2021年冬
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。すべてのものは、この方によって造られた。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。 (聖書)
今年もクリスマスを迎える季節となりました。クリスマスは救い主イエス・キリストの誕生を記念する日です。イエス・キリストが、完全な人として、地上生涯を歩まれ、ローマ帝国によって十字架刑で処刑されたことは歴史的な事実であり、疑う余地はありません。
【 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた 】
宇宙万物は、ことばである神によって創造されました。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった」とあります。つまり、この世は、造られたものであり、造ったお方(創造者である神)が聖であるのに対して、俗なるものです。そして、聖と俗は混じり合うことなく、完全に切り離されています。
この聖である神が、俗であるこの世に、人として生まれた日、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」このことを記念する日が、クリスマスなのです。
【 この方にいのちがあった 】
ことばである神は、いのちそのものであり、この方にこそ、私たちを真に生かすいのちがあります。このいのちのことばが人として現れ、私たちに永遠のいのちが差し出されたのです。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」 この方、人となられた救い主、イエス・キリストを受け入れ、自分の救い主として信じる者には、神の子どもとなる特権が与えられ、永遠に生きるいのちを持つことができるのです。
【 ことばである神は、なぜ人となられたのか 】
さて、もし誰かが、あなたの身代わりとなって、罪の罰を受けてくれたら、あなたは赦されます。でも、身代わりになることができるのは、罪を犯していない人に限られるのです。聖書には、「義人はいない。一人もいない」と宣言されています。
では誰が、全人類の身代わりになれるのでしょうか。すべての人の創造者である神以外にはいません。だから、ことばである神、すべてのものを造られた神が、人となられました。このイエス・キリストが、十字架で、身代わりに処刑されることで、全人類、すべての人に、罪の赦しが差し出されたのです。
【 罪とは何か、救いとは何か 】
そもそも、罪とは何でしょうか。聖書が指摘する根源的な罪とは、創造者である神を神としない、そのあり方です。造られた者が、造り主を無視し、自分勝手な生き方をする、そのあり方が罪です。
聖書では、「罪」を表すことばとして、「的外れ」を意味することばが使われています。罪人は、的を外して生きているので、よく計画を練り、準備をして事を始めたのに、こんなはずではなかったという結果になるのは当然なのです。そうして私たちは、様々な間違いを犯し、具体的な数々の罪や過ちを犯してきたということです。
この的外れの状態が正され、あるべき状態に立ち返ること、それが聖書が差し出す救いです。そのためには、創造者である神を信頼し直し、神の絶対的な基準、真理に従って歩むことを喜べることが大事です。神が自分を愛しておられること、いのちを捨てるほどの愛で愛されていることを知り、受け入れれば良いのです。
【 あなたは 愛されている 】
クリスマスは、あなたへの神の愛が明らかに示された時です。ことばである神が、あなたの代わりに罪の罰を受けるために、十字架で処刑されるために、神のあり方を捨てて、人となられました。罪のない方として生まれるために、処女マリヤの胎内にいのちを宿し、赤ちゃんとして生まれ、乳幼児期を過ごし、青少年期を過ごし、成人となり、十字架で処刑されるまで、神の前に何の罪も犯すことなく、地上生涯を歩まれました。そして全人類のあらゆる罪の身代わりの処罰をその身に受け、すべての人に罪の赦しを差し出されたのです。
あなたが、あなたの救い主として、イエス・キリストを信じ、受け入れるとき、あなたは神の限りない愛で愛されていることを体験的に知ります。愛の神に全幅の信頼を置いて、神の基準で歩みはじめるのです。これが、あなたの救いのはじまりです。メリークリスマス!
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