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三浦綾子著『塩狩峠』

更新日:2023年10月3日

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。 (聖書)

【 DVD鑑賞会、特別講演会の案内 】 

​11月3日(金)午後2時~ DVD「塩狩峠」鑑賞会    11月9日(木)午後7時~ 「塩狩峠」を題材にした講演会   講師:長谷川与志充師(三浦綾子読書会顧問)    11月17日(金)午後7時~ 特別聖書講演会   講演「希望の生活」   講師:油井義昭師(神奈川県横浜市の教会牧師)

一つの集会だけでも、ご自由にご参加ください。

心から歓迎いたします。ぜひお出かけください。


 三浦綾子著『塩狩峠』をお読みになった方もおられると思います。この小説は、史実を基にして書かれました。小説の主人公のモデルとなった長野政雄さんは、雪の残る北海道・塩狩峠で逆走する客車の脱線、転覆を防ぐため、自分のからだを客車の下に投げ出して、乗客のいのちを救いました。1909年(明治42年)2月28日に実際に起きた列車事故でのことです。

長野さんはなぜ、自分のいのちを犠牲にしたのでしょうか。


小説『塩狩峠』のあらすじ

【主人公の生育歴】  主人公・永野信夫は、キリスト教を毛嫌いする祖母に育てられたことで、キリスト教を毛嫌いしてました。その祖母の死後、信夫を産んですぐに死んだと聞かされていた実母は生きていること、そして母が家を出て行ったのは、キリスト信仰を捨てなかったからと知ります。一緒に住むようになる中で、信夫は、母への思慕の気持ちと、母が信じるキリスト教への反感とで、複雑な思いを持ちつつ育つのです。

【 キリスト信者になる 】

 大学受験前に父が亡くなり、信夫は進学を諦め、働き始めます。その後、小学校時代の友人が住む北海道に移り住むことになり、友人の妹・吉川ふじ子と出会います。ふじ子は、生まれつき足に障害があり、その上結核で長く伏せっていました。

 その闘病生活の中で、ふじ子はキリスト信仰を持つのです。持ち前の明るさはあったものの、様々な逆境に置かれても、苦悩を感じさせない明るさ、心の豊かさに、ふじ子は輝いていました。

 そのようなふじ子との関わりと、町で出会った伝道者のことばやその生き方に魅せられて、信夫は、徐々にキリスト信仰を理解するようになり、そうして、自分の救い主と受け入れ、キリストを自分の神、自分の主とあがめる者となったのです。

【 殉職 】

 長い闘病生活を経て、ふじ子の病状は快復し、二人は結婚することになりました。その結納の日に、信夫は名寄から、ふじ子の待つ札幌に向かう列車に乗ります。そうして旭川の手前、塩狩峠で、その事故は起こりました。


【 キリストの十字架の死 】

 信夫は、キリストが語った「一粒の麦」のことばを座右の銘にしていました。キリストは全人類に、罪の赦しと罪からの救いを備えるために、十字架で身代わりの処罰を受けて死なれたのです。


 キリストの十字架の死の意味を、あなたも考えてみませんか。

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