2025年2月16日 礼拝「すべての人は罪の下にある」ローマ3:1~18
- hikaruumichurch
- 2月16日
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1章16節でパウロは、福音は、信じるすべての人に救いをもたらす神の力ですと記しま
した。これが福音についての、聖書の宣言です。信じるすべての人とは、十字架につけら
れたキリストを信じるすべての人です。主イエス・キリストを信じるすべての人に救いを
もたらす神の力という宣言を、私たちはその通りですと同意します。
救いの対象者に、人種や国籍、民族の区別はありません。ユダヤ人であっても、ユダヤ
人でなくても、キリストを信じるすべての人に救いをもたらす神の力、これが福音です。
逆に言うなら、ユダヤ人も、ユダヤ人ではない異邦人も、キリストを信じなければ、誰も
救われないということです。2章11節にあるように、神にはえこひいきがないからです。
ユダヤ人だから、すべての人が自動的に救われるのではありません。ユダヤ人ではない異
邦人だから、すべてが救いから除外されるのでもないのです。ユダヤ人であっても、ユダ
ヤ人でなくても、神の基準に従うのか、神の基準を拒むのかが問われているからです。
3章1節。では、ユダヤ人のすぐれている点は何かとの疑問が湧きます。割礼に何の益
があるのでしょう。ユダヤ人が神の民として選ばれたことの意味は何かという疑問です。
その疑問にパウロは答えます。2節。パウロは、あらゆる点から見て、それは大いにあり
ますと言いながら、一つのことしか答えていません。ユダヤ人が神の民として選ばれたこ
とのすぐれた点は、神のことばを委ねられたことです。これ以上の幸いはない、素晴らし
い恵みです。神のことばを委ねられること以上の祝福はありません。
しかしパウロは、第一に、と言いながら、第二や、第三について、何も触れないまま、
話を進めるのです。しかも9節では、私たちユダヤ人にすぐれているところは全くありま
せんと言い切ります。ユダヤ人が不真実で、不義、そして偽りがあるので、神のことばを
委ねられているというすぐれている点も、何の益ももたらさないということです。
3~4節。神は真実ですが、神の民とされたユダヤ人たちは不真実な者たちでした。神
には嘘、偽りは全くないのですが、その神のことばを委ねられたユダヤ人たちが嘘、偽り
の者たちだから、神の真実が無にされる、ということは決してないのです。不真実な歩み
をする神の民は、真実な神のことばに基づいて、神の公正なさばきを受けて滅ぼされた歴
史を、私たちは知っています。創造者であるまことの神を証し、その祝福を全世界に、す
べての国民に届ける祝福の基となるために、神の民として選ばれたのに、彼らのほとんど
は不真実になり、罪に陥り、その結果、神の真実に基づいて滅ぼされました。
すべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であることに変わりはありません。
神は義そのものであり、神のことばも義そのものです。神は嘘、偽りのない、正しい方で
あり、神は公正なさばきを行う方であると、私たちも宣言するのです。
4節の引用は、詩篇51篇からです。ダビデは姦淫を犯して、その女性を妊娠させ、その
隠蔽工作に失敗すると、夫ウリヤを戦場で殺して、その後で自分の妻とするという、王の
権威を用いて、姦淫と殺人の罪を巧妙に隠しました。しかし主なる神は、預言者ナタンを
遣わしてダビデの罪を突きつけたのです。ダビデは罪の事実を認め、罪を悔い改めて、赦
しを受けました。その告白が詩篇51篇です。神は罪を悔い改める者を赦されます。
創造者である神は、神に選ばれ、用いられた者が不真実であっても、それに左右される
ことはなく、常に公正を行う方、赦しを備えて、罪の指摘をなさる真実な方です。
5~6節。ユダヤ教的な考え方から解放されていないユダヤ人キリスト者から当然出さ
れるであろう問いかけを基にパウロは論を進めます。私たちと言うことで、自分もユダヤ
教徒であったことを前提にして、ユダヤ人の不義の事実を取り上げます。私たちの不義が
神の義を明らかにするのなら、不義に対して御怒りを下す神は不義となるのではないかと
いう屁理屈を取り上げ、決してそんなことはないと断言します。世界を公正にさばく義の
神は、私たちの不義に左右されるなく、義のさばきを行うのです。
7~8節。なおもユダヤ人たちが考えるであろう屁理屈を取り上げて問答を続けます。
私の偽りによって神の真理がますます明らかにされて、神の栄光となるのなら、神の栄光
を現すために用いられた私が、どうして罪人としてさばかれるのか。「善をもたらすため
に悪を行おう」と主張することができるのではないかと。
パウロが宣べ伝えている福音を聞いていると、パウロは「善をもたらすために悪を行お
う」と言っているように判断できると、あるユダヤ人たちは中傷するのです。しかし自分
の不義を正当化しようとして、福音に対して中傷する者たちが、神のさばきを受けるのは
当然です。神には不真実も、不義も、偽りもないからです。
9節。ユダヤ人のすぐれている点は大いにある、特に神のことばを委ねられている点が
何よりもすぐれていると語ったパウロが、ここでは、私たちユダヤ人に、すぐれていると
ころは全くないと断言します。神のことばが委ねられていることが、無条件にその人を神
の前に正しくすることにはなりません。ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下に
あるという事実を、だれもが自覚しなければなりません。義の神を恐れるべきです。
ユダヤ人もギリシア人も日本人も、すべての人が罪の下にあるを言い切る、その裏付け
として、10~18節でパウロは、旧約聖書のことばを引用します。
10~12節。詩篇14篇1~3節、53篇1~4節の引用です。
詩篇14篇1~3節。
愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて 忌まわしいことを行う
善を行う者はいない。主は天から人の子らを見下ろされた。悟る者 神を求める者が
いるかどうかと。すべての者が離れて行き だれもかれもが無用の者となった。善を
行う者はいない。だれ一人いない。
伝道者の書7章20節。
この地上に、正しい人は一人もいない。善を行い、罪に陥ることのない人は。
13節。詩篇5篇9節。
彼らの口には真実がなく、心にあるのは破壊です。彼らの喉は開いた墓。彼らはそ
の舌でへつらうのです。
140篇3節。
蛇のようにその舌を鋭くし 唇の下には まむしの毒があります
14節。詩篇10篇7節。
彼の口は 呪いと欺きと虐げに満ち 舌の裏にはあるのは 害悪と不法です。
59篇12節。
彼らの口の罪は 彼らの唇のことば。彼らは高慢にとらえられるがよい。彼らが語
る呪いとへつらいのゆえに。
15~17節。箴言1章16節。
彼らの足は悪に走り、人の血を流すのに速いからだ。
イザヤ書59章7~8節。
その足は悪に走り、咎なき者の地を流すのに速い。その思いは不義の思い。暴行と
破滅が彼らの大路にある。彼らは平和の道を知らず、その道筋には公正がない。自分
の通り道を曲げ、そこを歩む者はだれも平和を知らない。
18節。詩篇36篇1節。
私の心の奥にまで 悪しき者の背きのことばが届く。彼の目の前には 神に対する
恐れがない。
パウロは、数々の旧約聖書のことばを引用して、すべての人が罪の下にあると、神の民
イスラエルに対して語られていたことを確認させるのです。ユダヤ人もギリシア人もあり
ません。人はすべて罪の下にあり、神の御怒りが向けられていて、滅ぶべき存在になって
いるのです。これが私たちの、主イエスを信じる前の、現実です。
そのような私たちを、創造者である神は、ご自分のかたちとして、ご自分の似姿に創造
されたことのゆえに、滅びに向かっている私たちをかわいそうに思い、豊かなあわれみを
もって、罪の赦しを備えて、招いてくださいました。そのために愛する御子を人として、
罪のない方として、この世に誕生させ、神の御前に罪を犯すことのない生涯を歩ませ、私
たち全人類の罪をその身に負わせて、十字架で身代わりの処罰をされたのです。
十字架によって差し出された罪の赦しを、自分のためであったと受け入れ、十字架につ
けられた主イエスを自分の救い主と信じるすべての人に救いをもたらしたのです。これが
福音です。ユダヤ人のようになるために割礼を受け、律法に従う歩みをすることで救いが
もたらされるのではなく、ただ主イエスを自分の救い主、自分の主と仰いで、十字架で差
し出された罪の赦しを受け取ることで、誰もが救いに与ることができるのです。
有名な聖書の一つ、ヨハネの福音書3章16節は、次のように宣言します。神は、実に、
そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人とし
て滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
これこそが福音です。福音はすばらしい喜びの知らせです。罪のゆえに滅びに向かって
いた私たちに、永遠のいのちが与えられたことの宣言です。そしてこの福音、喜びの知ら
せは、そのまま滅びの宣言でもあります。つまり、御子を信じることがなければ、罪の赦
しを得られないので、その人の救いはない。滅びであるとする厳粛な宣言です。
だから私たちも、パウロと一緒に、大胆に宣言しましょう。1章16節。私は福音を恥と
しません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたら
す神の力です。
すべての人は罪の下にある。すべての人は罪のゆえに滅びに向かっている。しかし御子
を信じる者は、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つ。私たちキリスト信仰者
は、十字架につけられたキリストを自分の救い主と信じました。十字架で差し出された罪
の赦しを、感謝して受け取った者たちです。主イエスを信じる以外に救いはない。この福
音を備えてくださった方、創造者である神は真実そのものです。




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