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2024年2月11日 礼拝「火をもって答える神」列王記Ⅰ18:20~29

更新日:2月14日

 アハブ王の時代、北イスラエル王国は国全体がバアル礼拝に陥っていました。アハブ王

夫妻が主導してバアル礼拝を推奨していたからです。創造者である神は預言者エリヤを遣

わして、アハブを始め、民衆に悔い改める機会を備えました。

 前回私たちは17章から、天候を支配し、豊穣をもたらす神として、バアルを信奉するア

ハブ王に対して、預言者エリヤが、数年の間、露も降りず、雨も降らせないとの神のこと

ばを伝え、真に天候を支配し、豊穣をもたらしておられるのは、イスラエルの神であると

宣言し、実際になされたことを通して、生きておられるまことの神は、創造者である神で

あること、この神が、私たちをも守り、必要を満たしておられると確認しました。

 今日の箇所18章では、バアルの預言者450人、アシェラの預言者400人、計850人とエ

リヤとの直接対決の場が設けられ、イスラエルの民に、どちらが本物の神であるかを見極

めさせ、選ばせようとしたことが記されています。私たちは、創造者である神、生きてお

られるまことの神を、自分の神、主と崇めて歩むことを、選び取る者となりましょう。

 私たちはだれもが、何かに頼って生きています。宗教的なこと、思想的なこと、物質的

なこと、いろいろとあるでしょう。万物を創造された主なる神は、私たち人間を、自分一

人で生きられる存在としては創造されませんでした。だから人はみな、何かに頼って生き

ています。私たちは、生かしてくださる方がいて、生きるに必要な様々なものに支えられ

て、生きているということ、この事実を謙虚になって認めましょう。

 宗教面において、人はいろいろな神々を作り上げてきました。その神々に頼りならが生

きています。無神論者であると豪語する者も、神に代わるものを思想の中に作り、その思

想に依存することで神にしていると言えます。まことの神から離れても、神を求める、神

に頼る根源的な欲求があるので、世界各地に、人間が住んでいる所ならどこにでも、何か

しらの宗教が存在しています。しかしそれらは代用品です。本物の神を見出し、自分の神

と仰ぐまでは、人は、真の満足も平安も得ることはできないのです。

 神々を考える時、大きく二種類に分けることができます。「人間を」と「人間が」で分けら

れるのです。人間を造られた神と人間が造り出した神です。私たちキリスト信仰者が信じ

ている神、天地万物を創造された生けるまことの神と、かつての私たちも頼っていた、人

間が考え出し、人間が作り出した神の二種類です。

 造り主と造られたものを比べて考える時、私たちはだれもが造り主の方が造られたもの

よりも偉大であると判断します。私たちの社会を考えても、人間は物を作る能力があり、

私たちの周りには、人間が作った様々な物があります。その作品の素晴らしさを認め、称

賛する時、私たちは作者を認め、称賛しています。作られた物は作り手の一部と言えるの

ですから、人間が作った、考え出した神々は、人間以下の存在であると分かります。

 諸宗教の神々は人間が考え出したものです。神々の像は人間の作品です。冷静に考えれ

ば判断ができでしょう。それらの神々は人間以下であり、人を救うことはできません。し

かし人は深く考えようとせずに、目の前にある御利益を求めて飛びつくのですが、人間が

考え、人間が作り出した神々は、人間よりも劣る存在ですから、神にしてはなりません。

 北イスラエル王国は、南北に分裂した当初から、目に見えないまことの神ではなく、周

辺諸国が神としている目に見える神々に頼り、偶像礼拝を取り入れました。そして北イス

ラエル王国最悪の王と言われるアハブとその妻イゼベルによる甚だしい偶像崇拝が行われ

ている状況の中で、主なる神はなおも、悔い改めに招こうとしておられるのです。

 1節。主なる神が雨を止めてから3年目です。悔い改めることをしないアハブとイスラ

エルの民を、なおも主なる神はあわれんでくださいます。再度雨を降らせることで、民衆

を飢餓の苦しみから解放してくださるのです。その前に、バアルに仕えることの無意味さ

を認識させるために、バアルの預言者たちとの対決の場に、民衆を集めました。

 21節。エリヤは民衆に問いかけます。いつまで、どっちつかずによろめいているのか。

イスラエルの民は、主なる神を完全に捨て去ってはいません。バアルにも仕えて、豊作を

求めている、その現状を突きつけたのです。その時、その時の、自分の要求が満たされそ

うな方を選び、それを神として仕える。そのようなどっちつかずの信仰はやめなければな

りません。自分の要求に合うものを神としてはならないのです。主なる神が神であれば、

それに従い、バアルが神であれば、それに従え、とエリヤは、イスラエルの民に迫りまし

た。本物の神だけを自分の神とすべきであり、それ以外は退けるのです。

 エリヤはイスラエルの民に、どちらか一つを選び取るようにと迫りました。私たちはど

うでしょうか。私たちにもバアルがあるでしょうか。主なる神を信じてはいるけれど、こ

の方だけを神とすることに不足を感じ、現世利益的な祝福を与えてくれそうなものに頼っ

てはいないでしょうか。私たちの父となられた神だけに頼り切れずに、他のものに頼ろう

として、結局は主なる神を退けるという、どっちつかずによろめいていないでしょうか。

主なる神が神であるなら、主なる神にだけ従うべきなのです。しかし民は一言も答えませ

んでした。まだ様子を見ているということです。はっきりと決められないのです。

 22~24節で、エリヤは続けて民に宣言します。エリヤが仕えている万軍の主が、生ける

まことの神なのか。それともバアルこそが、生けるまことの神なのか。まことの神は唯一

であり、この方以外は神ではない。生きておられるまことの神であるなら、火をつけない

でおくささげ物としての雄牛を、天からの火で焼き尽くすことができると。

 そうしてエリヤは、火をもって答える神こそ、生けるまことの神であると宣言し、民は

エリヤの提案に同意し、みなが見ている前で、どちらの神が火をもって答える神かを判断

することにしたのです。25節。バアルの預言者から始めました。

 26節。バアルの預言者たちは、朝から真昼までバアルの名を呼んだとあります。一所懸

命に、心から呼びかけ、聞いてもらえるようにと踊り廻ったわけです。しかし答えはあり

ませんでした。それでエリヤは皮肉を込めて助言するわけです。27節。その皮肉を聞いて

28節。バアルの預言者たちはさらに大きな声で呼ばわり、自分の身体を傷つけます。

 これは自分たちの信仰が足りないから、神は答えてくださらないという強迫から来るも

のです。人間側の熱心さ、人間側の努力に応じて、神は答えてくださるのだから、神が答

えないのは、熱心が足りないからだと、人間的なわざを要求するのです。

 私たちの周りにある現世利益を与える諸宗教に共通している教えです。キリスト教の異

端である、旧統一教会も、エホバの証人も、まさにそのようです。新々宗教の多くも同じ

でしょう。もっと熱心に、もっと努力して、それぞれの教義に自分を合わせるのでなけれ

ば神は聞いてくださらない、応えてくださらないと。これは、気をつけていないと、キリ

スト教会でも同じ間違いに陥ります。人間的な熱心さを煽り、神が答えてくださらないの

は、熱心さが足りないからだと、信者の努力を煽るのです。

 私たちキリスト信仰者が信仰生活で熱心であるとするなら、主なる神の恵みと愛に応え

て、主なる神のみわざに参与させていただくことを求めるからです。私たちの熱心さが主

なる神を動かすのではありません。主なる神はその主権をもって、みこころのままに事を

進めるお方であることを、再度確認しましょう。

 バアルの預言者たちは、もっと大きな声で、もっと真剣に呼び求めるなら、バアルは必

ず答えてくださるはずだと、熱心に求めました。しかし何の答えもなかったのです。これ

は当然ことです。バアルは人が考え出した神の代用品であり、生ける、まことの神ではあ

りません。人間の作品ですから、人間以下の存在であり、神ではないからです。

 さてエリヤの番です。30節。民全体に、自分のそばに近寄るようにと命じます。主なる

神の側に来るようにとの招きです。そして、主へのささげ物のための祭壇を、主が定めら

れた規定に従って築き直すのです。31~35節にあるように、祭壇の周りに溝を掘り、祭壇

の上に薪とささげ物の雄牛を供えた後に、4つの瓶に水を満たして、ささげ物の上から注

ぎました。それを3回行うことで、到底、自然発火などが起こりえない状態にして、主な

る神への祈りをささげたのです。

 36節。あなたのおことばによって私がこれらすべてのことを行ったということが、今

日、明らかになりますように。37節。この民は、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心

を翻してくださったことを知るでしょうと。

 38節。主の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くし

たとあります。火をもって答える神、この方こそ神なのです。バアルは何もできませんで

した。いのちのない、人間によって考え出された、代用品だからです。人間の作品であっ

て、神ではないのですから当然です。

 私たちが信じ、仕えている神、主は生きておられます。唯一まことの神だけが、生きて

働かれる神です。全能の神、万軍の主を、私たちは神として信じました。主なる神は天地

創造から、新しい天と新しい地の再創造に至る、私たち人間には量り知ることのできない

壮大なご計画の中で、私たちに主イエス・キリストを信じる信仰をお与えになり、神の子

どもとなる特別な権利を与え、永遠のいのちを与え、永遠のいのちを生きる者としてくだ

さいました。この地上生涯で、私たちにどのような出来事が待っているか分かりません。

しかし万物の創造者で、すべてを御手に治めておられる、私たちの父となられた神が、私

たちを神の祝福で満たし、守り、永遠の御国へと導いておられるのです。

 私たちが信じ、仕えているのは、創造者である、生けるまことの神です。明確に意識し

て、日々信仰生活を歩みましょう。そうして恵みと祝福に満ちておられる神は、私たちを

愛し、豊かな祝福を味わわせようと招いておられます。もし、創造者である神、神の御子

を人として地上に遣わし、私たちのすべての罪を赦すために、御子イエスを十字架で処罰

された神、このお方だけでは不十分で、他に頼るものを欲しているなら、私たちはすぐに

悔い改めましょう。どっちつかずによろめくことをやめて、主こそ神ですと告白し、主に

のみに頼る信仰を取り戻しましょう。それが、私たちを真の祝福に満たすからです。


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