主イエスの十字架の死を前にしての、最後の晩餐の席上における、弟子たちへの別れの
ことばと祈りを見てきました。主イエスはこの祈りの最後で、現代を生きる私たちのため
の祈りをしておられます。この箇所では、一つにしてください。一つであるように、一つ
になるためです。完全に一つになるためですと、一つが繰り返されています。
20節。主イエスは、11弟子たちに加え、11弟子たちの宣教によって主イエスを信じる
人々のため、そしてその人々の宣教によって主イエスを信じるすべての人々、つまり私た
ちを含め、すべてのキリスト信仰者のための祈りを献げられました。
21節。父なる神と子なるキリストは同等、同質のまことの神です。主イエスは繰り返し
宣言しておられます。父なる神が子なるキリストのうちにおられ、子なるキリストが父な
る神のうちにいますと。10章30節で主イエスは、わたしと父とは一つです、と宣言してお
られました。御父と御子は同一の本質である神、唯一、まことの神であるとの宣言です。
御父のうちに御子がおり、御子のうちに御父がおられる、そのように、すべてのキリス
ト信仰者を一つにしてくださいと祈っています。一つにするとは、御父と御子のうちにい
るようにと言い換えられています。主イエスは、すべてのキリスト信仰者を一つにする、
すべてのキリスト信仰者を御父と御子のうちにいるようにしてくださいと祈るのです。
私たちは主イエスを信じることで、神の子どもとなる特権が与えられ、永遠のいのちが
与えられます。そして主イエスは3節で、永遠のいのちとは、唯一まことの神であるあな
たと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることですと宣言されました。御父と御
子のうちにいるとは、御父と御子が一つであることを知り、御父と御子の交わりの中に、
キリスト信仰者も入れられ、一つとされたということを知ることです。そしてこの「知
る」は知識として知ること以上の、体験として知る、味わい知ることです。
使徒ヨハネは、その手紙の中で、次のように書き送りました。私たちが見たこと、聞い
たことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるため
です。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
使徒たちは3年間、主イエスと寝食を共にしての、親密な、人格的で、霊的な交わりを
しました。主イエスから聞き、主イエスを見て、直接学んだのです。その交わりに、すべ
てのキリスト信仰者が入ることで、一つとされるのです。御父との霊的で、人格的な交わ
りを深め、御子イエス・キリストとも霊的で、人格的な交わりを深めることで、私たちキ
リスト信仰者は一つになるということです。それはキリストをかしらとする一つのからだ
に組み入れられることです。私たちは多数であっても、一つのからだの各器官であり、一
つのからだを構成している一人ひとりだからです。教会はキリストをかしらとするからだ
であると宣言されますが、キリスト信仰者であるなら、キリストのからだである神の教会
の大切な一器官です。目には見えないけれどすべてのキリスト信仰者が組み入れられてい
る公同の教会、そして目に見える具体的な愛の交わりをする各地域教会に、すべてのキリ
スト信仰者は組み入れられて、一つとされるのです。光る海教会もその教会の一つです。
また、私たちキリスト信仰者が御父また御子の交わりに入れられることで、御父が御子
キリストを世に遣わされたことを、世に証しすることになるのです。
22節。主イエスは十字架で処刑され、殺されます。しかし三日目に死者の中から復活す
ることで、主イエスが神ご自身であることが明らかにされます。主イエスを信じる者たち
は、主イエスが神としての栄光を持っておられることに同意して、そのとおりですと受け
取ります。そうして、この信仰において、キリスト信仰者は一つになるのです。
23節。繰り返されます。御子は御父のうちにいて、御父は御子のうちにおられます。こ
の御父と御子の交わりに加えられることで、キリスト信仰者たちは、完全に一つになるの
です。キリストをかしらとするキリストのからだである神の教会に、キリスト信仰者たち
は組み入れられます。このことでキリスト信仰者は完全に一つとなります。御父は御子を
愛しておられ、御子のからだである私たちキリスト信仰者も、御子を愛する愛で、御父か
ら愛されています。この霊的事実を世が知ることになり、証となるのです。
24節。御父が御子に下さったものとは、私たちキリスト信仰者のことです。2節、あな
たが下さったすべての人に、7節、あなたがわたしに下さったものはすべて、9節、あな
たがわたしに下さった人たちのために、と主イエスは繰り返します。6章37、39節で主イ
エスは、父がわたしに与えて下さるものはみな、わたしのもとに来ます。そして、わたし
のもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。わたしを遣わされた方
のみこころは、わたしに与え下さったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わ
りの日によみがえらせることですと語りましたが、私たち主イエスを信じる者が、主イエ
スとともにいるようになる、教会を構成することが、父なる神のみこころです。
私たちは人となられた神、十字架で処刑され、三日目に死者の中から復活された主イエ
スの神としての栄光を見ています。父なる神が分からせてくださったからです。
25節。世の人々、主イエスを信じない人たちは、創造者である神を認めることをしませ
ん。知ろうとしないのです。主イエスを信じる者たちは、当然父なる神を知っています。
主イエスが知っており、主イエスが教えてくださったからです。父なる神が子なるキリス
トを人としてこの世に遣わされたことを、今私たちは知っています。
26節。主イエスが父なる神を知らせてくださったからです。そしてこれからも知らせる
と言われました。私たちキリスト信仰者は、もう一人の助け主である聖霊を心に宿してい
ます。この助け主である聖霊によって、また神のことばを通して、さらに父なる神を知る
のです。父なる神の主イエスを愛された愛が、キリスト信仰者である私たちに注がれてい
ます。主イエスも、もう一人の助け主を通して、私たちのうちにいてくださるのです。
さて、十字架を前にしての主イエスの祈りを通して、私たちは、父なる神と主イエスの
関係について知らされました。御父と御子は同質、同等の生けるまことの神ですが、御父
が御子を人としてこの世に遣わされました。御子は御父のみこころを実現するために、御
父に従われて、地上生涯を歩まれました。十字架の死にまで従われたのです。そして死者
の中からの復活を通して、主イエスの神としての栄光が現され、私たちは、主イエスを神
として、救い主として信じ、自分の主とあがめる者とされたのです。
御父は御子の栄光を現し、すべての者の上に立つ支配者としてお立てになりました。こ
のことをエペソ人への手紙で確認しましょう。1章20~23節。父なる神は、すべてのも
のを御子キリストの足の下に従わせ、キリストをすべてのものの上に立つかしらとして教
会に与えられたのです。教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので
満たす方が満ちておられるところです、とあるように、教会の姿が描かれています。
今日私たちは、一つになるため、と題して、主イエスの祈りを見ました。主イエスが祈
り求められたのは、私たちキリスト信仰者が一つとなることです。それはキリストのから
だの各器官とされることで、一つとなるということです。私たちは多数であっても、一つ
のからだとされたからです。キリスト信仰者は、キリストをかしらとして信仰生活を歩み
ます。キリストをかしらとするキリスト信仰者は互いを一つのからだの各器官と認め合
い、一つのからだとして歩むのです。この神が定めた霊的事実を拒絶してはなりません。
再度私たちは、自分の救いを確認しましょう。父なる神が私たちを、御子キリストに与
えてくださいました。御子キリストは御父が下さった私たち一人ひとりに永遠のいのちを
与え、罪の赦しと罪からの救いに与らせ、ご自分のからだを構成する大切な一器官として
集めておられます。私たちキリスト信仰者は一つからだに属しています。御父と御子の交
わりの中に、聖霊によって入れられています。この霊的事実を生きるのです。一つからだ
であることを拒絶してはなりません。神を否定することになるからです。
その目に見える具体的なからだの一つ、光る海教会に私たちは集められています。主イ
エスが愛された愛で、互いに愛し合う者たちです。私たちは主イエスを信じる者、主イエ
スに従う者として、主イエスのことばを生きましょう。13章34~35節。
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