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2021年12月24日 イヴ礼拝 「宥めのささげ物としての誕生」1ヨハネ4:9~10

  • hikaruumichurch
  • 2021年12月24日
  • 読了時間: 5分

 クリスマスおめでとうございます。2021年のクリスマスの夜を迎えています。2021年とは、主が来られてから2021年が過ぎたという意味です。世界の多くの国が用いている暦はもともと、キリスト歴です。紀元前はB.C.、Before Christの略です。キリスト以前、つまり、キリストが誕生する何年前かで数えます。紀元後はA.D.、ラテン語のAnno Dominiの略で、主の年という意味です。つまり主キリストが来られてから何年が過ぎたかで数えるのです。意識するしないに関わりなく、キリスト暦は世界の主流の年の数え方であり、私たちは、日常の生活の中で、主イエス・キリストの誕生を基準とした年号を用いているということです。不思議な神の恵みを見ます。2021年の今年、皆様と蝋燭の光の中でクリスマスに関わる聖書の箇所を読み、賛美歌を歌いながら、イエス・キリストの誕生について確認していることに、主の大きな恵みを覚えます。


 最初のクリスマスの夜、ダビデの町、ベツレヘムに救い主がお生まれになったその時、御使いが羊飼いたちに告げ知らせたのは、この民全体に、つまり全人類に与えられる大きな喜びでした。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。御使いは告げ知らせたのです。あなたがたの、です。私のために、あなたのために救い主が生まれた。これがクリスマスであり、喜びの知らせです。この大きな喜びを、自分のものとしたい、そうは思わないでしょうか。


 ヨハネの手紙第1、4章9節には、救い主は神のひとり子であり、神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださったとあります。クリスマスが設けられた目的が、ここに記されています。私たちにいのちを得させるために、神はそのひとり子を世に遣わされました。そしてこれは、神の、私たちへの愛の表明です。神は私を愛してくださっている。神はあなたを愛しておられる。その表明として、神はひとり子を私たちにプレゼントされたのです。神の私たちへのクリスマスプレゼントです。


 10節。私たちは神を愛していなかったけれど、神は私たちを愛してくださり、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。私たちは、創造者である神を知らず、知ろうとせず、神に生かされていることなど思いもせず、感謝もしていませんでした。そのような私たちを神は愛して、宥めのささげ物としての御子を遣わされたのです。宥めのささげ物としての御子です。宥めるのは怒りです。神の御子は、怒りを宥めるささげ物として遣わされたということです。だれが、何を怒っているのでしょう。


 キリスト教会に来ると罪、罪、と言われるから嫌だと言う方がいます。確かにキリスト教会では罪を語ります。この10節にも、私たちの罪のために、とあります。私たちに罪があるという前提で語られています。そして聖書が、私たちに罪の現実を突きつけるのは、断罪するためではなく、赦すためであり、救うためだということを覚えたいのです。


 私たちは日々、様々な罪を犯しています。法的な違反があります。ことばや態度で人を傷つけることもあります。道徳的な罪、心や思いの中で犯す罪も、数え上げたらきりがないほどでしょう。しかし聖書が、その根源的な罪として指摘するのは、創造者である神を自分の神としないことです。創造者である神を神としない生き方を罪と指摘するのです。その根源的な罪、罪のあり方が、私たちをして、的はずれの生き方に進ませています。


 皆さまは、それをすべきだと分かっているのに、したくないと思い、しないで済ましていることはないでしょうか。それは悪いことだと分かっているのにしている、やめるべきだと思っているのに行っているということはないでしょうか。それが罪の結果です。善悪の判断はできます。しかし、そのとおりに生きられない。罪を犯しているから罪人と言われるのではなく、罪人だから罪を犯しているのです。


 神は怒っておられます。私たちの、その罪に怒りを向けておられるのです。罪はどんなに小さくても、神はその罪を罰します。完全に義である神は、どんなに微細な罪であっても、その罪を罰するのです。神は私たちのあらゆる言動に対して公正にさばき、罰します。自分の根源的な罪、そして犯している数々の罪の処罰を免れることはありません。


 しかし義の神は、愛の神でもあります。義の神は、罪を罰しますが、愛の神は、罪人の私たちを愛して、罪を赦し、罪からの救いを差し出してくださいました。そのために、私たちの罪の処罰を終わらせるために、宥めのささげ物としての御子を遣わされたのです。


 神は御子を十字架で処刑することで、私たちの罪に対する処罰を終わらせたのです。だから主イエスは私たちに宣言しておられます。あなたの罪は赦されましたと。赦しとは許可ではなく、赦免です。その罪に対する処罰は終わったので、犯さなかったことと見なすという無罪の宣言です。罪の処罰は、主イエスの十字架で完了したのです。私たちがすることは、その赦しを感謝して受け取ることです。拒んではなりません。神の怒りは、罪に対して燃え上がっているので、赦しを受け取らなければ、罰せられるのです。


 神は愛のお方です。私たちを愛して、救おうとしておられます。と同時に、神は義のお方です。赦しを拒んだ者が犯した罪を必ず罰するのです。だからその人は罰せられます。


 クリスマスは、救い主の誕生を記念する日です。私たちを罪から救うために設けられました。罪が赦されるという、これほどのすばらしい喜びはありません。神のあなたへの愛が現された日です。その愛を、自分に差し出されている救いを受け取れば良いのです。心からの感謝と喜びを主なる神に、愛してくださる神にお献げしましょう。




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