2025年8月17日 礼拝「再会の約束に生きる」1テサロニケ4:13~18 召天者記念
- hikaruumichurch
- 8月17日
- 読了時間: 7分
年に一度ですが、先に天に召された方々を偲んでの礼拝の時を持っています。キリスト
教会が召天者記念礼拝を行うのは、先に召された方々を偲ぶとともに、主イエスを信じる
信仰によって永遠のいのちを与えられた私たちは、必ず死の時を迎えるけれど、それは天
の御国への凱旋の時であり、神の家族と再会するとの約束を確認するためです。今日私た
ちは、聖書に記されている神のことばの約束を確認し、地上生涯を希望をもって歩む者と
されていることを再確認しましょう。
週報に記した方々は、それぞれ、創造者である神の恵みの中、主イエス・キリストを信
じる告白をして、地上生涯を終えられました。私たちは聖書で、彼らの死後の状態と、そ
の後についての約束を確認するのです。
13~14節。イエスにあって眠った人たち、と表現されています。主イエス・キリストを
自分の救い主と信じて、死の時を迎えた人々は、眠っていると言われています。眠ってい
るとは、目覚める時が来るということです。死は終わりではありません。
だからキリスト信仰者は、眠っている人たちのことを思う時、もう地上では会えないと
いう寂しさ、悲しみを覚えるのですが、悲しみに沈んでしまうことはありません。主イエ
スを信じていない時には、死は永遠の別離と考えていたので、悲しみに沈むこともありま
した。しかし今、私たちには、先に天に凱旋した信仰の先輩方と必ず再会するという約束
があるので、悲しみに沈むことはなく、希望をもって、地上生涯を歩むことができます。
世の多くの人々は死についての明確な答えを持っていません。死後についても分かって
いないので、不安を感じている人も多くいます。そして肉体の死を迎えたとき、残された
者たちは、故人との永遠の別れであると考え、大きな悲しみを抱く人もいます。
聖書は、死について、死後について、明確に告げます。主イエスを信じる者には、死は
勝利に呑み込まれた、という宣言が現実となります。主イエスを信じる信仰によって罪を
赦された者は、永遠のいのちが与えられるので、肉体の死は、天の御国に行くための門、
入口に変えられました。だから死は、敗北ではなく、勝利に変わったのです。
主イエスは宣言します。わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死
んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬこと
がありません。あなたは、このことを信じますか、と。私たちキリスト信仰者は信じてい
ます。決して死ぬことがない永遠のいのちが与えられたことをです。
14節。キリスト信仰者は、主イエスの十字架の死と、死後の復活を事実であると受け入
れています。主イエスが葬られた墓は、三日目に空になりました。そして40日に亘って、
弟子たちに復活の事実を見せた上で、弟子たちが見ている中、天に上って行かれました。
主イエスの復活は事実とすることが、その後の出来事を、歴史のすべてを、合理的に説明
できるので、キリスト信仰者は、主イエスの復活は事実であると受け入れます。その当然
の帰結として、主イエス・キリストは人となられた神であると受け入れるのです。
主イエス・キリストが、ローマ帝国の極刑である十字架で処刑されたこと、その遺体は
墓に納められ、三日目にその墓が空になり、その後今に至るまで、イエスのからだを誰も
見つけ出すことができないことは歴史的事実です。その理由を、キリスト信仰者は、主イ
エスが復活されたからだと受け入れるのです。だから手紙の著者は、イエスが死んで復活
されたと、私たちが信じているなら、と手紙の読者に確認させた上で、主イエスの再臨と
その時に、イエスにあって眠った人たちについての約束を再確認させています。主イエス
が再び来られるとき、主イエスを信じて罪の赦しを受け、救われて、天に召された人たち
は、栄光のからだに復活して、主イエスとともに、連れて来られると断言しています。こ
の約束の実現を、キリスト信仰者は待ち望んでいます。
先程交読した1コリント15章に、死者の復活のことが詳しく説明されています。私たち
に約束されている復活のからだは、神の国を生きるための天上のからだです。永遠のいの
ちが与えられた者たちは、2度と死ぬことがないのですが、栄光のからだが与えられて、
永遠を神の国で過ごすのです。
15章42~44節。今私たちが地上生涯を生きているこの肉体は、朽ちるものであり、卑
しいものであり、弱いものであり、血肉のからだです。約束されている復活のからだは、
朽ちないものであり、栄光あるものであり、力あるものであり、御霊に属するからだであ
ると言われています。
50~52節。私たちは知らなければなりません。血肉のからだでは、神の国を生きるこ
とはできません。朽ちるからだでは、朽ちない神の国に入ることはできません。主イエス
が再びこの地上に来られるとき、生き残っているキリスト信仰者は変えられます。終わり
のラッパが吹き鳴らされます。その時、一瞬のうちに変えられるのです。すでに肉体の死
を迎えたキリスト信仰者は、復活のからだが与えられます。地上で主イエスの再臨を迎え
るキリスト信仰者は、栄光のからだに変えられるのです。だから、死は勝利に呑み込まれ
たと宣言されます。54節の最後です。主イエスの再臨の時に起こる、この神の約束に、キ
リスト信仰者は揺るぎない希望を持っています。
テサロニケ人への手紙4章15節。主イエスが再び地上に来られる時、なお地上で信仰生
活を送っているキリスト信仰者がいます。その人々が、先に眠った人たちよりも先になる
ことは決してないと言われます。栄光のからだ、天上のからだが与えられることに関して
の順番が定められています。生きている私たちが、眠った人たちより先になることは決し
てありませんと断言されるのです。
16~17節。主イエスの再臨はすべての人に明らかにされて起こります。号令がかかりま
す。御使いのかしらの声がとどろきます。神のラッパが高らかに鳴り響くのです。主イエ
スが再び地上に来られる時、地上に生きている人々すべてに、その事実は知らされます。
その時主イエスを信じて、罪の赦しを受け、罪からの救いに与って、地上生涯を終えた人
たち、キリストにある死者が復活します。栄光のからだ、天上のからだ、朽ちないからだ
に復活します。それから、その時生き残っているキリスト信仰者、主イエスの十字架によ
る罪の赦しと罪からの救いを受け取った者たちが引き上げられ、栄光のからだ、天上のか
らだ、朽ちないからだに変えられます。そして空中で主とお会いし、いつまでも共にいる
ことになります。本日の宣教の題である「再会の約束に生きる」とは、先に天に凱旋され
た方々との再会であり、主イエス・キリストに会う約束に生きるということです。
主イエス・キリストを信じた者にとって、死は眠りです。眠りですから必ず目覚めると
きが定められています。だから死を悲しむことはありません。しばらくの別離のために寂
しさを感じはしますが、必ず再会するという約束があります。そして、天の御国で永遠を
生きることになるのですから、これ以上の誉れや喜びはないのです。
主イエスが再び地上に来られたなら、私たちが今見ている天も地も宇宙も、跡形もなく
消え去ると宣言されています。そうして、新しい天と新しい地が再創造されるのです。地
球環境が破壊され続けていて、私たちが住み続けることが困難になりつつあります。戦争
が起こっています。日照りと干ばつの地域もあれば、豪雨と大洪水の地域もあります。地
球は悲鳴を上げています。それらがすべて消え去り、新しい天と新しい地が再創造される
のです。それは朽ちることのない世界であり、朽ちることのないからだを与えられた者た
ちが、創造者である、まことの神と、永遠に過ごす、全く新しい世界です。
18節。私たちはこの約束のゆえに、互いに励まし合うようにと命じられています。主イ
エスを信じる者にとって肉体の死は眠りです。死は勝利に呑み込まれました。そして主の
再臨の時、栄光のからだ、天上のからだに復活します。私たちは今、先に天に召された信
仰者たちを、恵みをもって導かれた主を見上げ、私たちも主に信頼し、主に期待して、主
に導かれて、地上での、信仰生活を全うするのです。
いつまでも主とともにいるとの約束、その幸いを、すでに天に召された召天者たちとと
もに味わうのです。本日の召天者記念礼拝で、この事実を確認させていただきました。




コメント