キリスト教会は、天地万物の創造者、唯一のまことの神を紹介し、罪の赦しを伝え、永
遠のいのちを得るようにと救いへの招きをしています。創造者である神は、私たち人間を
愛して、ご自分のかたちとして、ご自分の似姿に、特別に創造されました。そうして私た
ちを祝福で満たそうと恵みを与え続けておられます。創造者である神は、愛であるととも
に義の神です。私たちが犯す罪や悪を見過ごしにはせず、必ず罰します。今日私たちは、
ソドムとゴモラという都市国家が滅ぼされる出来事を見ますが、公正なさばき主である神
は、あわれみのゆえに、救いへと招いておられることをも確認します。
今日の聖書の箇所は、今から4000年ほど前の出来事になります。信仰の父アブラハム
の時代に、これら都市国家が滅ぼされます。その記述は19章ですが、この18章では、神
がアブラハムにその計画を知らせ、アブラハムは執り成し祈ったことが記されています。
18節。神がアブラハムにソドムとゴモラを滅ぼす計画を知らせた理由です。神である主
がアブラハムを選んだのは、その子孫によって、地のすべての国民が祝福されるためし
た。子孫が主の道を守り、正義と公正を行うことで、それは実現するのです。
20~21節。創造者である神が、これらの町々を滅ぼす理由です。その住民の罪はきわ
めて重いと断定されたのです。主は御使いを遣わして、実際に住民たちが行なっている罪
の現実を確認させます。すべてをご存じである神は確認する必要もないのですが、これは
私たちが、この出来事に納得するための配慮と言えます。
ソドムとゴモラを滅ぼすという、神である主の計画を聞いたアブラハムは、甥のロトと
その家族のことを案じました。ロトとその家族は今、ソドムに定住していたからです。
23~25節。アブラハムは、全地をさばくお方は、公正を行なうべきではありませんか
と訴え、執り成します。滅ぼさざる得ないほどの悪い者が、これらの町のほとんどを占め
ていても、正しい者をも滅ぼして良いはずはないと、主なる神に訴えたのです。
26節。アブラハムが50人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですかと
訴えたことに対して、神である主は、50人の正しい者を見つけたなら、滅ぼすべき町の全
部を赦そうと言われました。創造者である神は、祝福と恵みに富んでおられます。私たち
人間が悪を行っていたとしても、闇雲に罰し、杓子定規に、滅ぼすことはなさいません。
悔い改めることを願い、赦しを備えて招き続けておられるのです。だから正しい者が50人
いるなら、町全体を赦すと断言されました。
しかしアブラハムは不安になります。本当に50人の正しい者がいるだろうかと。それで
祈り続けました。45人、40人、30人、20人と人数を減らしながら訴え続けたのです。そ
の訴えに対して、神である主は町全体を赦すと繰り返し言われました。
32節。アブラハムも、ソドムとゴモラの人々の邪悪さを知っていました。それで10人ま
で人数を減らして訴えたのです。それに対して、神である主は、10人の正しい者を見つけ
たなら、それらの町全体を赦すと言われました。
アブラハムの執り成しは終わります。アブラハムはこの祈りを通して、主なる神は正し
い者を悪い者と一緒に滅ぼすことはしないお方であると確認するのです。そして主なる神
がソドムとゴモラを滅ぼすならば、それらの町々は滅ぼす以外に道がないほど堕落しきっ
ていると納得したということです。これは祈り込んだ者だけが持てる確信です。祈り込む
のでなければ、または、ただ自分の願いを訴えるだけなら、自分の願いと違うことが行わ
れた時、私たちは神に対して、不平や不満を抱くことになるかもしれません。
19章を確認すると、ソドムとゴモラには正しい者はいなかったことが分かります。アブ
ラハムの甥のロトも、その家族も、ソドム滅亡が宣告されているのに、逃げ出すことを躊
躇したことも分かります。ロトとその家族は、ソドムでの生活が長くなり、財産も増えて
いました。そうしていつしか、自分のいのちよりも財産が大切になっていたのです。その
結果彼らは、神のことばの警告よりも、物質的な祝福の保持を選ぼうとしたのです。
富とか財産は、神の恵みによって与えられるものです。そしていのちが保たれることで
活用ができ、価値があります。しかし富が増えるにしたがって、富を管理して活用するこ
とではなく、富に支配されることがあるのです。その結果、いつしか富のない生活は考え
られなくなり、富のためにはいのちさえも捨てようとします。ロトとその家族は、まさに
そのような状態に陥っていました。彼らは、いのちよりも富が大事になっていたのです。
19章16節。主のあわれみによって、ロトとその家族は救い出されます。アブラハムの執
り成しの祈りを受けての、主のあわれみです。私たちが家族や親族、友人、知人のために
執り成し祈りをするのは、主のあわれみを期待するからです。私たちは熱心に執り成し祈
り続ける者となりましょう。家族、親族、友人、知人の救いのために執り成すのです。
12節。神の使いはロトを促します。この町にいる身内の者をみな、この場所から連れ出
しなさいと。この場所から離れるなら、その者を滅ぼさないと約束しました。その者が正
しいかは救いの条件から除外されています。神のさばきの宣告を受け止め、この場所から
離れるという神の招きに応じるなら、滅びを免れ、いのちを得るのです。
公正を行う神は愛とあわれみに富むお方です。私たち人間をこよなく愛し、救いへと招
き続けます。救いの条件は神のことばに自分を合わせることです。ロトとその家族は、ソ
ドムの生活が大事になり、神の招きに応じることを躊躇しました。彼らはソドムの町とと
もに滅ぼされても仕方のない応答をしたのです。そのようなロトと家族に対して、アブラ
ハムの執り成しによる主のあわれみが注がれました。また身内の者も、ロトの促しに応じ
るなら、つまり神のことばに自分を合わせるなら、正しいとは認められない者も、滅びか
ら救われるということです。ロトとその家族は強制的に町から連れ出されました。アブラ
ハムの執り成しの祈りに対する、神のあわれみのみわざです。16節。
新しい契約の現代は、主イエス・キリストを信じる信仰が救いの条件です。神の御子が
人となられ、この地上に来られました。赤ちゃんとして生まれたのです。クリスマスは人
となられた神の誕生を記念する日です。このお方、主イエス・キリストが人となられたの
は十字架で死ぬためでした。全人類が犯したあらゆる罪をその身に負って、身代わりとし
て罪の処罰を受けたのが十字架刑です。その十字架の死は自分のためであった、自分の罪
を赦すための身代わりであったと信じる者は、その人がどれほどの罪を犯していても、そ
のすべてが赦され、滅びから救い出されます。永遠のいのちが与えられるのです。これが
新しい契約時代の神の招きであり、救いの条件、約束です。
みなさまはこれまで、どれだけの罪を犯してきたでしょうか。小さな罪や大きな罪、心
の中で犯した罪、検挙されはしなかったけれど、明らかな違反行為など、犯した罪をどれ
だけ思い起こすでしょうか。その罪に赦しが備えられています。赦しとは許可ではありま
せん。なかったことにするということです。明らかに罪を犯してきたのに、創造者である
愛の神は、その罪を犯さなかったと見なすということです。これが赦しです。
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっていると、聖書は宣言し
ます。公正を行う義の神が死と死後のさばきを定めました。公正を行う義の神は、どんな
些細な罪も見過ごさず、必ず罰します。しかし愛の神は、罪を犯してきた私たち人間を愛
して、その罪を赦そうと招いておられます。そのためにイエス・キリストを十字架で死な
せました。私たちの罪を、主イエスの十字架で、代わりに処罰したのです。
これは神のあわれみによる恵みのみわざです。創造者である神の側では、人間の罪に対
する処罰は完了しました。そして私たちを、救いへと招き続けておられます。この神の招
きに応じること、主イエスを信じることが、私たちが滅びを免れる唯一の道です。
今週のみことば。「御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれてい
る。神のひとり子の名を信じなかったからである。」
私たちへの救いの招きは、私たちが地上生涯を終えるまで続きます。救いの条件は神の
御子イエス・キリストを救い主として信じることです。主イエスを信じる者が犯した罪に
対するさばきは、あの十字架刑で終わっているので、赦された者は、死後、さばくべき罪
はないと言われます。しかし信じない者の罪は残ってままなので、死後、さばかれること
になります。罪の赦しによる救いへの招きは、地上生涯が終わるまでです。
すでに神である主を信じている方は、この救いにしっかりと立ち、地上生涯を主ととも
に歩み続けましょう。まだ信じていない方は、自分に罪があることを自覚しているはずで
すから、その罪のために主イエスが十字架で死なれたことを受け入れ、差し出されている
罪の赦しを受け取って、滅びから救われようではありませんか。
主イエスを信じて救われた方は、アブラハムに倣って、家族や親族、友人、知人のため
に、その救いを求めて執り成し祈る者となりましょう。私たちがなす執り成しの祈りを、
創造者である神は聞いていてくださり、あわれみを注いでくださいます。その人の地上生
涯が続く限り、私たちが執り成し続けることが大事です。先に救われて、救いの恵みを味
わい、救いの喜びを知った者として、主イエスを信じることができるように、永遠のいの
ちに生きる者となれるように祈り続けるのです。一人の人が主イエスを信じ、救われたな
ら、これほどの幸い、喜びはありません。天上でも大きな喜びがわきあがります。
クリスマスが近づいています。神の御子イエス・キリストが人として生まれたことを記
念する日です。神の御子、主イエスは、十字架で死ぬために人として生まれました。罪の
ないお方として生まれ、罪を全く犯さなかったので、全人類の身代わりになりました。す
べての人のあらゆる罪をその身に負って、十字架刑に処せられたのです。この身代わりの
処罰によって、私が、あなたが犯してきた罪に赦しが備えられました。
私たちが罪を赦され、滅びから救われるのは、主イエスを人となられた神であると信じ
ること、主イエスの十字架によって、罪に赦しが備えられたことを信じ、受け取ることに
よってです。神のあわれみ、恵みに感謝しましょう。
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