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2023年9月10日 礼拝「主への背きと結末」列王記I 11:1~13

 イスラエル王国三代目の王ソロモンを聖書から見て、4回目になります。ソロモンの信

仰姿勢を反面教師として、私たちの信仰姿勢を吟味し、主への信仰を貫きましょう。

 前回私たちは、ソロモンによる神殿奉献の様子を確認しました。そしてソロモンが民に

命じたことばを、今週のみことばとします。8章61節。あなたがたは、今日のように、私

たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。

 私たちの心を主と一つにすること、そのような歩みが主の祝福に与る道であると頭では

分かっていても、心からそのことに同意できないでいる自分に言い聞かせるように、ソロ

モンはこのことばを発したのかもしれません。まさに信仰と不信仰の狭間で、揺れ動く心

で神殿の奉献式を取り仕切ったと言えます。ただ、この勧めのことばを口にはできても、

心から同意し、そのように生きることを決断しきれないソロモンを見てしまうのです。

 こう思うのは、これまでのソロモンの行動と、そのようなソロモンに対する主なる神か

らの警告のことばが記されているからです。3章5節。主なる神がソロモンに、願うもの

は何でも叶えるから願えと招きました。それはソロモンの父ダビデに対する主なる神の約

束を実現するための招きであったのです。それに対してソロモンは、善悪を判断してあな

たの民をさばくために聞き分ける心を与えてくださいと願いました。9節。その求めは主

のみこころにかない、ソロモンは豊かな知恵を主なる神から与えられました。さらに求め

なかった富と誉れをも豊かに与えられたのです。本当にすばらしい出来事でした。

 この3章に、すでにソロモンの心は主なる神と全く一つではなかったことが記されてい

ます。1節です。これは当時の政治的な戦略としては普通に行われていたことであると言

えます。国を安定させ、他国との平和を保つために、他国の王と姻戚関係を作るというこ

とは重要な外交政策でしょう。しかし主なる神を信じる神の民の王としては、主なる神の

みこころに反しており、主なる神を信頼しきれない不信仰の表れと言えます。

 だから主なる神は、ソロモンに求めるものは何でも与えるから、とソロモンが主なる神

だけに頼れば良いのだと招いたのです。そしてソロモンが正しい訴えを聞き分ける判断力

を求めたことを高く評価されました。そして知恵の心と判断する心とを与え、ソロモンが

願わなかった、富と誉れをも与えると語られたのです。その上で3章14節です。あなたの

父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守って、わたしの道を歩むように

とソロモンを招きました。ファラオの娘を妻としたことは白紙に戻すことはできません。

ファラオと姻戚関係を結んだことを前提にして、主なる神はソロモンに、わたしの道を歩

むようにと招いたのです。ダビデが歩んだように、です。そうすればあなたの日を長くす

ると、主なる神がソロモンを守り、支え、その治世を固くすると約束されたのです。

 主なる神は9章で、再度ソロモンに語りかけました。神殿の奉献式を終え、その祈りの

ことばの信仰的であり、民に命じた勧めのことばの通りに生きるなら、真に幸いとなるこ

とは明らかなので、ソロモンに、口にしたことばの通りを生きるようにと招いたのです。

9章4節で、主なる神は条件付で、ソロモンに対して祝福の約束を与えます。あなたが全

き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま

実行し、わたしの掟と定めを守るなら、5節、ダビデに約束したとおり、ソロモンの王座

を永遠に確立すると約束し、心を定めて従うようにと招いたのです。

 さらに警告をも与えられました。6節。わたしの命令とわたしの掟とを守らず、行って

ほかの神々に仕え、それを拝むなら、とすでにソロモンの心が異教の国々から妻を迎え

て、その悪影響を受けていることを前提として警告を与えたのです。7節、わたしが彼ら

に与えた地の面からイスラエルを断ち切ること、さらにわたしの名のために聖別した宮を

さえ投げ捨てると語られました。主の宮があるから安泰だ、ではないのです。

 しかしソロモンは主なる神の警告を無視し、背くのです。11章1節がその結果です。主

なる神から豊かな知恵をいただいたにもかかわらず、主なる神への根本的な信仰姿勢、つ

まり主を畏れ敬う態度、主が喜ばれることを行うという基本姿勢が崩れたままでした。ソ

ロモンはファラオの娘だけでなく、他の多くの外国の女を愛し、妻としたのです。

 2節で列王記の記者は主なる神の警告を記しています。ソロモンは主のことばよりも自

分の欲求を優先することで、主のことばを退けていくという、まさに罪そのもののあり方

を続けました。ソロモンはこれらの外国の女性たちを愛して離れなかったのです。主なる

神よりも外国の妻たちを愛し続けた結果、3節にあるとおり、彼女たちはソロモンの心を

転じて偶像礼拝に向かわせました。

 そのことが4節に記されています。ソロモンの晩年、外国の妻たちの言いなりになり、

偶像礼拝を支援するのです。5~7節にあるソロモンの姿は何と嘆かわしいものです。ソ

ロモンほどの知者であっても、何を愛するかによって、その知恵は主の御前での正しさに

使われなくなってしまうのです。私たちは何を愛しているのか、主なる神以外のものを愛

してはいないかと吟味しましょう。主なる神以外のものを愛する愛が私たちをも、主なる

神から引き離していくのです。

 主はソロモンを愛し、偶像礼拝に加担しないようにと招かれました。9~10節です。主

は二度も彼に現れとあります。3章と9章です。主なる神は祝福を約束されると同時に、

警告を与えておられます。しかしソロモンは、ファラオの娘を妻とするに留まらず、外国

の女性たちを多く妻とし、主なる神よりも外国の妻たちを愛していきました。その結果は

偶像礼拝を支援する行動となり、主なる神の怒りを買うことになったのです。

 ソロモンは箴言に次のようなことばを残しています。28章13節。自分の背きを隠す者は

成功しない。告白して捨てる者はあわれみを受ける。14節。幸いなことよ。いつも恐れる

心を持つ人は。しかし、心を頑なにする者はわざわいに陥る。

 このようなすばらしい教訓を残すソロモンが、この教訓に生きなかったことが不幸なの

です。ソロモンは自分の背きを罪と認めることをせず、その罪を捨てなかったので、主な

る神からのあわれみは取り去られました。いつも主を恐れる心を持つ人は幸いであると語

るソロモンは、主を軽んじ続けたのです。しかも、主なる神から警告を受けていたにもか

かわらず、心を頑なにして悔い改めることをしなかったために、結局は主からのわざわい

を引き寄せ、陥ることになりました。イスラエル王国は南北に分裂するのです。

 ソロモンほどの優れた王であったとしても、主なる神よりも愛するものを持つとき、結

果として、不幸を引き寄せることになります。どれほどの知恵を与えられたとしても、主

なる神を恐れ敬うことなしには、その知恵を真の祝福に結びつけることはできないのだと

心しましょう。そうして私たちは、主なる神を何ものよりも愛する信仰者であることを保

ち続けることが大事です。

 ソロモンの箴言を自分の座右の銘として、そのことばを生きる私たちとなりましょう。

「幸いなことよ。いつも主を恐れる心を持つ人は。しかし心を頑なにする人はわざわいに

陥る」知っていることは大切です。しかも知っていて、それを言うことはだれにでもでき

ます。知識としての格言なら、沢山暗記すればそれだけ並べ立てることもできます。しか

し格言や教訓は、それを生きて初めていのちを与え、私たちを真の幸せへと導くのです。

 私たちはソロモンから警告を学びましょう。反面教師として学ぶことが大事です。主な

る神よりも愛している何かがあるでしょうか。それが私たちを不信仰へと進ませます。主

への愛を徹底させましょう。主なる神はいのちを捨てるほどの愛で私たちを愛し、救いの

喜びを味わわせ、救いの喜びに満たしてくださいました。この、主なる神のみを信頼すれ

ば良いのです。そして主のことばを日々生きる私たちでありましょう。

 私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守って、日々歩めば良いの

です。私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によっ

て、私たちは生きています。主の十字架をいつも仰ぎ、主の愛を確認し、その愛に応えて

主を愛し、主を喜ぶ。救いの喜びを日々味わい、救いの喜びに満たされ、救いの喜びを生

きる私たちとされているのです。主の恵みを感謝し、主をほめたたえましょう。



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