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2026年8月2日 礼拝「主イエスの再臨の予告」ルカ21:25~36

  • 8月2日
  • 読了時間: 7分

 21章5~6節で、何人かが、エルサレム神殿が美しい石や奉納物で飾られている、と話

していたことをきっかけに、主イエスは弟子たちに、神殿が完全に破壊されること、どの

石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない、そのような日が来ると語られました。

 弟子たちは、主イエスのことばから、エルサレム神殿が破壊されるとは、世の終わりで

はないかと考えて、それが起こるときのしるしはどのようなものかと質問したのです。

 その質問に、主イエスは、2重の意味を込めて答えられました。ご自分が再び来られる

終末と、もうまもなく起こることになるエルサレムの陥落です。前回私たちは、エルサレ

ムの陥落の予告を見ました。今日は、主イエスが再び来られる終末の予告を確認します。

 25~26節。天変地異が起こり、人々は不安に陥って苦悩すると、主イエスは言われま

した。太陽と月と星にしるしが現れるとあります。これが具体的にどのようであるかは言

われていません。私たちは、太陽と月と星は規則正しく運行し続けてきたし、運行し続け

ていくと思っています。不変と思っていることが不変ではなくなることに、私たちは不安

を覚えるのです。地上では、海と波が荒れどよめくとあります。

 自然災害の国日本では、地震や津波、台風や大雨、そして洪水などは繰り返され、対策

も進んでいますが、甚大な被害を及ぼす災害の時には、不安に陥り苦悩します。最近は自

然災害が甚大化してます。先週は10年ぶりに、熊本で大きな地震が起きました。復旧復興

の途中での大きな災害に見舞われたのです。現在台風13号が猛烈に発達しています。今週

末には沖縄直撃の予報になりつつあります。ヨーロッパは熱波に襲われています。世界中

で気候変動が激しくなり、ある地域では干ばつが、他の地方では大雨洪水が起きていて、

地球はどうなっていくのだろうかと、不安が増大しています。

 27節。主イエスご自身が、人々は、人の子、主イエスが雲のうちに、偉大な力と栄光と

ともに来るのを見ると予告しました。ご自分の再臨を明確に予告されたのです。その日が

いつかは分かりませんが、キリスト信仰者はその日を待ち望んでいます。

 33節。今私たちが見ている天と地は消え去ります。私たちは、地球も宇宙も永遠に続く

かのように思っているかもしれません。自然災害が起こり、私たちの所有物が損害を受け

ることは覚悟していても、この天地そのもの、万物のすべてが消えてなくなるとは思って

いません。しかし今私たちが見ているこの世界、生活しているこの天地、手にしているも

のも、手にしていないものもすべてが、消えてなくなる日が定められています。主イエス

ご自身が、この天地は消え去りますと宣言されました。そしてこのことを語られた主イエ

スは、わたしのことばは決して消え去ることがありませんと言い切るのです。

 私たちがこの世界だけに望みを置き、この世界だけに依存していて、この世での生活に

執着しているなら、それは空しいことを求めていると知る必要があります。キリスト信仰

者の国籍は天にあります。私たちが行くべき場所、私たちが永遠に住む場所はこの地上で

はありません。この天地は消え去るのです。何もかも消えてなくなります。その定められ

た日が来れば天も地も、万物のいっさいが跡形もなく消え去るという創造者である神の計

画を覚えましょう。だからこの世に執着してはなりません。この世と、世の欲とを追い求

めてはならないのです。この世に望みを置くことは空しいと覚えましょう。

 35節。その日、主イエスの再臨の日は、全地の表に住むすべての人に突然臨む、とあり

ます。私たちキリスト信仰者はみな、その日のあることは知っています。しかし、その日

があるのを知っていることと、その日を迎える備えをしていることとは違います。このこ

とは注意しておかなければなりません。キリスト信仰者はその日に備えています。

 主イエスの再臨の日、その日を知らない人々がいます。その日を認めたくない人々がい

ます。その日のあることを聞こうとしない人々がいます。その日のあることを聞いている

し、警告を受けているけれど、その警告を無視して生きる人々がいます。私たちは、その

日のあることを知っているし、認めています。しかしその日のあることを考えないように

してはいないでしょうか。みなさまはどうでしょうか。もし、その日を考えないようにし

ているなら、みなさまにも、その日は突然臨むことになります。

 今日の聖書交読箇所で、人の子の日、人の子は、稲妻がひらめいて天の端から天の端ま

で光るのと、ちょうど同じようになりますと、主イエスは語られました。稲妻はいつ鳴る

のかは分かりません。しかし光ったなら、だれもがそれを認めます。ノアの洪水が起こっ

た日も、ソドムとゴモラが天からの火と硫黄で滅ぼされた日にも、人々は食べたり飲んだ

り、めとったり嫁いだりと、日常生活をしていて、何の備えもせずにいたので、突然臨ん

だのです。ノアが箱舟を山で造っている、その姿そのものが人々への警告でしたが、人々

は、ノアとその家族がしていることを愚かだとし、警告を侮っていたのです。

 34節。主イエスは弟子たちに警告しておられます。あなたがたの心がと、主イエスを自

分の先生と仰いでいる人々に、自分の心を点検させるのです。日々の生活において、放蕩

や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされて、主イエスの再臨に心が向けられず、世の人々

のように、突然臨むことのないようにと警告されました。よく気をつけなさいと。

 36節。その上で主イエスは招きます。主イエスは必ず再臨されます。主の再臨は泥棒が

来る日のようだとも言われました。泥棒が入るはずはないと思っている人は何の備えもし

ません。そうして泥棒に入られてから、愕然とします。しかし、常日頃から防犯対策して

いるなら、簡単には入られません。再臨への備えも同様です。

 来るか来ないか分からない泥棒に対する備えは大切です。とするなら必ず起こる主イエ

スの再臨に対して備えをするのはもっと大事です。神のことばはその時が来れば必ず実現

します。旧約時代に預言者を通して約束されていたメシヤ、キリストの来臨は、主イエス

の誕生とその生涯を通して、約束の通りに実現したことを知っています。そうして十字架

での死と復活によって、私たち罪人に、罪の赦しと罪からの救いが備えられました。

 復活された主イエスは、弟子たちに、再び来ると約束して、天に上って行かれました。

主イエスの誕生は、罪の赦しと罪からの救いを備えるための来臨ですが、再臨は、公正な

さばきを行うさばき主としての来臨です。主イエスの誕生とその生涯が預言のとおりに実

現したように、主イエスの再臨も、その約束と予告の通りに必ず実現します。だから主イ

エスの再臨に対しての備えが呼びかけられているのです。私たちは喜びと感謝をもって、

主イエスを迎えたいのです。

 みなさまはいかがでしょう。もし今日主イエスが再臨されたなら、喜びと感謝をもって

迎えられるでしょうか。それとも、今日来られたら困るでしょうか。もし困るなら、その

原因となっている罪、過ち、失敗などを解決していただく必要があります。主イエスの十

字架による赦しをいただくことが大事です。放置してはなりません。差し出されている赦

しを素直に受けて、罪のない者とされる必要があるのです。罪に対して敏感にならなけれ

ばなりません。そしていつ主イエスが来られても、喜びと感謝をもって、主の御前に出る

私たちでありたいのです。その備えは、今日自分が死ぬことになっても同じです。喜びと

感謝で主の御前に出ることができるように備えておくのです。

 では私たちのどのような思いが、主イエスの再臨の備えとなるのでしょう。それは、主

イエスの再臨を憧れをもって待ち望むことです。ただ漫然と待つのではなく、主イエスを

慕う思いで待ち望むのです。主イエスにお会いしたいと憧れ、待ち望むという態度には、

積極的に関わろうとする心があります。主イエスを迎えることを意識して、何をどのよう

にすべきかを考えるなら、私たちの信仰生活は、一味も二味も違ったものになります。

 この世の多くの人々は当然でしょうが、私たちの回りにいるキリスト者の中にも、主イ

エスの再臨を意識しようとしない、考えないようにして生活している人々がいるかも知れ

ません。しかし私たちは、彼らの生き方に同調して、引き込まれてはならないのです。主

イエスは必ず再臨されます。私たちは、喜びと感謝で主イエスを迎えたいのです。そうは

思わないでしょうか。主イエスの再臨の前に、私が地上を去ることもあるでしょう。その

時にも、喜びと感謝で主イエスとお会いしたいのです。そうは思わないでしょうか。


 
 
 

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