イスラエルの歴史において、ダビデ、ソロモンの時代は栄華を極めたことで有名です。ダビデが近隣諸国を平定し、ソロモンはその平和と安定の中で、国力をさらに増し加えていったのです。そしてダビデが念願したけれど果たせなかった神殿建設を、ソロモンが着手して、それを完成させました。ソロモンの輝かしい業績として記録されています。
この8章は、完成した神殿を主なる神にささげる奉献式の様子です。ここに記されているソロモンのことばと、主なる神への祈り、民衆への祝福をじっくりと読むとき、その内容の素晴らしさを味わうことができます。その内容に、心から同意したいのです。
61節。ソロモンの民衆への祝福のことばの締め、命令です。ソロモンは、民衆が主なる神に対してどのように仕えるべきかを語り、そのように生きることを命じました。「あなたがたは今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです」。ソロモンが民に従うようにと命じている主なる神とはどのようなお方かを正しく理解するなら、ソロモンの勧めに、私たちも快く従うことができます。そうして主が備え、与えようとしておられる祝福を味わい知るのです。
56節。キリスト信仰者である私たちは、主のはかりごとだけがなると確信しています。主は約束されたことを必ず実現なさるお方です。ソロモンは声高らかに賛美をささげます。主がほめたたえられますように。モーセを通してお告げになった良い約束はみな、一つも地に落ちることはありませんでした。このように心から感謝を込めて賛美をささげることができること自体が、素晴らしい恵みです。私たちも再確認しましょう。私たちが神と崇めるお方は、私たちに約束されたことはすべて行われる全能の神、真実なお方です。だから私たちは、このお方を信頼して、このお方に聞き従って歩むのです。
ソロモンは主なる神に願うような言い回しで民に勧めるわけです。57~58節。約束を必ず実行される主なる神が、先祖たちとともにおられたように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、お見捨てになることがありませんようにと願うのです。58節。私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますようにと祈ることで、民に勧めをし、命じるのです。
私たちはソロモンのことばで表現された祈り、願い、勧めに対して、心から同意し、そのようにしたい、させていただきたいと切に祈り求めましょう。というのは、このように言うことは、それなりの知識と語彙があれば、誰にでも言えることだからです。ソロモンは主なる神に知恵を求めました。そして主なる神から優れた知恵をいただきました。そのようなソロモンですから、この8章の多くを占めている神殿奉献に際しての祈りも、今私たちが見ている民への祝福のことばも、本当に素晴らしい表現で述べています。ただしそれが、どれだけ心からのものかは、他者には分からないということです。
私たちはソロモンのことばから多くを学ぶことができます。そしてソロモンが献げる祈りを通して主なる神をさらに深く知ることができますし、ソロモンが勧め、命じることばを実践して行くなら、本当に祝福された信仰生活を送ることができます。だからそのように学び、教えられ、実践することが大事です。
さてソロモンの信仰生活はどのようなものだったのでしょうか。その結末は11章に記されています。本当に残念なことですが、ソロモンの心は、主なる神と全く一つにはなっていませんでした。これほど素晴らしいことばで祈り、民衆に主に従う道を示すことができるソロモンです。主なる神がどのようなお方であり、人間はどのように仕えるべきかを、理路整然とまとめて語ることのできるソロモンです。しかしその心は主なる神と全く一つではありませんでした。口で語ることと、その心の奥底にある思いは異なっていたのです。そしてソロモンは心が指し示す方向へと進んでいき、主から離れてしまいました。
ソロモンの心はいつから、主から離れたのでしょうか。この時からだと、時を断定することはできませんが、予兆となる出来事を上げることができます。まず3章1節。隣国との平和を維持するために、いつの時代にもある異国との婚姻関係を結ぶことですが、主に信頼しきるという点で後退しており、そして異教的な習俗に引き込まれる危険を引き寄せているのですから、主のみこころに沿わない決定であると言えます。1節から想像できることは、主の宮の建設と王宮の建設において、少なからずファラオの娘の要望があり、その要求に影響されたと言えます。
6章37~7章1節。ここで気づかされることは、主の宮の建設に要した期間は7年、自分の宮殿建設に要した期間は13年です。これは当たり前なのでしょうか。主の宮は自分の家よりも貧弱で良いのでしょうか。ここにソロモンの心が見えます。神殿奉献は、自分の王宮の完成後に行われています。多くの歳月を費やしての完成ですから、それは感無量でしょう。その奉献式においてソロモンは素晴らしい祈りをささげます。主なる神をほめたたえ、主に栄光を帰する賛美を献げています。先ほども言いましたように、そのことばで表現されていることは、私たちが学び、教えられることばで満ちています。そこで勧められている命令は、そのまま聞き従うべき内容です。だから私たちが、この8章に記されているソロモンのことばを学び、聞き従うことは大切であり、祝福なのです。
しかし私たちは、すでに心が主から離れ始めているソロモンに倣ってはなりません。これと同じことを主イエスも語っています。宗教指導者を非難する際のことばです。律法学者たちやパリサイ人たちはモーセの座に着いています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し、守りなさい。しかし、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うだけで実行しないからです。
言うだけなら何とでも言えるのです。知識があるならそれなりの表現で、説得力をもって語ることができます。だからその語っていることが正しいのであれば、その言うことを行い、守ることは益になります。しかし彼らの行ないをまねてはなりません。どんなにその人の言うことが正統的であったとしても、その人の行ないが主のみこころに反しているのであれば、それをまねてはならないのです。
ソロモンの心は主と全く一つではありませんでした。だから9章で主なる神はソロモンに語りかけました。自分の心を吟味し点検して、誤りを正すようにという主の配慮です。9章3節。ソロモンの祈りと願いは主の御心にかなったものでした。そのことばには間違いはありませんでした。しかしそれは表面的な、粉飾されたことばであったのです。
だから4~5節。父ダビデに倣うようにとの招きをするわけです。従ったときの祝福の約束がなされています。しかし背くなら、6~7節です。今ソロモンが建てた素晴らしい神殿は廃墟となると警告されるのです。この警告は、すでにソロモンの心が主から離れている、その前提に立って語られているということです。8~9節。
しかしソロモンは、主からの警告を受けたにも関わらず、そして主なる神をよく知っているにも関わらず、結局は主から遠く離れていくのですから、人の心というものはおぞましいとしか言えません。預言者エレミヤは嘆きます。「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。」
主の憐れみを求め、主によって新しい心を与えられるのでなければ、どれほどの知恵を与えられたとしても、主なる神をどれほど正しく知っていたとしても、主と心を一つにすることにはならないのです。自分の意思や、決断ではできないことを、主は恵みと憐れみでなしてくださいます。私たちはただ主の憐れみを求め、心を聖霊で満たしていただく中で、一生涯主と心を一つにさせていただきたいと願います。ダビデの祈りと願いを私たちの祈りと願いとしましょう。詩篇51:10~12
列王記第一8章59節。ソロモンが語ったことばに同意しましょう。主なる神は私たちの願い、訴えを正しくかなえてくださるお方です。だからソロモンは、自分が主の御前で祈り求めたように、民も祈り求め、それを聞き入れてくださいますようにと願うのです。私たちが主を崇め、心から従いたいと願うなら、主も私たちに親しく臨まれます。私たちがどのような心、どのような思いで主に接しようとしているかを問うことが重要です。
だから61節。主と心を一つにするように、主と心を一つにして、主の掟に歩み、主の命令を守るようにと命じるのです。そのように歩む民を主は豊かに祝福してくださいます。こうして60節。地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至るようになるのです。ソロモンはこのように民を祝福しました。ソロモンは正しい表現で主をほめたたえ、執り成しの祈りをし、また願い事を神に申し述べたのです。
さて今日私たちは、主と心を全く一つにすることを、自分の信仰生活の基盤にしたいのです。私たちが聖書に精通していき、聖書的な知識を増し加えていくなかで、私たちは信仰的な物言いをすることができるようになっていきます。しかし私たちの心を主と全く一 つにするということが疎かになるなら、その豊富な聖書的な知識も、そのことばを用いて人々に感銘を与えるような祈りができても、すべて空しくなるのです。
11章4節。本当に残念な記述です。ソロモンの心は、父ダビデの心とは違って主と全く一つにならないままでした。どれほど栄華を極めても、どれほど知恵と知識に満たされていても、どれほど業績を残したとしても、それらは主の一方的な恵みによる賜物、プレゼントされた結果であって、主が祝福を取り上げるなら、そのすべては水泡に帰し、消え去るのです。主と心を全く一つにする。私たちが求めるあり方です。今週のみことば。
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