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2023年6月18日 礼拝「コリントでの福音宣教」使徒の働き18:1〜11

 パウロによる第二次伝道旅行も終わりが近づいてきました。コリントでの一年半に亘る福音宣教、教会形成の主のみわざに用いられた後、エルサレムの教会を訪問、報告をし、シリヤのアンティオキアに戻ることで15章40節からの第二次伝道旅行は終わります。


 前回私たちは、パウロによるギリシアのアテネでの福音宣教を見ました。アレオパゴスの丘で、ギリシアの知識人たちに、彼らから関心を引き出すために、ギリシア社会の日常に溢れている偶像の中から、知られていない神に、と刻まれた祭壇の存在を持ち出し、創造者であり、主権者、審判者である神を伝え、人が作り出した神々との違いを知らせたのです。しかしアテネの知識人たちは、死者の復活ということばに拒絶を示し、聞く気をなくしました。あざ笑った人々がほとんどだったけれど、信じる者たちも起こされました。


 そしてアテネを去り、コリントに向かったのです。先ほど交読したコリント人への手紙第一2章で、この時のパウロの思いが窺い知れます。2章3節。パウロは弱く、恐れおののいていたと告白します。ギリシア人たちにどのように福音を伝えたら良いのかわからなかくなっていたということでしょうか。ユダヤ人は旧約聖書を知っているので、その知識を基にして、十字架で殺され、復活されたナザレのイエスこそ、待ち望んでいたキリストであると伝えることができました。しかし偶像に囲まれているギリシア人たちに復活を伝えたとしても拒まれるだけと思い知らされたのです。しかしそのような中で、パウロは気づかされます。十字架につけられたキリストのほかには何も知らないことにするということです。聖霊の取り扱いで、罪が指摘され、赦しを欲する者は、十字架での身代わりの処罰によって罪の赦しを差し出してくださったキリストを信じることになると。


 1~2節。コリントでのパウロの福音宣教は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を伝えることではなく、十字架につけられたキリストを伝えたのです。それは5節。救いは、説得力のある知恵のことばによるのではなく、御霊と御力の現れによるのです。


 1章18節。十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。21節。神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。創造者である神を自分の神とするのでない限り、私たちに救いはありません。だからこそ、神は、十字架のことばの愚かさを通しての救いを備えたのです。人間的な知恵ではまことの神を知ることはできない、人間的には愚かに思える、十字架による身代わりの処罰を受け入れる以外に救いはないと、認めなければならないということです。


 使徒の働きに戻ります。パウロはアテネでの体験を通して、人間の知恵によっては創造者である神を知ることができないと悟りました。そうして人間の知恵に合わせて福音を伝えることは止めて、十字架につけられたイエスを宣べ伝えることにしたのです。十字架のことばの愚かさを通して招かれている、主なる神が備えた救いに自分を合わせるということです。罪の赦しと罪からの救いを伝える。これが神の知恵です。


 18章2節。コリントの町でパウロに新たな協力者が与えられます。アキラとプリスキラ夫妻であり、クラウディウス帝が発したローマからのユダヤ人追放令を受けて、コリントの町に滞在するようになったのです。アキラとプリスキラについて、彼らの初代教会での働きについては、次回以降、見ることにします。


 3節。アキラたちの職業は天幕作りです。それで同業であったパウロは、彼らの家に住み、福音を伝えるのです。4節。パウロはいつものように、安息日ごとにユダヤ教の会堂に赴き、ユダヤ人たちや改宗したギリシア人に福音を伝えました。


 5節。ベレアの町に留まっていたシラスとテモテがコリントに到着すると、パウロはみことばを語ること、福音宣教に専念したのです。天幕作りを止めたということです。パウロについては、天幕作りをして生活の糧を稼いでの福音宣教であったとは有名です。そのパウロに倣って、働きながら伝道するやり方を天幕作り、テントメイキングと呼びます。パウロは、宣教地の人々に経済的負担を負わせないように気を使いました。そしてこのあり方を誇りとしていることを、コリント人への手紙などで証ししています。


 しかしこのあり方こそが最善だと主張はしません。働く者が、その宣教の実から報酬を得ることはふさわしいと語るのです。この姿勢は主イエスご自身も教えています。旧約聖書の律法もそう定めています。実際にパウロは、ピリピの聖徒たちが物質的な支援を届けてくれたとき、それを心から喜び、感謝しました。


 テントメイキングができる状況が許されている人は、それを感謝して用いれば良いし、聖徒たちが、福音宣教のための働き人に経済的な協力ができるなら、それを感謝して用いることが大切です。パウロはどちらも用いました。経済的な支援がないときには、福音を伝える相手から期待することはせず、自分で働いて生活の糧を得ています。経済的な支援が与えられたときには、それを感謝して、福音宣教に専念したのです。コリント人への手紙第二11章7~9節で、パウロのその思いを知ることができます。


 使徒の働き18章6節。ユダヤ教徒たちは、パウロによる、イエスがキリストであるとする証しを、口汚く罵りました。これをきっかけとして、パウロは、ユダヤ人たちへの福音宣教に見切りをつけ、福音宣教の対象を、異邦人へと定めたのです。


 あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行くと宣言しました。これまでパウロは、ずっとユダヤ人たち、ユダヤ教徒たちに福音を伝え続けてきたけれど、彼らの多くは、主イエスを信ぜず、主イエスの十字架の死と復活による罪の赦しと罪からの救いという福音を拒み続けたのです。パウロはついに、福音宣教の対象を、異邦人へと切り替える決断をしたのが、今日の箇所です。


 復活された主イエスが、パウロに現れ、救いへと招き、パウロがナザレのイエスをキリストであると信じ、受け入れたとき、主イエスご自身がパウロに、異邦人への福音宣教という使命を委ねました。パウロはこの時コリントで、異邦人への福音宣教という使命に、全面的に従うことにし、軸足を移したのです。しかしユダヤ人への福音宣教を諦めたわけではありません。7~8節に記されているように、会堂司クリスポが家族全員とともに主イエスを信じましたが、このことにパウロが関わっていたことは明白です。


 9~10節。ある夜とあります。コリントに来てどれくらい日数が経った頃でしょうか。パウロは恐れを抱いていました。そのようなパウロに、主は語りかけたのです。パウロの恐れが何なのかは、具体的には分かりません。ただ想像することが許されるなら、アテネでギリシア人から福音を拒否されたこと、そして同胞ユダヤ人たちからは拒絶され続けている中で、何を、どう語ればよいのか分からなくなったということ、また、拒絶され続けたことからくる恐れではないかと思うのです。福音宣教は主イエスご自身から、直接委ねられた使命でしたが、どんなに熱心に福音宣教を続けても、拒絶され続けたのです。そのような中で、パウロは不安と恐れで気落ちしていたのかもしれません。


 しかし主なる神ははっきりと語りかけます。9~10節。恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。わたしがともにいるから、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから、と。


 私たちも恐れてはなりません。救いは主のものであるとの真理に立ち続けましょう。私たちに委ねられているのは福音を伝えることです。十字架につけられたキリストを伝えることです。聖霊が働かれるなら、その人は罪を認めます。罪の愚かさ、恐ろしさに気づかされます。そうして、人となられた神、主イエス・キリストが十字架で死なれたのは、自分の罪に赦しを備えるための身代わりの処罰であったと分かり、罪の赦しを求めて悔い改め、創造者であるまことの神を自分の神と仰ぐことになるのです。救いは主のものです。聖霊によらなければ、だれも、イエスを主と告白できません。私たちは恐れて退くのではなく、大胆に主イエスを、十字架の死と復活を伝えるだけです。後は神さまに任せれば良いのです。わたしの民と言われる人に、福音が届くように祈り、伝え続けましょう。


 11節。主の励ましを受けてパウロは、コリントの町に腰を落ち着けることにしました。1年6ヶ月の間腰を据えて、人々に神のことばを教え続けたとあります。そうして、キリストの教会が建てあげられました。コリントは女神アフロディーテをまつる町であり、性的な腐敗が一般化していました。またこの教会にはいろいろな問題があり、本当にキリスト信仰者の集まりなのかと訝る教会であったことが、手紙を読むと分かります。そのような、ある意味で難しさを抱える町にもキリストの教会は建てあげられたのです。私たちは人間的な判断で、ここでは福音宣教は難しいなどと、簡単に決めないことが大事です。救われる人は少ないかもしれません。教会がなかなか霊的に成長しないなどと思うこともあるでしょう。しかし人間的な評価は退けましょう。救いは主のものです。成長させてくださるのは神です。私たちがすべきことは、福音を、神のことばを伝えることです。


 12節から。ユダヤ教徒たちは相変わらず、福音宣教を妨害します。妨害が起こることも当然のことであると想定しておくことが大事です。


 18~22節、第二次伝道旅行は終了しました。エルサレムの教会で、アンティオキアの教会での報告は、パウロたちがどうしたとか、その結果どうであったかということではなく、神がパウロたちを用いて、どうなされたのか、その結果はどのようであったかという神のみわざが報告されたと考えられます。


 コリント人への手紙第一1章21~24節。十字架のことばは、救われる私たちには神の力です。十字架を誇りとし、十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。



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