2026年5月24日 礼拝「約束の聖霊が与えられた」使徒2:22~39
- 5月24日
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今日は、キリスト教会において、ペンテコステとして記念する日です。主イエスが弟子
たちに約束しておられた助け主の聖霊が、弟子たちに与えられた記念の日です。そうして
聖霊は、主イエスを信じる者の心に賜物して与えられることになったのです。
使徒の働き1章には、主イエスが天に戻られるときの出来事が記されています。その時
主イエスは弟子たちに、聖霊が与えられると約束し、その時をエルサレムで待つようにと
命じられました。さらに、聖霊が与えられる目的は、弟子たちが主イエスの証人となり、
十字架の死と復活による罪の赦しと罪からの救いの福音を大胆に証する力に満たされるた
めです。その約束を受けて弟子たちは、一つ所に集まり、120名ほどが心を合わせて、祈
りに専念して、約束の実現を待ち望んだのです。そして10日が経過しました。
2章1節。主イエスが天に戻って行かれてから10日後、主イエスの復活の日から50日、
五旬節の日になりました。この日は7週の祭りの日です。7週の祭りとは、過越の祭りの
安息日から、7回の安息日を数え、その翌日に行なわれる祭りです。つまり、主イエスの
復活の日から数えてちょうど50日目にあたります。7週の祭りは、過越の祭り、仮庵の祭
りとともに3大祭りであり、イスラエル人のすべての男子は主の前に出ることが律法で定
められていました。それで敬虔なユダヤ人たちは世界中から集まっていました。
主なる神はこの日を選んで、弟子たちへの約束を実現されました。助け主の聖霊が主イ
エスの約束の通りに弟子たちに臨み、弟子たち一人ひとりが聖霊に満たされることが、弟
子たち自身にも、また第3者にも、客観的な事実として確認されるために、主なる神は、
超自然的な音と超自然的な光景を伴わせたのです。
2節。天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、弟子たちがいた家全体
に響きわたりました。6節を見るなら、その物音に驚いて大勢の人々が集まって来たとあ
りますから、これはものすごい響きであったと想像できます。
3節。炎のような舌が分かれて現れ、弟子たち一人ひとりの上にとどまりました。弟子
たちは他の弟子たちの上に、炎のような舌がとどまっているのを確認したのです。
4節。弟子たちは聖霊が語らせるままに、今まで話したことのない外国語で語りだした
ことで、自分が聖霊に満たされたこと、他の弟子たちも聖霊に満たされたことを確認した
ということです。主なる神は弟子たちに、超自然的な体験をさせてくださいました。
5節。エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいた
とあります。これは滞在していたという意味です。過越の祭りから七週の祭りまで、2ヶ
月ほどですから、多くの敬虔なユダヤ人たちは、この7週の祭りを祝うために帰国するこ
となく、そのままエルサレムに滞在し続けたのです。
敬虔なユダヤ人が多く集まっている時に、約束の聖霊は与えらました。敬虔なユダヤ人
たちは、超自然的な現象の中に、主なる神の特別なみわざを見て、神をあがめることが期
待できるので、これら敬虔なユダヤ人たちに目撃させることは最善であったと言えます。
主なる神は七週の祭りを、聖霊降臨の日として用いられました。
11節。弟子たちは訳の分からないことを、訳の分からないことばで語っていたのではあ
りません。神の大きなみわざを、そこにいる人々が理解できるいろいろな国ことばで語っ
たのです。主イエスの十字架の死と復活によって罪の赦しが備えられたこと、十字架で処
刑されたナザレのイエスこそキリストであると信じる信仰によって罪の赦しが与えられ、
罪から救われること、その大きな神の恵みを、主の証人として語ったのです。
7~11。そこに集まってきた人々が列挙されています。かれらはそれぞれ、自分の国こ
とばで、神の大きなみわざが語られていることを理解しました。アッシリヤ、バビロン、
ペルシア方面の国々、トルコ半島の国々、北アフリカ、ローマ、地中海の島、そしてアラ
ビヤなどです。本当に多種多様なことばが入り乱れて語られていたのでしょう。しかしそ
の語られた内容は一つです。神の大きなみわざが語られていました。
聖霊は弟子たちを、主イエスの証人としました。弟子たちは、自分の信仰体験や自分の
考えを語るのではなく、神のみわざを、神ご自身を、主の救いの福音を語りました。助け
主の聖霊は、弟子たちを大胆にさせ、主の大きなみわざを語らせてくださったのです。
14節。弟子たちを代表してペテロが群衆に語り始めました。主イエスが捕らえられた時
には逃げ出し、宗教裁判が行われた大祭司の庭では、三回もイエスを知らないと口走った
ペテロ、臆病であったペテロが、今大胆に証言しています。16節。今起こっている不思議
な現象は、預言者ヨエルによって語られていた約束の実現であると説明しました。
17節。終わりの日に、神の霊がすべての人に注がれます。その約束が実現しました。今
が終わりの日です。これから終わりの日が来るのではありません。神の御子が人として来
られ、すべての人の罪を処罰するために十字架で身代わりに処刑されました。すべての人
に罪の赦しが差し出されたことで、罪人を救う神の救いの計画は完了しています。だから
いつ私たちが見ている天と地、宇宙万物が消え失せ、新しい天と新しい地が再創造されて
も良い時となっています。これが終わりの日ということです。今私たちは終末を、終わり
の日を生きています。主イエスの再臨を待つ日々を過ごしているのです。
21節。主の御名を呼ぶ者はみな救われます。呼び求めるべき主の御名とは、十字架で処
刑されたナザレ人イエスの御名です。22節以降で、主イエスの十字架での死と復活が証言
されています。25節から詩篇16篇を引用し、この詩篇は神の御子、キリストの復活の預言
であり、その預言が成就したと説明を続けました。
32節。主イエスの復活は神のみわざであると明確に宣言します。自分たちはその目撃証
人なのだと。そして33節。神の右にあげられた主イエス、つまり神の全権を委ねられた主
イエスは、約束された聖霊を注がれたのです。その上で36節。ペテロは群衆に対して、主
ともキリストともされた主イエスを、あなたがたは十字架につけたのだと迫りました。
聖霊に満たされ、聖霊の働きに自分を明け渡したペテロは、大胆に主イエスを証し、聞
いている群衆に対して、主イエスを十字架につけたのはあなたがたなのだと迫りました。
そうしてこのペテロのことばは、私たちにも向けられています。私たちの数々の罪が、主
イエスを十字架につけたのです。私が犯した数々の罪に赦しを与えるために、神の御子は
十字架で、私の身代わりに処罰されました。私が、そしてあなたが、主イエスを十字架に
つけたという事実を知ることが大事です。
37節。聖霊は、まだ主イエスを信じていない人に働きかけます。罪を教え、罪の赦しを
提示された群衆に、聖霊は働きかけました。そうして心に罪の赦しを欲する思いを起こさ
せたのです。十字架の福音の力です。それで彼らは、ペテロと使徒たちに「私たちはどう
したら良いでしょうか」と、罪の赦しを受ける仕方を問いかけたのです。
38節。ペテロもまた聖霊に促されて勧めます。罪の赦しを受けるために、罪を悔い改め
ること、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けることへと促したのです。人と
なられた神の御子、十字架で死なれた主イエス・キリストを自分の救い主と信じる信仰と
決意の表明としてバプテスマを受けることで、賜物として聖霊を受けるのです。
主イエスを信じる前の私たちに、聖霊は外側から働きかけます。罪とは何か、救いとは
何かを知らせ、主イエスを信じる信仰による罪の赦しへ招いてくださいます。その招きに
応じて、主イエスを自分の救い主として受け入れ、自分の主と仰ぐ信仰の表明をした時、
聖霊は、その人の心に住んでくださり、今度は内側から信仰者を教え、促し、救われた者
として救いにふさわしく整えてくださるのです。
聖霊なる神は助け主です。私たちが助けを求めることを待っておられます。そして私た
ちが助けを求めるとき、私たちを真に生かし、神のことばに従って生きる力、神の大きな
みわざを語る力を与えて、私たちをキリストの証人とするのです。十字架と復活の福音、
罪の赦しと罪からの救いの福音を大胆に証する主イエスの証人とするのです。
39節。この約束とは、罪を悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受
ける者には、賜物として聖霊が与えられることです。この約束は、私たちの神である主が
召されるすべての人に与えられています。私たちが、罪の赦しを得るために、罪を悔い改
めて、救い主イエスを信じて、主イエスの名によってバプテスマを受けることで、だれも
が賜物として聖霊が受けるということです。
その日三千人ほどが主イエスを信じて救われ、教会の仲間に加えられました。その教会
の様子は「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをし
ていた」と記されています。ペンテコステは、教会の誕生を記念する日でもあります。
キリスト信仰者たちは、使徒たちの教えを守りました。聖書を学び、神のことばを土台
にして、神のことばに同意して生きようとしていたのです。交わりを持ちとは、神の家族
とされた者として、互いを愛し、互いに信仰の徳を高め合う、教会の交わりを深めようと
していたということです。パンを裂きとは、主の聖餐に与ることで、神の教会は一つから
であり、自分はキリストのからだを構成する大切な一員であることを自覚し、お互いを大
切な存在であると確認していたということです。そして祈りをしていました。神の家族で
あるお互いが、一つ思い、一つ心になり、神のみこころを思い、神の御思いに自分の思い
を合わせて、神の聖さ、神の正しさに近づいていく、大切な歩みです。
聖書を学んで、神のことばを生き、信仰と霊的な品性を高め合う交わりをし、主の聖餐
に与ることで、自分たちは一つであることに同意し、そして祈る。私たちも、これら四つ
のことを主にあって求め合う者とされたいのです。約束の聖霊が与えられました。聖霊が
心に住んでおられます。キリストのからだである神の教会の一員とされたことを覚え、互
いにキリストのからだの大切な器官を担い合っていることを確認して、聖書の教えを守
り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをする、そのようなお互いとなりましょう。
私たちは神の賜物として、心に聖霊を宿しています。だから聖霊に導かれて歩む一歩一
歩を歩むのです。神のことばに養われ、聖霊の促しに敏感になり、聖霊の導きに素直に従
う者は、主の豊かな恵みと祝福を味わい、主イエスの証人として、人々に福音を証する者
として整えられていくのです。




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