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2025年11月30日 礼拝「神と人との間の仲介者」テモテⅠ 2:1 ~7 アドベント1

  • hikaruumichurch
  • 11月30日
  • 読了時間: 10分

更新日:1 日前

  本日から、アドベントに入ります。主イエスの誕生を待ち望む期間で、待降節とも言い

ます。私たちを愛して、私たちを罪と滅びから救うために、父なる神はひとり子イエスを

この世に誕生させました。旧約聖書の時代に、何度となく救い主の来臨を予告しておられ

た神が、その約束を、神のひとり子の誕生によって実現されたのです。

 私たちは、アドベントの期間に、救い主の誕生に思いを潜めます。4週に亘って、クリ

スマスを待ち望む期間を過ごすことで、神の御子はなぜ人として生まれたのか、その誕生

は私たちに何をもたらしたのか、もし主イエスが来られなかったなら、私たちはどうなる

のか、などなど、救い主の来臨に思いを潜めて、主イエスの誕生を喜び、その日を与えて

くださった父なる神への感謝を、改めて確認するのです。

 と同時に、アドベントの期間を通して、主イエスの再臨をも待ち望みます。神の御子が

約束の通りに人として来られたように、主イエスは約束の通りに、もう一度来られること

を確認して、主イエスの再臨に備える思いを新たにするのです。今日来られても、10年後

に来られても、いつ来られても、主イエスを喜び迎えられるように、また今日、私がこの

世を去ったとしても、10年後に死を迎えたとしても、いつでも喜びの中で主イエスにお会

いできるように心備えをするのです。年末の慌ただしい中のアドベントの期間に「私の救

い主の来臨」に思いを潜め、主イエスを喜び迎える心備えの時としましょう。

 アドベント第一週目の今日、私たちは、神と私たち罪人との間の仲介者について考えま

す。仲介者がいることは幸いなことです。ここでの仲介は、敵対関係にある両者を和解さ

せるという意味です。まず私たちが確認しておくことは、創造者である神と私たち罪人は

敵対関係にあるということです。罪が私たちと創造者である神とを隔てています。公正な

義の神は、私たちが抱えている罪をことごとく憎んでおり、どんなに些細な罪であっても

罰せなければなりません。私たちの不敬虔と不義に対して怒りが向けられています。

 と同時に愛の神は、私たち人間を神のかたちとして、神の似姿に造られたので、私たち

をこよなく愛しておられ、私たちを受け入れ、祝福したいと考えています。この相反する

神の義と神の愛のどちらをも満足させるために、神の御子は人となられ、十字架に死なれ

たのです。神と人との間の仲介者になるためにです。

 クリスマスは、神と私たち罪人との間の仲介者の誕生を記念する日です。このことのゆ

えに神に感謝します。主イエスの誕生を心から喜びます。もし主イエスの誕生がかったな

ら、私たちの罪への神の怒りを宥める方がいないなら、私たちは自分の罪のゆえに罰せ

ら、滅ぼされなければなりません。私たちは罪のゆえに、だれひとり、神に義と認められ

ることはないからです。主イエスは神と私たち罪人の間の仲介者です。しかも唯一の仲介

者であって、主イエス以外に、神と私たち罪人とを和解させることのできる仲介者は存在

しないのです。神の御子が仲介者となるために人として生まれてくださいました。

 4節。創造者である神の私たちに対する思いです。神は、私たち人間が、ひとりとして

滅びることを望んでおられません。すべての人が救われて、真理を知るようになることを

望んでおられます。だから神は、私たちを、その罪に応じてさばき、罰することを猶予さ

れ、罪の赦しを備えて、悔い改めへと招いておられます。

 使徒ヨハネは、神の御子の誕生について、次のように記しました。神は、実に、そのひ

とり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅び

ることなく、永遠のいのちを持つためである。神は、すべての人が救われて、真理を知る

ようになるのを望んでおられ、その実現のためにクリスマスを備えました。天地万物を創

造され、私たち人間をも造り、私たちを生かしておられる神は、私たちをその罪から救う

ために、神のひとり子を人として誕生させたのです。ここにクリスマスが設けられたこと

の喜びがあります。私たちのための素晴らしい喜びの知らせです。

 5節。神は唯一です。天地万物を創造されたお方だけがまことの神であって、他に神は

いません。神々と呼ばれるものは様々ありますが、それらは人間が考え出したもの、人間

が作り出したものです。創造者である神が創造した物、被造物です。それらのまがい物に

惑わされてはなりません。神は唯一であって、それは天地万物を創造された神だけです。

 私たち人間は、神のかたちとして、神の似姿に造られました。人間はまことの神を自分

の神として、神に聞いて生きる者として造られています。この造られた本来の生き方をす

るとき、人は最も主体的で、最も自分らしく、最も生き生きと生きるのです。しかし神か

ら離れた時点で、人は迷い出ます。それなりに生きているように見えても、神のいのちに

死んでいるので、様々な間違い、いろいろな罪を犯すのです。

 再度5節。私たちは皆、まことの神を知らず、まことの神と無関係に歩んでいました。

神のいのちを失い、霊において死んでいる状態です。これが罪がもたらした結果です。自

分では正しく歩んでいるつもりでも、様々な間違いを犯すのです。このような罪の状態に

ある私たちが、造られた本来のあるべき状態に戻るために、創造者である神を自分の神と

あがめるために、神と私たちとを隔てている罪を取り除く必要があるのです。

 神と人との間の仲介者とは、神と人とを隔てている罪を取り除き、人を神との和解に導

くお方です。罪とは創造者である神を自分の神としないことです。神に聞くのではなく、

自分を優先することです。自分のしたいことはしても、そうでなければ、できることもし

ないで済ませます。なによりも自分を優先する。これが罪です。罪のゆえに、人は滅びに

向かっているのです。主イエスを信じるまで、私たちは皆、そのように歩んでいました。

そして主イエスを信じる者は、罪の性質を引きずりながらも、まことの神を自分の神とし

てあがめて、神に聞こう、神を優先しようと、自分の罪の性質と戦うのです。

 主イエスは、罪人をその罪から救うために、神と人との間の仲介者となるために、人と

して生まれました。今日私たちは、創世記3章を交読しました。そこには女の子孫の登場

と、サタンに致命傷を与えることが予告されています。私たちはみな男の子孫です。人間

の父親がいるからです。人間の両親によって生まれた者はみな、罪の性質を引き継いでい

ます。女の子孫は、人間の父親を介さないで、創造者である神によって、処女から生まれ

る必要があります。その実現がクリスマスです。神の御子が人となるために、女の子孫と

なるために、処女マリアから生まれました。この方だけが、神と人との間の仲介者となれ

ます。神と人との間の仲介者は唯一、人としてのキリスト・イエスだけです。

 神ご自身が、人となりました。神の御子が、人として生まれたのです。罪のないお方と

して生まれるために、女の子孫となるために、処女マリアに聖霊が臨み、創造者である神

の全能の力がマリアを覆い、人間の父親を介さないで生まれました。そして地上生涯を、

罪を全く犯すことなく過ごしたのです。自分の思いや自分の考え、自分の好みを優先しな

いで、父なる神のみこころに従いました。実に、十字架の死にまで従われたのです。

 主イエスは罪のない人間として生まれ、罪を全く犯すことなく生涯を終えました。だか

ら主イエスは、罪人の身代わりとして罪の罰を受けることができます。また神ご自身なの

で、全人類のあらゆる罪の処罰の身代わりとなる絶大な価値があります。地上に生まれた

全人類を集めても、まことの神を超える価値はありません。このお方が十字架で私たちの

代わりに罪の罰を受け、全人類に罪の赦しを備え、救いへと招いたのです。

 罪からの救いに与るためには、神の御子の十字架によって差し出された罪の赦しを受け

取らなければなりません。救いは、神の一方的な恵みによって備えられました。それを自

分のためであったと感謝して、信仰によって受け入れるだけです。十字架の福音を神のこ

とばとして受け入れることが、神を、自分よりも優先する第一歩です。これが罪からの救

いの第一歩、神のいのちを生きる一歩を歩み出したということです。

 主イエスの十字架による罪の赦しを受け取ったことによって、その人と神を隔てていた

罪は取り除かれました。主イエスの身代わりの処罰によって、その者に対する神の怒りは

宥められたのです。罪が取り除けられたので、罪のない者、罪を犯さなかった者と見なさ

れ、神との敵対関係は終わりました。神との和解に入れられたのです。これが仲介者の役

目です。神と人との間の仲介者は、クリスマスに人として生まれ、十字架で私たちの罪の

処罰をすべて終えられたキリスト・イエスだけです。

 6節。キリストの十字架での死は、すべての人の贖いの代価であり、全人類のあらゆる

罪に赦しを備えたので、だれもが罪の赦しを受けることができます。どれほど極悪非道な

罪を犯してきた人でも、罪の赦しを受け取るならば、神との和解に入れられ、滅びからい

のちに移されます。しかし軽微な罪しか犯していない人であっても、罪の赦しを受け取る

のでなければ、神との敵対関係のままであり、神の怒りが向けられています。

 だれでも罪の赦しを受け取るなら、救いに入れられ、神のいのちに生きます。神は、す

べての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられるからです。6節の後半

に、これは、定められた時になされた証しです、とありますが、神のひとり子が人として

生まれ、ナザレのイエスとして育ち、十字架でいのちを捨てられたことに、神の人に対す

る恵みとあわれみが証しされています。神は限りない愛をもって私たち罪人を愛し、その

罪を赦し、滅びから救おうと考えてくださいました。クリスマスを迎えるにあたって、神

の私たちに対する思いを深く味わい、感謝を新たにしましょう。

 そのような私たちだから、私たちは1節で招かれています。滅びからいのちに移される

という救いを受け取った私たちは、その恵みを味わい知った者として、この素晴らしい恵

みを人々と共有すように期待されています。それはまず、祈ることから始まるのです。す

べての人のために祈るのです。祈らなければ、救われてほしいとの願いは薄れます。とり

なし祈ることで、その人の救いを願う願いが強くされます。もし人の救いに関心が薄いと

するなら、それは祈っていないからかもしれません。まず祈りましょう。ひとりで、また

心を合わせて祈りましょう。とりなし祈るようにと命じられているのですから。

 神と人との間の仲介者となるために、主イエスは神のあり方を捨てて、肉体を取られ、

私たちと同じ人間になられました。十字架で身代わりの罪の処罰を受けるためです。救い

は備えられました。罪の赦しは差し出されています。ひとりでも多くの人々が、主イエス

を自分の救い主として受け入れて真理を知り、創造者である神に聞き従って生きる、造ら

れた本来のあり方に立ち返ることができるように、祈り求めましょう。クリスマスを迎え

るに際して、主イエスの救いの証人とされていることを再確認し、とりなし祈るのです。

あなたしか祈ることのできない人がいます。そして、祈りが積まれていく中で、証のため

の適切な時が備えられ、証のための適切なことばが整えられていくことを期待しましょ

う。救いは主なる神のみわざですが、そのみわざに、私たちは用いられるのです。

 感謝を新たにして、クリスマスに備えましょう。

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