今日私たちは、一つの信徒夫妻を取り上げて、彼らが初代教会でどのような働きをしたのかを確認し、私たちの信仰生活の参考にしたいと考えています。
この信徒夫妻については、18章2節で紹介されています。アキラとプリスキラ夫妻で、アキラはポントス生まれのユダヤ人、プリスキラはギリシア人と思われます。アキラとプリスキラが、いつ、どこで主イエスを信じたのか、それは分かりません。もしローマで主イエスを信じたとするなら、ペンテコステの時にローマから来ていた人々の中で、主イエスを信じた人たちから伝えられたのか、あるいはポントスから来ていた人々に伝えられて救いに与ったのかもしれません。実際のところは分からないのですが、主の恵みの中で、彼らは主イエスを信じる信仰を持ったのでしょう。そうしてローマに滞在していたけれど、クラウディウス皇帝によるユダヤ人追放令を受けてコリントに来ていたということです。クラウディウス帝によるユダヤ人追放令が出されたのは、紀元49年頃です。
パウロはアキラ夫妻の家に滞在することで、コリントでの福音宣教の拠点とすることができました。パウロはコリントで1年半滞在し、福音を伝えたのですが、アキラとプリスキラはパウロに同行したとも考えられます。そうしてパウロが教えることを通して、より正しくキリスト信仰を学んだのではないでしょうか。そうして彼らが、信徒夫妻として、主のために用いられる良い働きの基盤が整えられたのです。
18~19節。パウロたちはコリントでの伝道を終えて、エペソに向かいました。この時アキラ夫妻もパウロに同行します。パウロはエルサレムに向かうのですが、アキラ夫妻はエペソに留まり、生活の拠点を移しました。そうして彼らは自分の家を開放して、家の教会としました。そのことがコリント人への手紙で確認できます。
24節。ここに伝道者アポロが登場します。アポロは雄弁であり、聖書に通じていた、つまり旧約聖書をよく知っていて、ナザレのイエスこそ約束のメシアであると信じ、それを伝えていたということです。アポロはアレクサンドリア生まれのユダヤ人であると紹介されています。アレクサンドリアはエジプトの都市で、新約聖書時代に百万人を超える巨大都市、世界最大の商業都市でした。ここにはエジプト人だけでなくギリシア人、その他多くの外国人が住んでおり、ユダヤ人も多く、その共同体もありました。旧約聖書が当時の世界共通の話し言葉であるコイネーギリシア語に翻訳されたのもこの地です。アレクサンドリアは文化の中心地のひとつであり、アレクサンドリア図書館には、世界のさまざまな書物が集められている、知の宝庫と言われる都市でした。
そのような環境の中でアポロは育ちました。聖書に通じているとは旧約聖書に精通しているということ、雄弁なとはおしゃべり上手ということよりは、学問があり、学識もあるということです。アポロはギリシア語を母語としつつ、ヘブル語聖書にも精通している教養人、知識人であった考えられます。
25節。アポロは主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかったとあります。アポロは巡回伝道者になっていました。アレクサンドリアで旧約聖書を学び、ナザレのイエスについて教えられ、イエスこそ旧約聖書で約束されている来たるべきメシヤであると信じ、それを伝える伝道者となったということです。ただし、ヨハネのバプテスマしか知らなかったとあります。人々にイエスのことを正確に伝えて、イエスを信じるようにと悔い改めを迫り、そのしるしとしてのバプテスマを受けるように勧めていたのでしょう。アポロはエペソに来て、ユダヤ教の会堂に集まる人々に、大胆にイエスを語り始めたのです。
26節。その会堂にアキラとプリスキラ夫婦がいました。そうしてアポロが熱心に語るイエスのことを聞いたとあります。プリスキラとアキラは彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明したのです。ここでプリスキラが先に記されていることは、アポロに対して神の道をもっと正確に説明することを主導したのは、妻であったということです。
アキラとプリスキラが主イエスの福音をさらに正しく教えられたのは、パウロを家に住まわせて、福音宣教の拠点としたことによります。コリントで一年半ともに過ごし、エペソでもともに過ごして、パウロの福音宣教に協力したことを通して、アキラ夫妻は福音を正しく理解していったのです。
アポロは学識も教養もあり、旧約聖書にも通じていて、イエスのことを正確に伝える巡回伝道者です。そしてアキラ夫妻は信徒という立場です。みなさまがアキラとプリスキラであったとして、熱心に伝道する巡回伝道者に対し、彼の伝える内容に重大な欠けがあると分かった時、みなさまならどうするでしょうか。プリスキラは夫アキラとその不足部分を確認し、そうしてその不正確な部分を伝えるべきではないかと相談したでしょう。もしかしたらアキラは躊躇したのかもしれません。しかしプリスキラは伝えるべきであると夫を促したのではないかと想像するのです。
アキラ夫妻は天幕作りの職人でしたす。どれほどの教養とか学識があったかは分かりませんが、信徒夫妻です。アポロは旧約聖書に通じている、雄弁な巡回伝道者です。霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしています。間違ったことは語っていませんが、神の道を正確には分かっていないと見極めたのです。そうして勇気を出して、神の道をもっと正確に説明しました。しかも会衆の面前でではなく、アポロだけを自分の脇に呼んで説明をしたということです。アポロのプライドを傷つけることなく、個人的に説明をする。アキラ夫妻は謙遜であり、主にある愛の行動を取ったのです。
アポロも謙遜でした。信徒夫妻に説明されたことに腹を立てることなく、主なる神がこの夫妻を通して、自分の欠けていることについて教えてくださったと受け止めたのです。謙遜であることはとても大切です。旧約聖書の箴言に、高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つとあります。へりくだった人は誉れをつかむとあるのです。主なる神が祝福してくださるので、その人はさらに主のみわざに用いられていくことになります。
その後アポロはコリントに行きます。そして恵みによって信者になっていた人たちを大いに助け、聖書によってイエスがキリストであることを証明しました。主の恵みの中、素晴らしい伝道者としての働きに用いられたのです。彼の働きの素晴らしさは、コリントの聖徒たちの中に、アポロを個人的に信奉する人たちが出て来るほどのものでした。ただしアポロ自身は、自分を褒めそやす者たちを増やそうとは考えていませんでしたし、パウロは、指導者個人を信奉してはならないと手紙に書き送っています。
さてアキラ夫妻について整理しましょう。彼らは天幕作りを職業とする信徒夫妻です。私たちがそれぞれキリスト信仰者として社会的な責任を果たしているのと同じです。その彼らは正しく神のことばを学び、福音理解を深めていました。このこともすべてのキリスト信仰者は目指すことができます。そうして自分が置かれた人間関係において、福音理解に欠けがあると分かったときに、謙遜に、正しく説明することが大事です。その説明を受け止めるか、拒むかは、説明を受けた人が決めることであり、私たちは、聖霊の導きと取り扱いに期待して、自分にできることを行えば良いのです。
アキラ夫妻はエペソで、家庭を開放して、家の教会としました。このことはコリント人への手紙第一16章19節に記されています。パウロは第3次伝道旅行で3年、エペソに滞在して福音を伝えました。それで、アジア州に住む人々はみな、ユダヤ時もギリシア人も主のことばを聞いたとあります。このエペソでの福音宣教の拠点として、アキラ夫妻は自分たちの家をパウロに提供したのだと考えられます。アキラとプリスカ、また彼らの家にある教会が、主にあって心から、あなたがたによろしくと言っていますと書くのです。
次にアキラ夫妻についての言及があるのは、ローマ人への手紙16章3節です。ローマ人への手紙は、第3次伝道旅行の終盤、コリントに滞在している時に、パウロが書き送った手紙です。3節でパウロは、私の同労者プリスカとアキラによろしく伝えてくださいと書きます。この時アキラ夫妻は、ローマにいたということです。どのような経緯でローマに移ったのかは分かりませんが、ユダヤ人追放令を発したクラウディウス皇帝の死と関係があると思われます。今彼らはローマに滞在しています。
4節。パウロはアキラ夫妻について、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれましたと書いています。エペソにおけるパウロのいのちの危険が何を指しているのか、具体的なことは分かりませんが、聖書の記述から考えられるのは、アルテミス神殿の銀細工をしている人々が起こした暴動の時なのか、パウロが「獣と戦った」とコリント人への手紙で回顧していることに関わる何かなのか、それ以外の何かがあるのか、とにかくパウロはいのちが奪われそうになり、それを救うために、アキラ夫妻は自分のいのちを危険にさらしてくれたということです。
5節。また彼らの家の教会とあります。アキラ夫妻はローマでも自分の家を開放し家庭集会を開いて、家の教会としていたことが分かります。
アキラ夫妻への言及はもう一箇所あります。テモテへの手紙第二4章19節。プリスカとアキラによろしくです。この手紙はパウロのローマでの殉教直前、紀元67年頃に書かれました。テモテはエペソの教会を牧会していますので、アキラ夫妻はこの時、エペソに戻っていたことが分かります。彼らはどこに住んでいても、そこで主のために、自分の家を開放していたことが分かります。またいつもパウロと情報交換していたのだと思われます。
彼らは自分たちに与えられたものを、主のために用いてほしいと願い、主に差し出しました。また主イエスを信じる信仰が与えられ、罪が赦され、滅びを免れて、永遠のいのちを生きるものとなったことを心から喜び、その福音の素晴らしさを一人でも多くの人に知らせたいと、自分にできることを喜んでしたということです。
私たちも自分にできることを、喜んで主のためになしたいと思うのです。アキラ夫妻の場合は、妻プリスカがより積極的だったと言えます。それぞれの持ち味を生かして、主に用いていただく私たちであることを目指しましょう。主に祈りつつ、自分ができること、自分がなすべきことを考えて、主に用いていただくために自分を差し出すことです。
ちなみに、プリスカが本名、プリスキラは愛称です。ルカは愛称を使い、パウロは本名を使っていたということです。
Comentários