2024年12月8日 礼拝「永遠の昔からの定め」ミカ5:2
- hikaruumichurch
- 2024年12月8日
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クリスマスを待ち望むアドベントも、第2週目になりました。アドベントとは到来、主
の来臨の意味です。私たちはクリスマス、主キリストの初臨を待ち望む期間を過ごしてい
るのですが、主の初臨とともに、主の再臨をも待ち望んでいるのです。
今週私たちは、主の初臨への備えをします。神が人として誕生したことを記念する日が
クリスマスであり、自分の救い主が誕生したことを覚え、感謝を新たにして、クリスマス
の良き日を迎えるのです。キリストを自分の救い主と信じたことは、自分の主として受け
入れ、あがめる者とされたということです。その備えをしましょう。
来週は、主の再臨への備えをします。キリストは王の王として、死ぬためにではなく、
公正なさばきを行うために再び来られます。私たちが主とあがめる方が、再び来られるの
を待ち望むための備えとしてもアドベントを過ごすということを確認するのです。
今日私たちは、ミカ書5章2節を中心に、神の救いの計画の全体を見ます。神の御子
が、私たち全人類の罪に赦しを与えるために、罪の処罰を身代わりに受けるために、人と
して生まれ、その生涯についても、永遠の昔から定められていたと確認するのです。
ミカ書1章1節。ここにミカ書の時代背景が記されています。ミカ書は、イザヤ書と同
時代の預言書で、ミカは南ユダ王国のヨタム、アハズ、ヒゼキヤ王の時代に活動した預言
者です。時代はアッシリア帝国が勢力を広げており、北イスラエル王国は滅ぼされます。
アッシリア軍は南ユダ王国に迫り、エルサレムは包囲され、危機的状況に置かれますが、
ヒゼキヤ王が助けを求めて祈り、主なる神がその祈りに応えて直接介入され、南ユダ王国
は守られました。しかし預言者たちは、新バビロニヤ帝国による滅亡を預言するのです。
主なる神は、預言者たちに命じて、滅びの宣告をさせます。と同時に、その後の回復を
も語らせます。預言者イザヤは、救い主の誕生について預言しました。救い主は処女が男
の子を産むという、超自然的な出来事を通して現れるのです。預言者ミカは、救い主はベ
ツレヘムで生まれると、その誕生の場所を伝えました。このように、救い主の誕生は約束
されたもの、しかも具体的に、どのようにして生まれるかを示すことで、そのお方が救い
主であるかを、客観的に検証できるように預言させたのです。
ミカ書5章2節。主なる神は、預言者ミカを通して、ご自分のためにイスラエルを治め
る者が出ると預言させました。神の民イスラエルは、偶像礼拝による背信と数々の罪によ
りさばかれ、滅ぼさざるを得ないと警告させ、と同時に、残りの者たちを残し、神ご自身
のためにイスラエルを治める者の出現を語らせたのです。民族による神の民イスラエルの
ためではなく、神のための支配者であり、神ご自身を真に証する神の民となる人々、新し
いイスラエルを治める者がベツレヘムから出ると約束させます。
「その出現は昔から、永遠の昔から定まっている」と。主なる神のために、イスラエル
を治める者の出現は、創造の始めから何度も約束されていました。人がこの地上に住み、
最初の人アダムとエバが罪を犯したその時点で、その約束は告げらたのです。創世記3章
15節に、女の子孫が生まれること、彼が苦しめられることで、罪人の救いとなることが預
言されています。私たちはすべて、人間の父親がいることのゆえに、男の子孫です。女の
子孫は、処女マリアから産まれた主イエス・キリストだけです。
創造者である神はアブラハムに約束されました。あなたの子孫を通して、全人類は祝福
を受けると伝えたのです。その子孫、救い主は、ダビデの子と呼ばれること、さらに預言
者イザヤを通して、メシヤは苦しみを受けることで、人々を罪から贖うと伝えました。
旧約聖書にある預言の数々を確認すると、そのほとんどは罪の指摘と警告、そして悔い
改めへの招きです。その招きに応じるときは回復が約束されますが、頑なに悔い改める拒
むなら、滅ぼされることが宣告されます。罪の指摘と悔い改めの招き、さばきの宣告と、
救いの約束は聖書全体に見られます。そしてそれらの中にメシヤ預言があります。
天地創造において、主なる神は人を特別に愛し、人格を備えた存在としました。天地創
造のみわざは人の創造によって完成し、神は、そのすべてをご覧になって、非常に良かっ
たと満足されたのです。創造者である神は人をご自分のかたちとして、ご自分の似姿に創
造されたので、人は神と人格的に、霊的に交わる者となりました。人は神を信頼して、神
に聞いて生きるという、神との親しい関係の中で、最も自分らしく、最も主体的に、最も
自由に生きることができる存在なのです。
しかし人は、与えられた自由意思を、神の基準で生きることにではなく、自分の判断基
準を優先することに用いてしまいました。すなわち、神の前に良いか悪いかを判断するの
ではなく、自分の目で見て良いか悪いかを判断して生きることを選んだのです。神よりも
自分を優先する生き方、これが、聖書が指摘する根源的な罪です。
創造者である神は、人を恵みと祝福で満たそうとし、思いのまま食べて良いと大盤振る
舞いの許可を与えました。しかし一つだけ禁じたのです。それが、善悪の知識の木の実を
食べてはならないという命令です。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬと警告され
ていたのに、人は命令を破り死ぬ者となったのです。しかし愛の神は、人の肉体的な死を
猶予され、悔い改めの期間とされました。人は肉体の死を迎える時まで、悔い改めへと招
かれています。神のあわれみのゆえに、罪の赦しが差し出されました。その赦しと救いの
ために、女の子孫の出現が予告され、主イエスの誕生によって実現したのです。
主なる神は、人に与えた自由意思を最大限に尊重されます。強制的に従わせることはな
さいません。人が、自分の自由意思で、創造者である神を自分の神とし、神を愛し、神の
基準を重んじ、神に聞いて生きることを選ぶのを待っておられます。人が自発的に、神を
中心に生きる者となることを願い、招き続けておられるのです。
そのために、人が、神が愛であることを知り、神の自分への愛を喜び、感謝して、神を
愛し、神を中心に生きる者となる、造られた本来のあるべき生き方に戻ることを選べるよ
うに、神の御子が人として生まれ、十字架で身代わりに罪の処罰を受けることで、神の愛
を知ることができるようにされました。そのためにクリスマスがあります。
旧約聖書に記された出来事は、神の救いへの招きを受け入れて救われたのか、頑なに拒
んで滅ぼされたのかの人類の歴史です。主なる神は、その時々において、神を信じ、神を
中心に生きる人たちを備え、神と共に生きることの幸いを証しさせました。また神は、そ
のような人々を用いて、罪の指摘をし、罪から立ち返るようにと促したのです。
神はアベルを立て、神への礼拝の何であるかを証しさせました。カインとそのささげ物
を受け入れることはしなかったのです。神はエノクを立て、神と共に生きる生涯の幸いを
証しさせました。エノクは300年、神とともに歩んだ結果として、死を見ることなく天に
引き上げられたのです。神はノアを立て、邪悪な世界は滅ぼされること、その中で神の救
いの招きに応じることで救われることを証しさせました。神はアブラハムを立て、彼の子
孫から特別な救い主が誕生することを約束しました。神はヤコブを選び、神を証しする神
の民としてのイスラエルを立てました。神はモーセを立て、神の民としてどのように生き
ることが真に幸いであるのかを、律法という形で定めたのです。
創造者である神は、罪に陥った人類をあわれみ、ご自分のもとに立ち返る道を示し、悔
い改めへと招き続けて、ご自分が愛であることを示し続けました。同時に、公正な義の神
でもあり、罪をことごとく憎み、必ず罰することも示し続けたのです。神の招きに応じ、
悔い改める者を救い、悔い改めることを頑なに拒む者を滅ぼされました。
旧約の神の民イスラエルは、その歴史のほとんどにおいて、神に聞き従って生き、神の
溢れるばかりの祝福を証しする、祝福の基として生きるよりも、他国の神々を慕い、偶像
礼拝をして、神の基準を疎んじ、神に背き、神に敵対する歩みを繰り返しました。そのよ
うな中にあっても、神の恵みと神の真実とを見つめて歩んだ人たちを、主なる神は、ご自
身の真実にかけて守り、祝福し、ご自分の計画に用いられたのです。
私たちは、神の基準は正しく、すばらしいと、頭では分かっています。しかしその基準
に従うことをさせない罪の力の大きさを自分自身の内に見るのです。神の愛を信じ、神に
信頼して、神の助けを求めるなら、主なる神はその大きな恵みで、ご自分に信頼する者を
祝福し、人々の祝福の器として用いてくださるという神の約束を知っていても、そのよう
に生きさせない罪の力の深刻さを思わされるのです。
救いようのないほどに霊的腐敗が進む神の民イスラエルへの滅びが宣告される中で、救
い主誕生の約束が、より具体的に、より明確に語られていきます。私たち人間の罪がどれ
ほど深く、どれほど重いものであっても、滅ぼさざるを得ないほど腐敗を極めても、神の
私たちへの愛は変わりなく、私たちが自分の罪を認め、赦しを求めて悔い改めるなら、愛
の神はそのすべてを赦し、罪のない者、罪を犯さなかった者と見なして、救いを得さてく
ださるのです。地上生涯が続く限り、神の私たちへの招きも続くのです。
しかし頑なに、自分の罪を認めず、悔い改めることをせず、神の救いへの招きを拒み続
けるなら、その地上生涯を終わりとともに滅びることになるのです。義の神は、罪の赦し
を拒んだ者の罪を見逃すことをせず、必ず罰するからです。
創造者である神の定めのとおり、救い主イエス・キリストはベツレヘムで、処女マリア
から生まれ、人間の赤ちゃんとして出現しました。私たちに罪の赦しを備えるため、十字
架で全人類の罪の身代わりに処罰されるために、人間となられたのです。そのことを記念
するクリスマスは、愛の神から私たちに、永遠のいのちがプレゼントされた日です。と同
時に、このお方が備えた赦しを拒む者への滅びが明確にされた日でもあります。クリスマ
スは、神の愛と神の義がはっきりと示された日なのです。
神のための新しい支配者・キリストに従うまで、私たちを支配しているのは罪です。罪
が私たちを支配し、罪が私たちを迷わせます。頭では正しいことが分かっていても、それ
をすることを躊躇させ、頭では悪いと分かっていても、それを行わせるのです。やめるべ
きだと決断しても、繰り返し行わせます。そのような罪を抱えている自分に気づいている
のではないでしょうか。罪が私たちをして、様々な悲惨や不幸を生じさせているのです。
クリスマスを迎えるにあたって、神のために私の新しい支配者が現われた日であること
を確認しましょう。救い主イエス・キリストの支配に自分を差し出して、主イエスに聞い
て生きる者となるように招かれています。主イエスの十字架によって現された、神の私へ
の愛とあわれみを知った私たちですから、主イエスの支配に自分を委ねて生きることを選
べるはずです。いのちを捨てるほどの愛で愛してくださった主イエスの愛を喜び、感謝し
て、主の愛に応えて主を愛する者となり、新しい支配者として迎える。クリスマスとはキ
リスト礼拝の意味です。真にクリスマスとして、迎える私たちとなりましょう。




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