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2025年3月9日 礼拝「教会の成長を目指す私たち」エペソ4:13~16

  • hikaruumichurch
  • 3月9日
  • 読了時間: 9分

 キリスト教会の特徴は、多種多様な人々が集められているということです。光る海教会

にも多種多様な神の家族として、幼児からお年寄りまで、女性も男性も個性豊かな人々が

集められています。私たちは一人一人、主なる神に召し集められたということです。

 さて、今日の宣教題は、教会の成長を目指す私たちとしました。教会が神の子たち、神

のいのちに新しく生まれた者たちの集まりだから成長するということです。その成長を目

指し、意識して、私たちは教会形成、教会運営をするのです。召された私たちが、その召

しにふさわしく歩むその歩みは、教会の成長を目指す歩みだということです。

 私たちは、教会に与えられている御霊の一致を熱心に保ちます。そのために、謙遜と柔

和の限りを尽くすこと、寛容を示すこと、愛をもって互いに忍び合うことを求めます。そ

の結果として、私たちは、平和の絆で結ばれて御霊の一致を保つことができます。教会の

成長を目指す私たちは、御霊の一致、4~6節に列挙されている七つが同じであることに

同意して、一致を保つための努力をするのです。

 私たちはかしらであるキリストの下に集められています。かしらであるキリストは私た

ちに賜物の量りに従って恵みを与え、一人ひとりに賜物を分け与えられました。だからみ

な違います。それら異なった持ち味が合わさることで、教会は豊かさを増していきます。

それらの多種多様な持ち味が無秩序に使われてはなりません。かしらであるキリストに聞

き従うことで、秩序ある豊かな働きとして用いられていくのです。

 そのためにかしらであるキリストは、賜物の一つとして、教会に、みことばに仕える奉

仕者を立てられました。教会の一員とされた私たちがみな、神の御子に対する信仰と知識

において一つとなり、一人の成熟した大人となるために、一つ所に集まり、同じ聖書の箇

所から、神の語りかけに耳を傾けることが必要だからです。だから教会は集まります。一

つ所に集まって、同じ神の語りかけを聴くためにです。そのために、みことばに仕える奉

仕者は教会に立てられています。その結果が13節です。

 キリストのからだである私たちがみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとな

り、一人の成熟した大人になって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。これ

が教会の成長です。教会が霊的な子どもから霊的な大人へと成長を遂げるために、私たち

は召し集められました。その召しにふさわしく歩むようにと招かれているのです。

 14節。教会が霊的な子どもであるときの状態です。人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略と

あります。これらは巧妙です。簡単には見抜けません。日本では特殊詐欺はさらに巧妙に

なり、多くの人が騙されています。彼らはその手のプロとして、悪賢い策略を巡らし、巧

妙なシナリオを作ってよく練習し、私たちを獲物にしようと狙っています。しかし本物が

分かっているなら、偽物に騙されることはありません。本物確認が何よりも重要です。

 教会が、教えの風に吹き回され、もてあそばれるのは、十字架の福音で確認しないから

です。教会の成長が、数量的な、物質的な繁栄として考えられることがあります。どれだ

け人が集まっているか、どれだけ立派な教会堂を建てたか、そのような数量的で物質的な

成長に追い立てらて、人を集めるための方策や方法を求めることになり、同質で、人間社

会で有能とされる人々を獲得しようとして、罪の指摘と罪の赦しへの招きから離れるので

す。数量的な教会成長を求めた教会は、十字架の福音にある神のいのちを失うのです。

 救われる人が多く与えられることは私たちの祈りです。そのために教会の様々な活動を

続けています。しかし十字架の福音を信じ、受け入れることなしに、真に救われることは

ありません。罪の指摘と罪の赦し、罪からの救いを、教会は地道に、愚直に語り続けるの

です。目に見えて救われる人が起こされないとしても、主イエスの十字架の死と復活によ

る罪の赦しと罪からの救いを語り続けることが大事です。私たちの霊的な成長は、罪の性

質を知り、聖霊の助けを受けながら、罪の性質と戦い、どれだけ克服するかにかかってい

るのです。十字架の福音、罪の赦しと罪からの救いの福音を確認し続け、聖書を通して福

音を知っていれば、どんな教えの風にも吹き回され、惑わされることはないのです。

 私たちが霊的な大人に成長するためには、純粋なみことばの乳を慕い求め、みことばそ

のものに養われる以外にはないのです。日々聖書を開き、神の語りかけを聴く、また礼拝

に集まり、祈り会、その他の集会に集まって、みことばの奉仕者を通して語られる神のこ

とばを聞いて、教えられ、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟

した霊的な大人になることで、教会全体も霊的に成熟していくのです。

 15節。霊的な大人の教会の姿です。愛をもって真理を語ります。愛と真理の両立が霊的

な大人の指標です。手本は主イエスです。恵みとまことに富んでおられた主イエスの地上

生涯を学び、倣うことで、私たちも愛をもって真理を語れるようになります。私たちは愛

と真理を両立する歩みを主イエスから学ぶ必要があるのです。手本に倣えば良いのです。

 愛がなく、正論を語るだけになると、原理主義に陥ることになります。人を批判し、非

難する、たださばくだけの、自己満足で終わることになるのです。人を主イエスの福音で

養い育てるのではなく、断罪し、見下すだけになります。私たちは気をつけましょう。

 逆に真理に無頓着で、愛を主張するだけなら、臭いものに蓋をすることになります。罪

と向き合わせないため、罪の性質が放置されたままになります。結局は自己中心のまま、

霊的な赤ちゃんのままで、神のことばを生きることがなく、霊的な成長は望めません。

 私たちは、純粋なみことばの乳を慕い求め続けなければなりません。みことばに養われ

て成長します。みことばは私たちを育成します。みことばは私たちを、神の御国の市民に

ふさわしい、罪の性質から解放された、霊的な大人へと成長させるのです。

 みことばを慕い求めて、この状況の中で、主イエスはどうしただろう、主イエスならど

うするだろうと、主イエスから学ぶことで、私たちも、愛をもって真理を語る、霊的な大

人へと成長していきます。この繰り返しを個人としてだけでなく、教会としても行い、身

につけていくことが大事です。教会全体もまた、霊的な大人へと成長していきます。

 教会の成長は、あらゆる点においての成長であり、かしらなるキリストに達することで

あると分かります。教会は、かしらなるキリストに向かって成長するのです。

 16節。教会のあらゆる点においての成長です。からだ全体の成長は、それぞれの部分が

その分に応じて働くことによるとあります。それはキリストによってです。私たちが、自

分の力量によってとか、自分の意欲によってなすわざではありません。キリストによって

が重要です。神が、かしらであるキリストを教会にお与えになったのはこのためです。私

たちがキリストによって、すなわち、キリストのからだの大切な一器官とされている私た

ちが、かしらにしっかりと結びつくことによって、からだ全体は成長するのです。キリス

トのからだの一器官とされた私たち一人ひとりは、かしらにしっかりと結びつき、かしら

に聞くことで成長します。そしてからだの全体、教会は成長するのです。

 再度16節。からだ全体の成長は、一つ一つの部分の成長が決め手です。しかもあらゆる

点において成長することが大事です。それを可能にするのは愛です。愛のうちに建てられ

るのです。他者を愛する愛がなければ、からだ全体の成長、教会の成長は望めません。私

たち一人ひとりが、どれだけ神の愛に生きようとするかにかかっているのです。

 十字架の愛、いのちを捨てるほどの愛で自分は愛されていることを確認し続けることが

大事です。私が主イエスに愛された十字架の愛は、からだの一器官として集められた隣の

キリスト者を愛する同じ愛です。主イエスの十字架の愛を互いに確認し合い、互いに愛し

合うのです。これは愛する主イエスの私たちへの命令「わたしがあなたがたを愛したよう

に、あなたがたは互いに愛し合いなさい」です。主イエスの自分への愛を味わい知り、そ

の愛で互いに愛し合うのです。この営みの中で教会、からだ全体は建てられていきます。

私たちがどれだけ神を愛しているかは、神の家族として集められた、主にある兄弟姉妹を

どれだけ愛しているかで判断できます。豊かに愛し合う者となりましょう。

 どのように愛し合うのか。だれもができることは、祈ることによってです。毎日執り成

しの祈りができます。祈りの手帳には、神の家族として集められた主にある兄弟姉妹の名

前が記されています。祈祷課題もあります。心をその人に合わせて課題を祈り、またその

人の信仰生活の守りと祝福を求めて祈るのです。祈った分だけが、その人への愛です。

 祈り会に集まり、心を合わせて祈り合うことができます。そこでは証や近況報告をし、

祈りの課題を出し合います。心を合わせ、心を込めて、祈りの手帳を用いても、執り成し

祈り合います。祈ることで愛し合い、他者を愛する愛が深められます。その結果、具体的

な助けを思い付くこともあります。そして助け合うことにも繋がります。

 受けるよりも与える方が幸いですと主イエスは教えられました。教会、からだ全体に対

しても、からだの他の器官であるキリスト者に対しても、自分は何ができるかを考え、そ

して仕え合う。そのようなお互いは、かしらであるキリストにしっかりと結びつくことに

よって、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆ

る結び目によって、しっかりと組み合わされ、つなぎ合わされ、愛のうちに建てられるの

です。そうして教会が、からだ全体がかしらなるキリストに達していくのです。

 私たちは、からだ全体の成長、教会の成長を目指す者として召され、光る海教会に集め

られました。この自覚に生きるのです。からだ全体に目を向けましょう。からだ全体の成

長に関心を向けるのです。愛をもって互いに忍び合い、愛をもって真理を語り、愛のうち

に建てられる。

 光る海教会は若い教会です。八重山再生プロジェクトとしての教会再生は2016年から始

まりました。CDでメッセージを送り始めてから丸9年となります。他教会から集められ

てきた方々もいます。個々人の信仰年数は長くても、光る海教会としてはまだ未熟と言え

ます。しかし一人ひとりがかしらであるキリストにしっかりと結びついて、主イエスから

学び、各器官が組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれが自分の分に応じて働くことに

より、ここまで成長してきました。さらに霊的に成熟した大人へと成長していくことを目

指していきましょう。今後も、光る海教会に新しく加えられる、新しいからだの一器官と

なるキリスト者が与えられていきます。その方々がしっかりと成長していくためにも、か

らだ全体が霊的に成長していることが重要となります。愛をもって真理を語り、あらゆる

点において、かしらであるキリストに向かって成長していく。私たちが目指すようにと招

かれている教会の成長する姿です。

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