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2024年2月18日 礼拝「ローマ兵を用いての守り」使徒の働き21:31~36

  • hikaruumichurch
  • 2024年2月18日
  • 読了時間: 9分

 私たちは毎月1回、使徒の働きを通して、主なる神のみわざを確認しています。今日は

その29回目となります。使徒の働きですが、正しくは使徒たちを用いての神のみわざ、聖

霊の働きと言えます。ここしばらくは、パウロを用いての世界宣教を見ていますが、私た

ちはパウロのすばらしい働きに目を奪われるのではなく、パウロの信仰姿勢を、そしてパ

ウロを用いてすばらしい働きをなしておられる主なる神に目を向けることが大事です。主

なる神は、私たちを用いても、すばらしい働きをなさる全能の神です。

 17節。パウロは第3次伝道旅行を終え、エルサレムに着きました。ギリシア諸教会から

の支援献金を、エルサレムの教会に届けることが目的です。この後、派遣教会のアンティ

オキア教会に戻り、伝道旅行の報告をする計画でしたが、主なる神の計画は、パウロをエ

ルサレムで捕らえさせた上で、主の証人として用いることでした。

 18節。パウロはヤコブを訪問したとあります。彼は12弟子のヤコブではなく、主イエス

の弟のヤコブです。主イエスの十字架と復活の後、ヤコブは兄イエスを救い主、神と信じ

る者となり、その後、エルサレム教会の重要な指導者となっていました。

 19節。パウロは自分の奉仕を報告します。ここに、私たちが見倣うべきパウロの信仰姿

勢が記されています。パウロが報告し、説明したことは、自分の奉仕の内容ではなく、自

分の奉仕を通して神がなされたみわざです。私たちはともすると、自分の働きを報告し、

自分に栄誉を帰する誘惑に引き込まれることがあるのですが、そうではなく、神の働きに

自分が用いられていることを喜び、神がほめたたえられることを喜びとしましょう。

 20節。人々は神をほめたたえました。これが大事なことです。その上で、エルサレムの

聖徒たちは、パウロに関する懸念を正直に話すのです。それが21節です。

 パウロに委ねられた福音は、主イエスを信じる信仰によって罪が赦されるという良き知

らせです。救いは主イエスを信じる信仰によってのみ与えられるのであり、この信仰に何

も付け加えてはなりません。ですからパウロは、ユダヤ人にも、異邦人にも、主イエスの

十字架の死と復活を伝え、主イエスが救い主であり、神ご自身であると受け入れるように

福音を伝えたのです。そうして異邦人、つまりユダヤ人以外の人々に対して、ユダヤ人の

ようになる必要はないことを伝えていました。

 パウロの福音宣教に反対するユダヤ人たちは、パウロがユダヤ人に対しても、子どもに

割礼を施すな、慣習にしたがって歩むなと言っていると曲解しているから、まずはその誤

解を解くことが大事であると、聖徒たちは助言したのです。その助言が23~24節です。

 さてパウロは、その助言に従って行動します。無用な誤解を招くことは福音宣教の妨げ

になりますから、ユダヤ人にはユダヤ人のようにという姿勢に徹して、ユダヤ人たちにつ

まずきを与えないようにしたということです。

 27節。律法に基づいて行動していたその七日の期間が終わろうとした時、アジアから来

たユダヤ人たちの間違った思い込みのために騒動が起こりました。29節にあるように、パ

ウロがエペソ人トロフィモと一緒に町にいたことを見ていたユダヤ人たちが、パウロがト

ロフィモを神殿の中に連れ込んだと思い込んだことで騒ぎを起こし、パウロを捕らえて、

神殿の外に引きずり出し、殺そうとしたのです。

 31節。その騒動、エルサレム中が混乱状態に陥っているとの報告がローマ軍の千人隊長

に届けられ、すぐに彼は、百人隊長たちを率いて群衆とパウロを引き離したのです。ロー

マ軍駐留の主な役目は治安維持ですから、それを鎮めるために、騒動の原因となったパウ

ロに嫌疑をかけ、なぜ騒動が起こったのかの原因を突き止めようとします。それが33節の

処置です。二本の鎖で縛り、パウロが何者で、何をしたのかの取り調べを始めました。

 34節。群衆はそれぞれに違うことを叫び続けていて、確かなことを突き止めることがで

きず、群衆の暴行を避けるために、パウロを担ぎ上げて引き離したのです。

 これが今日の箇所の概要です。前回確認したように、パウロに関する預言がなされてい

ました。パウロがエルサレムに行くならば、ユダヤ人たちに捕らえられることが伝えられ

ていたのです。しかしパウロは、危険があると言われても、自分に委ねられた使命を果た

すことを選びました。それは神への信頼があるからです。地上での使命が与えられている

限り、どのような状況に置かれても、主の守りがあるとの確信があるのです。パウロは告

白します。「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語

り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。私

にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です」と。

 礼拝招詞で詩篇121篇を読んでいただきました。「私は山に向かって目を上げる。私の

助けはどこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」

 義人ヨブも告白しています。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。

主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」

 私たちキリスト信仰者は、主イエス・キリストを信じる信仰が与えられ、罪が赦され、

神の子どもとなる特別な権利も与えられました。主イエスを信じたということは、創造者

である神を自分の神と仰ぐ者となったということです。創造者である神が天地万物を創造

し、被造世界のすべてを治めておられます。私たちにいのちを与え、地上生涯を歩ませ、

必要のすべてを満たしてくださる祝福の神、恵みの神です。そうして新しい天と新しい地

の再創造に至るまで、歴史を導き、みこころをなしておられます。この事実を確認し、こ

の事実に基づいて、私たちは、地上生涯を歩んでいるのです。

 全能の神、全地の主であるお方が、私たちの地上生涯が続く間、導き、守り、支え、使

命を果たさせてくださいます。預言者イザヤは神のことばを伝えました。「恐れるな。わ

たしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを

強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」と。

 詩篇作者も告白します。「たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れま

せん。あなたが、ともにおられますから」と。私たちもパウロとともに大胆に告白しま

しょう。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今

あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあ

るものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、

私たちを引き離すことはできません」と。

 今日の箇所で、主なる神は、ローマ兵を用いて、パウロを守りました。まだ使命が残っ

ているので、その使命を果たさせるために、どのような危険にさらされたとしても、主な

る神の守りがあるのです。主なる神が、私たち一人ひとりの地上生涯を定めておられ、そ

れぞれに使命を委ね、その使命を果たすことができるように導いておられます。その間は

だれも、私たちのいのちを奪うことはできません。私たちとともにおられるお方が、私た

ちを御手の中で守ってくださるからです。

 もう一度確認しましょう。私たちが信じた神は全能の神です。私たちを愛して、私たち

を罪と滅びから救い出すために、神の御子を人として遣わし、私たちの罪をその身に負わ

せて罪の処罰をなし、私たちに罪の赦しを差し出されたお方です。これほどの愛で私たち

は愛されているのです。「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き

離すことはでき」ないのです。

 パウロに委ねられた地上での使命はなお残っています。この後、囚人として捕らえられ

ることでユダヤ人たちから守られることになります。そうしてカイサリヤに移送され、2

年間の牢獄生活を送るのです。ただある程度の自由は与えられます。その間に、主なる神

が自分をどれほどの恵みをもって導いてこられたかの証しを2度します。1度は千人隊長

の許可の下でユダヤ人たちに、もう1度はローマ総督とアグリッパ王やローマ政府の高官

たちの前で、証しする機会が与えられます。そうしてローマに移送され、さらに2年間、

ローマ兵の監視下に置かれるけれど、より自由が与えられて、証しを続けることが許され

るのです。その後釈放され、伝道活動を再開しますが、再度捕らえられ、今度は、ローマ

の手によって殉教することになります。使命が終わったということです。

 私たちも同じです。置かれた社会状況は違いますし、時代の背景も異なりますから、そ

れぞれが味わう困難や問題も同じではありません。しかし全能の神、愛と恵みに満ち、必

要を満たしてくださる神は、私たちとともにおられ、私たちを守り、私たちに委ねられた

使命を果たさせる間、だれにも、私たちのいのちを奪うことを許しません。

 私たちを守るのに用いられるのはローマ兵ではありません。そして主なる神は何を用い

て私たちを守るのかは知らされませんが、「わたしがあなたを守る」と言われるのです。

私たちが、愛するお父様とお呼びする全能の神、創造者である神が、あなたを守るのです

から、何も心配せずに、このお方の愛を味わい、このお方に信頼し、このお方に頼って、

自分がなすべき一つ一つのわざを、誠実に、忠実に果たす歩みを続けましょう。

 私たちの愛する家族、親族、友人、知人、まだ主イエスを信じることができないでいる

人たちの救いのために執り成し祈り続け、福音を伝えることも、自分に委ねられている大

きな使命の一つです。キリストをかしらとして仰ぎ、キリストのからだを構成する大切な

一器官として教会に集められている私たちキリスト信仰者ですから、主と主の教会を建て

あげるお互いとして、組み合わされ、結び合わされて、愛のうちに成長することを求める

のも、大切な使命でもあります。主と主の教会に仕えることを喜びとしましょう。

 パウロの地上生涯を導き、主の働きに用いてくださった主なる神は、私たちの地上生涯

を導き、ご自分の働きに、私たちをも用いてくださいます。そうしてその間、私たちの必

要を満たし、あらゆる危険、問題、状況の中を、共に歩み、助け、守ってくださるのです。

主に信頼し、主を頼む私たちとして、信仰の歩みを続けましょう。

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