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2023年4月30日 礼拝「同じユダヤ人でも」使徒17:1~12

更新日:2023年4月30日

 先週私たちは、主イエスが語られた種蒔きのたとえから、聞く耳を持って聞くこと、つまり聞いたことばを生きる一歩を踏み出す大切さとその幸いを確認しました。神のことばにいのちがあるので、生きる一歩を踏み出すとき、神のことばが実を結ばせるのです。


 今日私たちは、テサロニケにいるユダヤとベレアにいるユダヤ人の、パウロによって語られる神のことばを聞く姿勢の違いが、彼らをして全く異なる結果を生み出す出来事を確認します。同じユダヤ人でありながら、神のことばに対する態度の違いによって、方や福音に対して暴力的な反対者となり、方や福音によって、主なる神の祝福、救いに与るのです。私たちは、テサロニケのユダヤ人たちのようにではなく、ベレアのユダヤ人たちのように、福音を信じ、生きることによって、主の恵みと祝福に与る者となりたいのです。


 パウロによる第2次伝道旅行を見ています。ピリピでの福音宣教を終え、パウロたちはマケドニア州の州都テサロニケに向かいました。ピリピにはユダヤ人が少なかったのでユダヤ教の会堂はありませんでしたが、テサロニケにはユダヤ人も多く住んでいたので、ユダヤ教の会堂がありました。それでパウロは、いつものように、会堂に集まるユダヤ人にキリストの福音を伝えたのです。パウロがユダヤ人たちにキリストの福音を語るのは、彼らは旧約聖書をよく知っており、彼らが待ち望んでいるメシヤ、キリストはすでに来られ、神の約束は、ナザレのイエスによって実現したと論証できるからです。


 2節。三回の安息日にわたってとあります。パウロは安息日ごとに会堂に赴きました。そして集まってくるユダヤ人と、聖書に基づいて論じ合ったのです。3節は、その内容の簡潔なまとめです。第一に、キリストは苦しみを受けること、第二に、キリストは死者の中からよみがえらなければならないこと、そして第三に、ナザレのイエス、十字架で処刑され、三日目に復活したイエスこそキリストなのだと説明し、論証したのです。


 パウロは旧約聖書をひもといて、ユダヤ人たちが待ち望んでいる約束のメシヤ、キリストについて説明をしました。そのとき、キリストは苦しみを受けることが定められていたことに、ユダヤ人の意識を向けるのです。キリストが苦難を受けるしもべとして定められていることなど、多くのユダヤ人は考えませんでした。彼らが待ち望んできたメシヤ、キリストは、王の王として、イスラエルの国を再興する方だからです。当時、ユダヤ人たちは、ローマの支配から解放する王としてのメシヤ、キリストを待っていたのです。


 だからパウロは、聖書の記述を引用しながら、まずキリストは、苦難を受けるしもべとして来られると論証します。その上で、ナザレのイエスこそ約束のメシヤ、キリストであると説明するのです。ナザレのイエスは、処女マリヤから生まれたこと。ナザレで育ったけれど、ローマ皇帝による住民登録のために、ベツレヘムで生まれたこと。ダビデの家系であること。3年間の公の生涯において、人々を病や悪霊から解放し、いろいろな不思議を行い、自分が神の子、キリストであると公言してきたこと。そしてユダヤ教指導者たちが、ローマ人の手でナザレのイエスを十字架で処刑したこと。その葬られた墓が三日目にからになったことなど、ナザレのイエスの生涯は、旧約聖書で預言されているメシヤ、キリストの姿と同じであると論証したのです。


 4節。その結果、ユダヤ人の中のある人々はよく分かって、主イエスをキリストとして受け入れ、また神を敬うギリシア人や貴婦人たちの多くも、同様に受け入れたのです。


 5節。しかしねたみに駆られたユダヤ人たちがいました。彼らは、新しい教えを述べるパウロとシラスに、多くの人々が従う状況を妬むのです。その教えは真理かどうかを吟味することなく、暴動を起こし、町を混乱させました。彼らは真理かどうか吟味して、真理なら受け入れれ、真理でないなら、いずれ化けの皮が剥がれるのだから、それを待てば良いのであって、妬む必要はないのです。しかし彼らは、妬みに駆られたことで、パウロとシラスに襲いかかろうと捜し回るという恐ろしい行動に出たのです。


 10節。パウロとシラスは危険を避けて、テサロニケを去りました。しかしテサロニケに生まれたキリスト教会は、主の恵みと祝福を受けながら、喜びと感謝の中、しっかりとその地に根ざしたことが、テサロニケ人への手紙で分かります。迫害する者はいるけれど、イエスをキリストと信じる信仰に堅くとどまることで、良い実を結んだということです。


 パウロとシラスは、ベレアでも、ユダヤ人の会堂に向かいます。11節。ベレアのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直でした。妬みに駆られるのではなく、熱心にみことばを受け入れました。そして語られたことばが本当に神のことばかどうかを、毎日聖書を調べたのです。


 端から拒むのではなく、熱心に受け入れる。この姿勢が大事です。パウロが旧約聖書をひもといて、メシヤ、キリストについての預言を語っていることに対し、それを茶化したり、聞き流したりするのでなく、熱心に受け入れました。聞く耳を持って聞いたのです。キリストの受難と復活について、今までユダヤ教では聞かされてこなかった聖書のことばが語られています。その聖書のことばをそのまま受け入れました。


 そして聞いたことを鵜呑みにするのではなく、それが本当に旧約聖書で語られている神のことばとして受け入れて良いかを調べたのです。毎日です。聞かされたことが本当に聖書に記されているなら、俄には信じられないと思っても、受け入れるべきであるという姿勢で聖書を調べたのです。逆に、どんなに心を動かされる話の内容であっても、もし聖書に記された神のことばと合致しないのなら、それを受け入れてはなりません。このような姿勢を持つ人々を、使徒の働きの著者は素直だと賞賛し、この記述が聖書に残りました。主なる神が、素直な人と見なすのは、このような人々です。


 私たちも素直な人となりましょう。まず、聞く耳を持って聞く姿勢を身につける。種蒔きのたとえでいうなら、語られていることを良い心で聞くということです。先入観を脇に置いて、今何が語られているのかに耳を傾けるのです。自分なりの是非の基準は後回しにして、心を真っ新な状態にして耳を傾けるのです。


 次に、聞いたことが本当に、聖書全体から見て、神のことばに合致しているかどうかを調べるのです。これは私たちが、真に、神のことばによって生きることを得させる秘訣となります。私も毎週礼拝で、神のことばを取り次がせていただいていますが、神のことばを神のことばとして取り次ぐことに神経を使って準備をしています。だから皆さまには、盲目的に受け入れてほしいと押しつけようとは思いません。そうではなく、本当に、聖書が語っていることなのかと聖書を調べるなら、たとえ私が間違って神のことばを語ったとしても、皆様はその間違いに気づきます。そのような信仰者が多ければ多いほど、教会は間違った教えに振り回されることはなく、神のことばにしっかりと立つのです。


 もし、聖書から確認しないで、牧師や伝道者が語ることを鵜呑みにする姿勢が身についているなら、それは危険です。牧師や伝道者が間違った教えに引き込まれたり、新しい牧師や伝道者が教会に来て、聖書を使って福音とは異なる教えを語り始めたとき、聖書を調べて確認することをしない教会は、その間違った教えに取り込まれてしまいます。


 大事なことは、一人ひとりのキリスト信仰者が聖書に親しむこと、語られていることが真に聖書が語っている神のことばかを確認するために、聖書を調べることです。そのような信仰生活を身につけているなら、間違った教えの風に吹き回されたりすることはなく、主イエスの十字架の福音が与える、真に幸いな、喜びと感謝に満たされた地上生涯を送ることになり、他の人々の祝福の器として豊かに用いられることになるのです。


 私たちも、ベレアのユダヤ人のように、素直でと言われる信仰者となりましょう。そして私たちが集う光る海教会が、真に福音に生かされて、私たちの家族や親族、友人、知人たち、そして石垣に住む多くの人々のための祝福の器として豊かに用いられたいのです。非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べる。私たちに与えられている一週間の時間、毎日の時間を調整して、そのための時間を確保していくことです。私たちも、素直でと称される、この良い習慣を身につけましょう。


 テサロニケのユダヤ人の幾人かは、主イエスの十字架と復活の福音をよく理解して受け入れたけれど、その他の多くのユダヤ人たちは、パウロとシラスに反対する者となりました。ベレアのユダヤ人たちは多くが主イエスを信じる信仰に入ったのです。福音を受け入れたユダヤ人たちと福音を拒んだユダヤ人たちの違いは、聞く耳を持って聞いたか、妬みによって耳を塞がれて、聞かなかったの違いです。聞いたことばが聖書と合致しているかを調べ、受け入れるとき、神のことばはその人を生かすいのちとなるのです。


 テサロニケのユダヤ人も、ベレアのユダヤ人も、同じユダヤ人です。同じユダヤ人が、聞く耳を持つか、聞く耳を持たないかで、全く異なる結果となるのです。私たちも同じです。聞く耳を持つ者を、神のことばは生かし、豊かな実を結ばせてくださいます。聞く耳を持たない者は、神のことばのいのちや力強さを体験できません。私たちはベレアのユダヤ人たちのように、素直にみことばを聞き、熱心に受け入れるために、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べる信仰生活を身につけましょう。




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