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2021年12月26日 礼拝 「日々、私たちの重荷を担われる方」詩篇68:19~20

  • hikaruumichurch
  • 2021年12月26日
  • 読了時間: 8分

おはようございます。今日私たちは、2021年最後の主の日の礼拝を主なる神に献げてます。コロナ禍にあった2021年でしたが、みなさまにとって、どのような一年だったのでしょうか。辛かったこと、苦しかったこと、がっかりしたこともあったでしょうが、喜びや感謝もあったと思います。私たちキリスト信仰者は、一年間を振り返って、主の恵みを数えることができます。そうすることで、苦しかったことの中にも主の恵みを見いだすことになり、主なる神への感謝を献げる幸いを味わうことになるのです。


 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるなと、詩篇の作者は歌っていますが、主がなしてくださった恵みを一つ一つ数え上げていく時、その時は何でこんなことになったのだろうと思うことも、後になると、主は最善をなしてくださっていたことの確認となるのです。そして、私たちは、その繰り返しをすることで、どのような状況に置かれたとしても、たとえそれが苦難に満ちていても、いつも、主に信頼し、主の喜ばれることを選び取る信仰者へと整えられていくことになるのです。


 2021年が、皆さまにとって、どのような一年だったのか、私たち光る海教会にとって、どのような一年だったか、師走の慌ただしい中かもしれませんが、ぜひ時間を確保して、主の恵みを思い起こし、一つ一つ数え上げて、主に感謝を献げる時を持っていただきたいとお勧めします。29日の午後2時から、年末感謝祈り会をします。普段祈り会に来ることができなかった方も、時間を確保できるなら、一緒に集まり、感謝の時を持ちましょう。


 コロナ禍でしたが、主が導いてくださったことを確認し、喜びと感謝を新たにして、神への信頼を篤くしていくのです。いつも喜びなさい。耐えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさいと招かれています。これは私たちの信仰生活が、いつも、主の恵みに支えられていること、主に信頼して生きることの大切さを確認する、有意義で、基本的な信仰生活の営みとなるのです。


 このコロナ禍の一年、悲しかった、がっかりした、どうしたらよいか分からなくなったという経験をしたかもしれません。そうであるなら、今日の聖書の箇所を確認し、私たちの主との関係を思うことで、希望を持つことになり、明るく前に進めます。


 19節。聖書は繰り返し、私たちキリスト信仰者に対して、主に信頼する者は失望させられることはないと確認させます。主が日々、私たちの重荷を担っておられます。「重荷」のことばは補足されています。日々主が、私たちを担われれるのです。


 私たちの主、創造者である神、全知全能の神である主は、日々私たちを担われるお方です。私を担うということばから思い浮かぶのは、まずはイザヤ書46章4節、今週のみことばです。あなたが年をとっても、白髪になっても、わたしは背負うと、主は語られます。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出すと、語りかけるのです。


 フットプリンツ、あしあとという詩も思い出します。「ある夜、わたしは夢を見た」という文から始まる詩の概要は次の通りです。わたしは主と渚を歩いている。自分のこれまでの人生のどの光景にも、砂の上には二つのあしあと、主とわたしのが残っていた。しかし自分の人生で最も辛く、悲しい出来事が起こった時、砂の上には一つしかなかった。そこで主に問いかけるのです。あなたはいつもともにいてくださると約束されたのに、わたしの人生の最も辛い時、最もあなたを必要としていた時、なぜわたしを見捨てて、ひとりにしたのですか。その時主は答えます。わたしはあなたを愛している。わたしの大切な子よ。その時わたしは、あなたを背負っていたのだ。わたしはあなたを捨てなかったと。


 私たちには、何と幸いな人生が約束されているのでしょうか。順風満帆に事が進むことがあります。逆風に翻弄されて、二進も三進も行かないことがあります。誰が見ても、喜びと感謝に溢れる状況に置かれます。どうしてこんなことがと人々から言われるような悲惨な出来事にさらされることがあります。私たちは確認しましょう。主の御前に敬虔に、忠実に生きようとする者たちもまた、様々な困難に見舞われることがあるのです。


 主イエスは言われました。あなたがたは、世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちましたと。世に勝つとは、世に依存しない者となると言い換えられます。現世利益から解放され、どのような状況に置かれたとしても、主なる神に信頼する者、主にのみ依存する者となるということです。


 パウロは宣言します。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」世と世にあるものは魅惑的で、私たちの肉の欲求をくすぐり、私たちの心を引き寄せる魅力を持っています。だからこそ、祈りつつ、世と世の欲と戦い、どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできないことを、常に確認し続けることが大事です。主イエスは警告しておられます。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうかと。この世での成功と引き替えに、自分のいのちを失うほどの価値は、この世にはないのだと肝に銘じておくことが重要です。


 十字架で私たちの罪を処罰するために、人として生まれ、身代わりに処刑された主イエスです。罪の赦しを備え、罪からの救いをもたらすために、いのちを捨てるほどの愛で愛してくださった神の御子を信じる信仰が、私たちをして世に打ち勝たせます。世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。とある通りです。


 私たちは2021年を振り返って、もう一度、世に打ち勝った勝利者とされていることを確認しましょう。一年の出来事を思い起こし、主の御業を確認し、感謝を新たにしていくのです。主ご自身に信頼できなくなり、被造物に依存して事を行い、その結果間違いを犯したことを思い出すなら、素直に過ちを認め、悔い改めて、新たに主をのみ信頼する一歩を踏み出しましょう。そのためにも、一年を振り返り、整理することは大事です。


 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、主イエスを信じた私たちは知っています。事が順調に運んでいる時には、一歩退いて、心して遜ることが大事です。高慢になって、神への信頼をなくしてしまわないように警戒するのです。逆境に置かれている時には、主が共におられることを改めて確認しましょう。わたしはあなたを捨てて孤児にはしないと語られた主イエスのことばを握りしめ、自分に確認させるのです。ほむべきかな 主。日々私たちの重荷を担われる方。この神こそ 私たちの救い。主イエスを信じる信仰によって神の子どもとされた私たちを、全能の神は格別な恵みをさらに増し加えるために、恵みから恵みに導いてくださいます。父なる神が、すべてのことがともに働いて益としてくださるのです。神への信頼を深め、神に聞いて生きることを、日々選び取るのです。


 詩篇68篇19~20節。じっくりと、噛みしめましょう。何と幸いではないでしょうか。これ以上の確かな保証はありません。この地上生涯が許可されている限り、全能の神が、どれほどの危険の中においても、私たちを背負い、重荷を担ってくださいます。その上でご自分の計画を推し進める大切な器として、私たちを用いてくださるのです。私たちがこの世を去る時まで、主が定めておられる、その時まで、この地上での人生を、主は最善を備えて導いてくださいます。私たちの重荷を担い、私たちを担って歩んでくださっていることを、決して忘れてはなりません。むしろ積極的に、主なる神と共に歩む、主に信頼して、主に聞いて、主のみこころを行う地上生涯を全うするのです。


 年末まで、時間を確保して、静かに一年を振り返る時を持ち、感謝をささげましょう。新たな気持ちで、自分をささげ、どのような状況に置かれても、そこに主を認めて、主の支配の中に置かれていることを確認して、主に従う、新しい年の一歩を踏み出すのです。


 おはようございます。今日私たちは、2021年最後の主の日の礼拝を主なる神に献げています。コロナ禍にあった2021年でしたが、みなさまにとって、どのような一年だったのでしょうか。辛かったこと、苦しかったこと、がっかりしたこともあったでしょうが、喜びや感謝もあったと思います。私たちキリスト信仰者は、一年間を振り返って、主の恵みを数えることができます。そうすることで、苦しかったことの中にも主の恵みを見いだすことになり、主なる神への感謝を献げる幸いを味わうことになるのです。




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