2026年6月14日 礼拝「良き働きを始められた方」ピリピ1:1~6
- 5 日前
- 読了時間: 9分
本日から、第2主日礼拝では、ピリピ人への手紙を読み進める計画です。ピリピ人への
手紙は、投獄されているパウロが獄中から送った書簡です。それは13節で「私がキリスト
のゆえに投獄されている」とパウロ自身が言及していることで分かります。この手紙の特
徴は喜びです。キリストのゆえに投獄されているパウロが喜んでいるのはどうしてなのか
をも、この手紙を読み進める中で確認したいと考えています。
ピリピはギリシアの北部マケドニア地方にある植民都市で、パウロの第二回伝道旅行の
時に教会が誕生しました。紫布の商人リディアが主イエスを信じ、彼女が自分の家を福音
宣教の拠点として使ってほしいと申し出たことで、ピリピでの福音宣教が続けられ、そう
してこの家を拠点として、キリストを信じる群れが作られたのです。
1節。パウロは自分のことをキリスト・イエスのしもべと紹介します。そのパウロとテ
モテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、監督たちと執事た
ちに書き送られた手紙であると分かります。パウロは、キリストを信じる信仰によって救
われました。十字架で流された神の御子の血という尊い代価で買い取られた者、贖われた
者と自覚しているので、キリスト・イエスのしもべという身分を誇りとしています。そし
てキリスト・イエスのしもべという立場は一緒にいるテモテも同じです。
さらにこの手紙を受け取るピリピにいる聖徒たちは、キリスト・イエスにあると確認さ
せます。キリストであるイエスを信じる信仰によって神のものとされた、神に属する者と
されたという意味において聖徒たちです。この世に属していた者が、神に属する者とされ
たという意味で聖別された者たちです。そのすべての聖徒たちに、その聖徒たちを監督す
る者たちと聖徒たちに仕える者たち、監督たちと執事たちにパウロは書き送るのです。
2節。パウロはまず、ピリピの聖徒たちのために祈ります。父なる神と主イエス・キリ
ストから、恵みと平安がありますようにと。恵みは受ける資格もない者に無償で与えられ
る神の愛や赦し、いつくしみなどです。神の恵みは一方的で、先行的です。救われるに値
しない罪人の私たちが、滅ぼされて当然の私たちが、父なる神と主イエス・キリストから
恵みを受けました。ありますようにとは、これから与えられるということでなく、すでに
与えられている恵みの中にとどまるようにとの招きです。主イエスを信じる信仰が与えら
れ、神の子どもとなりました。この恵みにとどまり、さらに恵みを覚えて感謝するように
との祈りです。
平安も同じです。すでに与えられている平安の中にとどまるようにとの招きです。主イ
エスは平安を残されました。ヨハネの福音書で弟子たちに「わたしはあなたがたに平安を
残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えませ
ん。あなたがたは心を騒がせてはなりません。怯んではなりません」と語っています。主
イエスを信じた私たちは、父なる神と主イエス・キリストから平安が与えられています。
その平安の中にとどまり続けることが大事です。
3節。パウロとピリピの聖徒たちの間にある親密な関係が窺われます。パウロにとって
ピリピの教会は大きな支えでもあったのです。4章15~16節でパウロは「ピリピの人た
ち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たとき
に、物をやりとりして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはあり
ませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度なら
ず二度までも物を送ってくれました」と記しています。このようなピリピの教会の一人ひ
とりを思うたびに、パウロは、私の神に感謝していますと正直な気持ちを表したのです。
4~5節。いつも喜びをもって祈りと記します。キリストを信じて、十字架と復活の福
音を宣べ伝えてきたことのゆえに、投獄されている、その獄中にあっても、パウロは喜ん
でいるのです。その喜びの最初が4節です。いつも喜びをもって祈りと、ピリピの教会の
メンバー一人ひとりを思い、彼らのために祈るたびに喜んでいるのです。
その喜びは感謝に基づいています。パウロが感謝しているのは、ピリピの聖徒たちが福
音を伝えることにともに携わってきたことです。最初の日から今日までとあります。最初
の日とは、パウロたちのピリピでの福音宣教の初めからということです。ピリピに福音が
伝えられたのは、使徒の働き16章に記されています。初めに紫布の商人リディアが主イエ
スを信じ、その後、家族のみなが主イエスを信じました。そうしてリディアとその家族は
自分の家を提供したことで、福音宣教の拠点ができ、福音宣教が毎日続けられました。そ
うして救われる人たちの集まりの場となったです。
今日までとは、パウロがこの手紙を書いているときも、ピリピの教会は福音を伝えるこ
とにともに携わってきました。先ほど引用しましたが、ピリピの聖徒たちは、パウロを経
済的に支え続けてきました。これらの関わり方をパウロは感謝していて、いつも喜びを
もって祈っているのです。
6節。あなたがたの間で良い働きを始められた方とあります。このお方とは、父なる神
であり、神の御子キリストであり、助け主の聖霊であるとも言えます。良い働きとは、こ
の文脈では、救いのみわざでしょう。十字架と復活の福音を伝えさせ、人々に罪の赦しを
知らせ、その罪から救う、救いのみわざです。その完成とは、救いの完成です。ピリピの
町に福音が伝えられ、救われる人たちを起こし、そこに主イエスを信じる人たちの群れが
生まれました。ピリピの街にキリストの教会が誕生したのです。そして信じた人たち個々
人も、その群れである教会も、霊的な成長をとげ、成熟した大人へと導かれるのです。
ピリピの街で実際に福音を伝えたのはパウロです。しかしそのパウロは、自分の働きと
は言いません。自分を用いて福音を宣べさせ、救いの恵みに人々を入れてくださったの
は、自分をしもべとしてくださったキリスト・イエスだからです。私たちも、このパウロ
の姿勢を身につけることが大事です。私たちの主となられたキリスト・イエスは、私たち
を用いて、良い働きを始められます。そしてそれを完成させてくださるのです。
ピリピに誕生した教会は、パウロを通しての主の救いのみわざ、福音宣教のみわざに参
与することになりました。その初穂として用いられたのが、紫布の商人リディアです。最
初に主イエスを信じて救われた彼女は、家族にも福音を伝えてもらい、みなでバプテスマ
を受けました。その感謝と喜びの中で、自分の家を福音宣教の拠点として用いていただく
ことを願います。救いの初穂となったリディアは、福音宣教の主のみわざに参与する初穂
として、自分と自分の家を献げたのです。その霊的姿勢がピリピの教会の特徴となりまし
た。だからパウロは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携
わってきたことを感謝していますと書き送っています。主のみわざに、良い働きに参与で
きる恵みをともに確認し、感謝できるのは、なんと幸いではないでしょうか。
私たち光る海教会も、教会再生と再開拓という主のみわざに、主の良い働きに参与させ
ていただいています。私たちの間で良い働きを始められた方、主は、この教会の核となる
方々を残してくださり、その人々を基に八重山再生プロジェクトを立ち上げて、教会連合
の多くの有志教会と有志の方々を後方支援として、祈りと経済的支援に加わらせ、今日ま
で、福音を伝えることにともに携わらせてくださっています。これからも様々な霊的な戦
いがあり、いろいろな困難や問題に晒され、頓挫させられたのでは、と思うこともあるで
しょう。しかし良い働きを始められた方は、その働きを完成させてくださいます。私たち
もパウロと一緒に、主はその良い働きを完成させてくださいますと確信しましょう。
キリスト・イエスの日が来るまでにとあります。主イエスの再臨の日です。主は救いの
みわざという良い働きを始め、主イエスの再臨の日まで、その良い働きを完成させてくだ
さる方です。私たちはこの確信があるので、主のみわざに目を向けることができます。だ
から、目に見える状況がどれほど困難を極めているとしても、主のみわざは前進し、みこ
ころの計画は実現するのです。だから私たちは、状況に左右されることなく、喜びを覚
え、感謝を新たにすることができます。いつも喜びをもって祈ることができるのです。
私たちを救いに導き入れてくださった、その良い働きを始められた方は、キリスト・イ
エスの日が来るまでにそれを完成させてくださる、との宣言は、私たちにとって励ましで
あり、慰めです。私たちの救いはもちろん、私たちが用いられることで救いに与った人に
ついても、その救いの完成のために、主は働きを続けておられるからです。救いの完成と
は、主イエスの再臨の時に、私たちのからだが贖われて、罪の全くない、栄光のからだに
造り変えられることですが、この地上での信仰の生涯において、救いの完成に近づくと
は、罪との戦いに勝利するという霊的成熟に近づくことでもあります。良い働きを始めら
れた方、主がそれをなしてくださるのです。
だから私たちは、自分の救いについても、他のキリスト信仰者の救いについても、その
霊的成長を忍耐して待つことができます。日々神のことばに触れ、主との霊的な交わりを
続けることで、私たちは霊的に成長していきます。また他のキリスト信仰者のためにとり
なし祈ることができます。主の良い働きに委ねることができるのは、本当に幸いです。
今日の聖書箇所の文脈では、良い働きは、救いのみわざであること、福音宣教のみわざ
に私たちが参与させていただけることと確認しました。しかしこの良い働きは、福音宣教
と救いを超えて、すべての良いことに適用できます。私たちが主にあってなすすべての良
い行いに広げることができます。私たちを用いて主なる神がなされる良い行いのすべてに
対して、それを始められた方は、完成させてくださると確信していることが大事です。
パウロはエペソ人への手紙で「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするため
にキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いを歩むように、そ
の良い行いをあらかじめ備えてくださいました」と記しているように、私たちが主イエス
を信じて救われ、神の子どもとされたのは、良い行いをするための神の作品とされるため
です。神が備えてくださっている良い行いを歩み始めた者は、主によって完成へと導かれ
ると確信することができます。私たちは、父なる神の御前での良い行いを選び取り、その
良い行いに歩み始め、その良い行いの完成を期待できます。
私たちが目を向けるお方は、私たちの間で良い働きを始められた方です。自分を見るの
ではなく、他のキリスト信仰者に目を向けるのではなく、私たちの間で良い働きを始めら
れた方に目を向け、そのお方に望みを置くのです。このような信仰の歩みが与えられてい
ることを感謝しましょう。




コメント