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死と復活 予告と実際

2022年イースター


そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、 長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、 殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。 (聖書)

 今年もキリストの復活を記念する季節を迎 えました。2022年は4月17日が主イエス・ キリストの復活の日、イースターです。春分の日を過ぎた最初の満月の週の金曜日に、イエスは十字架で処刑され、日曜日の早朝に死者の中から復活したのです。

【 人間は予告の通り生きられない 】  私たちはみな、明日、何が起こるか分からないで生きています。しかし、明日も今日と同じという前提に立って、それぞれの計画実現に向かって努力します。しっかりと備えをして日々生きることは大事ですが、同時に、自分の明日を正確に予測しきれるものではないのも事実です。まして、自分がいつ、どのように死ぬのかということを予告することなどできるでしょうか。たとえ自殺を計画し、それを予告したとしても、その通りに死ねるかは確定できません。いのちを支配しているのは、創造者である神だからです。

【 死と復活の予告 】  冒頭の聖書のことばは、イエスご自身にこれから起こる死についての予告です。その場所はエルサレムで、宗教指導者たちによって、ひどく苦しめられ、殺されるというものです。さらに、よみがえらなければならない、しかも、三日目に、とまで言い切る、驚くべき予告を されたのです。

 この死と復活の予告は一度だけではなく、三度も弟子たちに語られました。その内容をまとめると、次のように具体化されます。イエスは「人々の手に渡され」、彼らはイエスを「宗教指導者たちに引き渡し」、彼らがイエスを「死刑に定め、異邦人に引き渡す」。その目的は「十字架につける」ためです。その際に、三日目の復活も、はっきりと予告されたのです。

【 死と復活の実際 】  イエスは、その予告の通りに、弟子の一人の裏切りにより、民衆に捕らえられ、宗教指導者に引き渡されました。彼らは不当な宗教裁判を夜通し行い、神を冒瀆したとして死刑に定め、ローマ総督(異邦人) に引き渡しました。


 総督ピラトは、イエスには死に値する罪はない、と繰り返し主張しますが、宗教指導者に煽られた民衆の「十字架につけろ」の声と脅しに屈して、ローマ帝国の極刑である十字架刑を宣告したのです。

 イエスは金曜の午前9時頃十字架につけられ、午後3時頃息を引き取りました。墓に納められたイエスは、三日目、日曜の早朝、よみがえられたのです。墓は空になりました。すべて予告の通りに歩まれたイエスは、ただの人ではなく、神そのものであることの証拠です。

 冒頭の聖書のことばの「そのとき」とは、弟子の一人、ペテロがイエスに「あなたは生ける神の子キリストです」と告白した、そのときです。ペテロの信仰告白を受けて、ご自分が、キリストとして地上に来た、その目的を明らかに示されたということです。

 イエスは、私たち全人類の、あらゆる罪をその身に負って、私たちの代わりに十字架で処刑され、三日目によみがえられたのです。「らなければならない」と予告したのは、これが、 罪人を救うための神の計画だからです。

 この神の計画は、人間の考えからは出てきません。処刑され、排除されるという、普通に考えるなら失敗と思われる方法によって、救いが もたらされるということに、神の知恵があるのです。自分の理性に固執しないで、神のことばだからそれを受け入れるという決断、自分の人間的な判断よりも、神のことばに従うという決断によって、救うようにされたということです。創造者である神を、自分の神とすることが救いそのものだからです。

 この救いは誰でも受け取ることができます。神の自分に対する恵みとして受け取るだけだからです。自分に罪を認め、その赦しを求める者に与えられる「罪からの救い」なのです。あなたも救われます。

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