今年も、敬老の日に合わせて、敬老祝福礼拝を主なる神にお献げしています。聖書は年
配者たちに対して、敬意を表すことを命じています。レビ記は「あなたは白髪の老人の前
では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」
と記します。箴言にも「老人の輝きはその白髪」とあります。これは老人の白髪をたたえ
るということではなく、老人の輝きそのものを、白髪になぞられて語っているのです。私
たちは、聖書で主なる神が示しておられる、年配者たちへの見方を、私たちの年配者への
態度としたいのです。そうして敬老の日だからということではなく、いつも、いつでも、
年配者たちに対して、その存在そのものに敬意を表す者でありましょう。
今日私たちは、アブラムの生涯を見ます。主に信頼して歩む生涯の幸いと光栄を確認す
るのです。そうして、私たちもまた、主に信頼して歩む生涯を、地上最後の日まで歩み続
け、主に信頼して歩む生涯の幸いと光栄を、体験として味わう人生としましょう。
今日の箇所には、主なる神がアブラムに語りかけ、アブラムが祝福の約束を信じ、神の
招きに応じたことが記されています。アブラムが、後にアブラハムとなりますが、信仰の
父と紹介される信仰の歩みの、その最初の記録が今日の箇所です。今日私たちは、神を信
じる信仰者としての模範、その信仰姿勢を確認し、自分のものとしたいのです。
創世記11章までの記録、天地創造からバベルの塔の出来事までは、歴史的な年代を確定
することはできません。そこまでの記録には省略が多々あるので、一つ一つの記録の年代
を確定することができないからです。それに対してアブラムからは、多少のズレがあって
も年代を定めることができます。アブラハムは紀元前2000年代の人物です。私たちは、今
から約4000年前の出来事の記録を見ているということです。
11章31節。ここに、カルデヤのウルからカナンの地へ行こうとした人々が記されてい
ます。この一行のリーダーはアブラムの父テラです。主なる神はアブラムを選び、カナン
の地へ行くようにと語りかけたのですが、テラがその招きに応じた息子と行動を共にした
のです。テラがリーダーであったので、ハランまで来て定住することになりました。
テラの信仰について、ヨシュア記24章で若干触れられています。テラはほかの神々に仕
えていました。カルデヤのウルはユーフラテス川の下流、ペルシャ湾に近い古代バビロニ
ヤに存在していたと考えられ、月の神を拝でいました。テラも、その親族も、創造者であ
るまことの神ではなく、月や星々を拝んでいたと想像できます。主なる神は、そのような
宗教的な背景を持つ集団の中から、アブラムを選び出したのです。
12章1節。主は再度アブラムを招きます。この語りかけはカルデヤのウルでの招きと同
じであったと思われます。生まれ故郷を離れ、父の家を出なさいとは、ただ単に親族と分
かれるということではなく、偶像礼拝の直中からの分離、神なき文化を断ち切ることへの
招きでした。アブラムは一旦は従ったのです。そうしてカルデヤのウルを出ました。しか
しハランに住み着いたということです。その経緯については、明確には分かりません。
11章27~28節。ここにテラの行動が想像できます。テラは息子の一人に先立たれまし
た。この悲しみの中で、まことの神を求めて、アブラムに同行したのかも知れません。ウ
ルからハランまでは直線距離で1,000km近くあります。石垣島から鹿児島ほどです。徒歩
での移動ですから相当の時間を要したでしょう。その期間を経て、息子を亡くした悲しみ
も薄れ、月の神を拝むというウルと同じ宗教的な状況にあったハランに住み着いてしまっ
たのかも知れません。喉元すぎれば暑さを忘れるではありませんが、真に神を求める信仰
ではないと、いつしか旧態依然に戻ってしまうのです。私たちも気をつけましょう。
どれほどの期間ハランにいたのか分かりませんが、主なる神はアブラムに対して、父の
家を離れること、その習俗から分離することへと招きました。
2~3節。神のことばに従うときに与えられる、祝福の約束です。神の招きはいつも同
じです。招きをし、その招きに応じるなら、祝福が約束されています。主に従って、カナ
ンの地に行くなら、アブラムの子孫は大いなる国民となり、祝福に与かる。アブラムの名
は大いなるものとされ、祝福となる。アブラムを祝福する者を神は祝福し、アブラムを呪
う者を神は呪う。アブラムによって地上のすべての民族は祝福を受けるのです。
私たちへの神の招きも同じです。まず神の国とその義とを求めるなら、それに加えて、
物質的な必要のすべてが与えられる。求めるなら、父なる神は求める者に良いものを与え
てくださる。など、招きと招きに応じた時の祝福が約束されています。私たちは、聖書か
ら神の語りかけを聞きます。神は命じ、招きます。その招きに応じて歩み出すなら、神は
約束した祝福を与えてくださるのです。私たちがすることは、招きに応じることです。
4節。アブラムは主が告げられたとおりに出て行きました。父テラは存命中です。文字
通り父の家を出ました。アブラムは、主を信じ、主の約束を信じたのです。保証は何もあ
りません。ただ主なる神を信頼して、そのことばに拠り頼んで出発しました。この時アブ
ラムは75歳です。神の招きに応じる信仰の歩みに、年齢は関係ありません。
神を信じるというのは、神を信頼して、神のことばに従うことです。私たちの信じる力
が強いか弱いかではなく、神のことばを神のことばとして信じるかどうか、神のことばだ
からと拠り頼んで、一歩足を進めるかどうかです。信じられないという思いがあっても、
主なる神が語っておられるのだからと、それに賭けて一歩を進める、それが信仰です。ア
ブラムは神を信じました。だから神の招きに応じ、神に従ったのです。
ヘブル人への手紙11章8節。アブラハムは神のことばを信じ、約束の地がどのような地
であるのかを知らないまま、神の招きに応じて出て行きました。この手紙の著者はアブラ
ハムの行動を信仰によってと、信じるがゆえの行動であると称賛します。
1節。信仰の定義です。信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させ
るものとあります。自分の信仰は強いから、信じたとおりになるという自分の信仰ではあ
りません。自分の信仰は強いか、そうでないかに、意味はありません。主なる神と神のこ
とばに対する信仰が問われているのです。神のことばだから、それに応じることがどのよ
うに導かれるかは分からないけれど、神のことばの通りになると確信するのです。
6節。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられ
ることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければなら
ないのです、とありますが、私たちは主イエスを信じる信仰によって、主なる神を父なる
神と仰ぐ神の子どもとされました。神のこどもだから、信仰によって、父なる神に喜ばれ
る者とされたいのです。神がおられることはもちろん知っていますし、信じています。こ
こで止まってはなりません。神を求めて、報いを受ける者でありたいのです。
アブラムは75歳の時に、神の招きに応じて、神とともに歩む道に進みました。99歳で
多くの国民の父になるとの意味を込めて、アブラハムと名前を変えていただき、報いとし
てイサクを世継ぎとして与えられました。100歳と90歳の老夫婦に、約束の世継ぎが与え
られたのです。そして175年の生涯を終えました。聖書は、アブラハムは幸せな晩年を過
ごしましたと、その生涯を総括しています。まさに主なる神とともに歩む道を選び、生涯
主なる神を信頼して、神のことばに自分を合わせる、信仰の父と称された生涯でした。
私たちもアブラハムに倣いましょう。主なる神だからと信じて、主が語られたことばだ
からと拠り頼んで、そのことばに聞き従う一歩を踏み出すのです。主の約束のことばに拠
り頼んで、一歩、一歩、主と共に足を踏み進めるのです。
年配者のみなさまが、さらに主に祝された地上生涯、信仰の生涯を過ごされますよう、
主の恵みと祝福を祈ります。アブラハムは75歳で、主とともに歩む歩みに進みました。一
度は主の招きに応じて、主とともに歩む歩みに進みましたが、父テラが同行したことで中
断させられました。しかし主なる神は、再度アブラムに声をかけ、主とともに歩む歩みへ
と招いてくださいました。私たちは繰り返し、やり直すことができます。何歳からでも、
主とともに歩む歩みへと招かれています。そうして、その招きに応じて、主とともに歩む
歩みを進めるなら、主なる神は豊かに祝福し、幸いな生涯を歩ませてくださいます。
詩篇92篇に「年老いても、なお実らせ、青々と生い茂ります」と約束されています。こ
のような地上生涯、信仰の生涯を送ることを得させるのは、どこにいても、どのような状
況に置かれても、それがたとえ悲惨と見える状況であったとしても、そこに主なる神はと
もにおられるからです。
今、まだ若いと思っているみなさまも同じです。私たちの望みである主なる神を拠り所
として、主とともに歩む歩みを進め、信仰の歩みを続けるのです。今を、そしていのちの
日の限り、主の臨在を確認し、ともにおられる主とともに歩む生涯を積み重ねるのです。
私たちは主イエスの十字架の贖いを自分のためであると信じ、受け入れた者たちです。
いのちを捨てるほどの愛で、主イエスに愛されている私たちです。年輩のみなさまも、ま
だ若い方々も、このお方の愛を味わいながら歩み、このお方を愛し、祝福と恵みに満ちて
おられる全能の父なる神をあがめる歩みを続けましょう。みなさまに主の豊かな恵みと祝
福が満ち溢れますように。
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