすべて

の人の救い主となるために、王宮にではなく、裕福な家庭にでもなく、最も低い立場に、

どん底の状態で、家畜小屋で生まれ、飼葉おけに寝かされたのです。

 御使いは羊飼いに「この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせる」と語りかけ

ました。救い主の誕生はすべての人のためであり、その人がどれほど救いにふさわしくな

いと思われたとしても、救いを求めるなら救われるのです。事実、羊飼いは救い主を捜し

出し、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。家畜小屋での誕生だからこそできた

のです。救い主は、悪臭の漂う、汚く、醜い場所で生まれました。このお方は、私たちが

願うなら、私たちの心がどれほど汚く、醜くても、入ってくださいます。救い主イエスを

迎える時、私たちの心は喜びと感謝に溢れることになります。

 今日の箇所には、東方の博士たちの他に、ヘロデ王、エルサレムの住民、祭司長たち、

律法学者たちが記されていて、救い主の誕生の知らせに、対照的な対応をしていることが

分かります。異邦人である博士たちの行動、ヘロデ王の反応、祭司長や学者たちの対応の

違いを確認しましょう。そして私たちは、ヘロデ王や学者たちのようではなく、博士たち

のように、自分の救い主として認め、受け入れ、礼拝する者とされたいのです。

 東の方からの博士たちとは、バビロンかペルシアの人で、占星術など呪術的な事柄に関

係している人々と考えられます。かつてユダヤ人たちは、バビロン捕囚という屈辱的な状

況の中で、自分たちの不信仰と神への背きの罪に対する神のさばきによる国家滅亡を体験

しました。そして神の回復の約束が与えられていて、罪の悔い改めとともに、救い主の誕

生を待望し、希望を語っていたと考えられます。ユダヤ人たちの、この、メシヤ待望に関

しての研究が、一部の学者たちに引き継がれていたということです。

 東方の博士たちは、異教社会に生きており、唯一まことの神への信仰とは程遠い学者た

ちと言えます。しかし彼らは、不思議な星の出現を、500年くらい前から伝えられている

特別なユダヤ人の王の誕生のしるしとしたのです。そうして1000km以上もの旅をして、

その事実を確かめるためにエルサレムに来ました。特別なユダヤ人の王を求め、礼拝をす

るためにです。私たちも、東方の博士たちに倣いましょう。救い主の誕生を、自分の救い

主であるとして、このお方を自分の王、自分の神と仰ぎ、礼拝するのです。

 東方の博士たちとは対照的なのは、神の国に入るのに最も近いと自負している神の民イ

スラエルの宗教的な指導者たちです。彼らは、救い主の誕生によって、神の救いから最も

遠い存在だと明らかにされました。人の考えや判断はあてになりません。

 2~3節。東方の博士たちはエルサレムの王宮を訪れました。ユダヤ人の王ですから、

王宮で育てられていると考えるのは当然です。博士たちの謁見を受けて、ヘロデ王が、そ

してエルサレムの住民が、動揺しました。約束のメシヤ誕生の知らせを喜ぶのではなく、

動揺したという事実に、神の民イスラエルの霊的貧困が見られます。メシヤ到来を待ち望

み、そのお方を迎えるという心をなくしている霊的現状です。

 ヘロデは自分の王位を脅かす者なら、妻や自分の子までも殺すほどの人物でした。その

ようなヘロデですから、ユダヤ人の新しい王が生まれたとの知らせに、激しく動揺したの

は当然でしょう。そして自分の王位を脅かす存在は許せないと考え、抹殺しようと行動を

起こすのです。8節。信心深いように見せながら、幼児殺害を計画しています。

 エルサレム住民の動揺は、ヘロデ王は手段を選ばずに排除に動くだろうとの予測から生

じる恐れです。どれほどの凄惨な事態になるかと不安を覚えたはずです。そのため待望の

メシヤ誕生の知らせのはずなのに、喜びも感謝もなく、ただ傍観するだけでした。

 祭司長たち、律法学者たちは、ヘロデの命令を受け、救い主誕生の地名を、すぐに答え

ました。4~6節。預言者ミカによる預言を引用したのです。しかし彼らは、救い主誕生

に関する知識を持っているだけでした。東方の博士たち、神の救いから遠いと見下してい

る異邦人がはるばる来て、救い主を求めているのに、霊的自己満足に陥っていた祭司長や

律法学者たちは何もしませんでした。どこに行けばいいのかを知っていながら、そこに行

こうともしない彼らの霊的現実が見られます。

 このような人々はいつの時代にもいます。日本においても、多くの人々はクリスマスを

ある種の特別な日として過ごし、イエス・キリストの誕生を記念する日だと知っている人

も多くいます。しかしその多くの人々は、自分の救い主を求めようとはしません。知って

はいても、自分との関係で考えようとしないで、ただ習慣的に、楽しむだけの日として過

ごしています。自分の救い主の誕生としないのですから、本当に大きな損失です。私たち

は、自分の救い主の誕生であると認め、自分のものと受け入れましょう。

 9節。博士たちは教えられた通りにベツレヘムに向かいました。エルサレムからベツレ

ヘムまでは9km程の距離です。そんなに遠くはありません。しかしエルサレムの住民は

誰ひとり行こうとしませんでした。博士たちには不可解に思われたことでしょう。しかし

博士たちは1000km以上も旅をして来ました。そしてもう少しだという思いに押し出され

てベツレヘムに向かったのです。

 しかしベツレヘムのどこに行けば良いかは分かりません。その時、自分たちの出発を促

したあの星が輝き出し、先導しているのです。神の特別な配慮に、心からの驚きと感動を

覚えたはずです。星に導かれて救い主イエスにお会いできました。求める者は与えられ、

捜す者は見出し、叩く者には開かれるのです。自分で求めることが大事です。

 11節前半。博士たちが導かれたのは普通の民家でした。そこには普通の親子がいただけ

です。その頭に後光はなく、一般的な家庭です。しかし博士たちは、その家族をユダヤ人

の特別な王とその親であると認めました。彼らを導いた不思議な星が、救い主の家族であ

ることのしるしだからです。彼らはまだ弱々しい、何の力もないように見える幼子をユダ

ヤ人の王、メシヤとして拝んだのです。ここに博士たちの謙虚さがあります。自分たちを

導いてこられた、力ある神を自分の神とあがめて、その状況を受け入れる謙遜さです。

 私たちは、王の王、主の主としての救い主を見たことはありません。私たちはイエスを

直接見ていないのです。しかし私たちも、イエスを自分の救い主と信じます。博士たちに

は不思議な星の出現と導きが、救い主のしるしとなったように、私たちには聖書の記述が

しるしとなるからです。イエスの生涯を書き記した福音書を通して、私たちはイエスがど

のような方であり、どのように生き、どのように死なれたのかを知ることができます。裁

判の席上で、裁判官であるローマ総督ピラトに、罪を全く認めない、だから釈放すると言

わせたお方です。そのお方がローマ帝国の極刑である十字架刑に処せられました。

 あの十字架での処刑は、私たちの罪に赦しを備えるための身代わりの処罰であり、神の

恵みによる救いのみわざであると知る時、私たちはイエスが救い主であること、しかも私

の救い主であると受け入れることができるのです。このお方は、十字架で処刑され、死ん

で葬られてから三日目に、死者の中から復活されました。死者の中からの復活こそ、イエ

スが神であることのしるしです。イエスの復活は嘘、作り話であると証明できないまま現

在に至っています。イエスの十字架の死と復活の事実が、主イエスを信じる人を救う根拠

であり、信じる者を全く新しいいのちに生かし、喜びと感謝に満たすのです。

 11節後半。博士たちは、幼児イエスを王の王、主の主としてあがめ、礼拝し、宝の箱を

開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。この行為によって、真に自分の救

い主、自分の王、自分の神とする信仰の表明としたのです。私たちもイエスを、自分の

王、自分の神とあがめる信仰の表明をすることが大事です。

 クリスマスは私の救い主、あなたの救い主が生まれたことを記念する日です。神であら

れるお方が、神のあり方を捨てて、人間として地上に生まれてくださいました。私たちに

罪の赦しを備えるために、私たちの代わりに罪の罰を受けるために十字架刑に処せられ、

私たちを罪と滅びから救うために、人として生まれたことを記念する日です。私たちは、

宗教指導者たちやエルサレムの住民のようではなく、東方の博士たちのように、イエスを

自分の神、自分の王と仰ぐ特別な日として、クリスマスを過ごしましょう。

 クリスマスとは、キリスト礼拝という意味です。東方の博士のように、救い主を求めて

捜しだし、自分が培ってきたこれまでの考えや常識に縛られないで、神が示されるしるし

によって判断し、イエスを神、キリストと認め、自分の救い主、自分の神とあがめること

が大事です。今年のクリスマスを、真にキリスト礼拝としましょう。主イエスを自分の救

い主とし、自分の神として礼拝するのです。そうして主イエスが与える喜びと感謝を味わ

う日、それがクリスマスです。


 
 
 

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