2026年8月16日 礼拝「天の故郷に憧れる」ヘブル11:13~16 召天者記念礼拝
今日は、年に一度ですが、召天者記念礼拝の日です。キリスト教会が召天者記念礼拝を
行うのは、先に天に召された方々を偲ぶとともに、主イエスを信じた私たちも、天に凱旋
する日を待ち望みつつ、地上生涯を歩んでいることを確認するためです。主イエスを信じ
て永遠のいのちを受け取った私たちも、必ず死ぬけれど、その日は天の御国への凱旋する
日です。そして先に召された神の家族と再会する希望の日でもあります。今日私たちは、
創造者であるまことの神を信じて、地上生涯を終えた信仰者たちのように、私たちも天の
故郷に憧れて地上生涯を歩む者となっていることを確認します。
週報に記した方々は、創造者である神の恵みの中で、主イエス・キリストを信じる告白
をした人たちです。彼らの生と死を思いながら、聖書の語りかけに耳を傾けましょう。
「死ぬるばかりは真」という諺があります。嘘、偽りが蔓延している社会においてさえ
も、死ぬことだけは真実であるという意味です。社会が乱れ、誰をも信じることができな
い世になったとしても、ただ一つ、嘘、偽りのない厳粛な事実がある。それは誰もが死ぬ
ということです。私たちは必ず死にます。だから、どのように生を全うするかが大切にな
ります。死という厳粛な事実に向かっているからこそ、悔いのない人生、真に有意義な生
涯を送りたいと思うのです。
聖書は、死について、死後について、どのように告げているでしょうか。ヘブル人への
手紙には「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」との明
確な宣言があります。人間が死ぬことと、死後にさばきを受けることを定めたのは、創造
者である神です。人は必ず死にます。そして死後、すべての言動がさばかれるのです。
またローマ人への手紙には「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができ
ず」とあり、さらに「罪の報酬は死です」と宣告します。人が死ぬのは、罪を犯している
からです。すべての人が罪を犯しています。法に触れる罪だけではなく、心においても、
道徳的な罪も犯しています。すべての人が罪を犯しており、その報酬として死が定められ
たのです。そして死後、すべての言動に対して公正なさばきが行われます。
聖書の宣言がここで終わっているなら、私たちに希望はありません。行く末は恐怖だけ
です。私たちはみな、何らかの罪を犯しているからです。みなさま、自分の人生を正直に
振り返ってみてください。物心ついたときから犯してきた罪を列挙するなら、その刑罰の
量刑はどれほどになるでしょうか。公正な神がさばきを行うのです。
しかし私たちには希望があります。創造者であるまことの神は、私たちが犯してきた罪
に赦しを備えて、救いへと招いておられるからです。「罪の報酬は死です」との厳粛な宣
言には「しかし」と続きがあります。「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの
主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」と、いのちへの招きがあるのです。
さて、今日の聖書の箇所を確認しましょう。ヘブル人への手紙11章には、創造者である
まことの神を信じた一人ひとりの生涯、信仰の人として歩んだその歩み、信仰によって選
び取った生きざまが列挙されています。信仰による歩みとは、自分が信じたとおりを歩む
ということではなく、まことの神のことばに自分を合わせて歩む歩みです。11章1節に
「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるもの」とありますが、
神の語りかけに同意する、神の語りかけの通りになると信じて従う歩みです。
13節。これらの人々は、とあります。信仰の人として歩んだ人々であり、前の段落にあ
る、信仰の父と称賛されるアブラハムと、その子イサク、孫のヤコブを指しています。ア
ブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと、神の召しを受け、それ
に従いました。その地がどのような地なのかを知らずに、自分の故郷を出たのです。彼ら
は定住することなく、天幕生活、テント暮らしを続けました。その生活を通して、神の約
束、創造者であるまことの神が建てる都を待ち望んでいることを、証したのです。
これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。地上生涯では、神の約束のものを
手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎えたのです。その
信仰の歩みは、地上では旅人であり、寄留者であることの告白でした。彼らは創造者であ
るまことの神とその約束を信じたので、地上に執着することはありませんでした。
約束のものとは、堅い基礎の上に建てられた都です。この地上に建てられる都でなく、
天の都です。主イエスは「この天地は消え去ります」と語られましたが、私たちが生活し
ているこの地上は、いつ揺り動くか分からない地であり、堅い基礎とは言えません。信仰
の人として歩んだ彼らは、神の約束の実現は、地上ではなく天であると受け止めました。
14~15節。地上に依存する生き方ではなく、地上では旅人であり、寄留者であること
を受け止めて歩んだこれらの人たちは、自分の故郷を求めて歩んでいました。故郷とは自
分の出身地というよりも、心の拠り所という意味合いでしょう。自分が帰りたい地、帰る
べき地です。彼らは出て来た故郷に思いを向けてはいませんでした。出身地に帰る機会は
ありましたが、帰りませんでした。神の約束の実現を待ち望んでいたからです。
16節。彼らは、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでおり、それはこの地上にはな
いことを知っていました。実際彼らが待ち望み、憧れていたのは、天の故郷でした。創造
者であるまことの神を信じる信仰をもって、地上生涯を歩んだ信仰者たちは、この地上に
望みを置かなかったのです。地上では旅人であり、寄留者であると受け止めていたからで
す。そのような信仰者たちの神であることを、まことの神は恥としないで、地上での様々
な祝福を用意して、その歩みを導かれたのです。そうして彼らのために、天の故郷、天の
都を用意されました。その都、天の故郷を、信仰者である彼らは憧れていたのです。
新約時代に生きる私たちキリスト信仰者は、信仰の父とされたアブラハムやその親族よ
りも、より具体的に天の故郷に憧れています。彼らは救い主が来ることを知らされていま
したが、そのお方がイエス・キリストであるとは知りませんでした。まことの神がどのよ
うに救いをもたらされるかは分からなくても、神の救いの実現を待ち望んでいたのです。
さらに彼らは、天の御国への凱旋を望み見て、地上生涯を歩みました
私たちは、まことの神が備えておられる救いは罪の赦しと罪からの救いであること、永
遠のいのちが与えられて、新しい天と新しい地に住む者とされることを知っています。そ
の救いのために、神の御子は人となってこの地上に来られました。クリスマスの出来事で
す。その目的は、私たち罪人の身代わりとして、十字架で罪の処罰を受けるためでした。
私たちに罪の赦しを備え、罪から救い出し、神の子どもとなる特権を与えるために、十字
架で死ぬために来られたのです。そうして罪の赦しを受け、罪から救われた者たちは、永
遠のいのちが与えられ、肉体の死の後、朽ちることのない、死ぬことのないからだに復活
することが約束されています。そのからだをもって、再創造される新しい天と新しい地、
天の御国で、永遠を過ごすのです。
聖書に「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来
られるのを、私たちは待ち望んでいます」とあります。私たちは、今日の聖書箇所に記さ
れている、旧約時代の信仰者以上に、天の故郷を身近に思うことができます。キリスト信
仰者は、天の故郷に憧れるというよりも、自分に約束されている天の御国をしっかりと見
据えて、その約束の実現を待ち望んでいるからです。
私たちも必ずこの世を去ります。死後にさばきが定められています。キリスト信仰者に
は、そのさばきの日は恐怖ではなく、喜びに変えられています。イエス・キリストの十字
架による罪の赦しを受け取ったので、すべての罪は赦されており、さばくべき罪はないと
宣言されるからです。だから私たちは声高らかに「私たちの国籍は天にあります」と告白
します。私たちは常に、この世にあっては、旅人であり、寄留者であると告白しているこ
とも大切です。この世に執着せず、この世に依存して縛られるのでもなく、自分の置かれ
た状況を客観的に把握して、主イエスとともに、地上生涯を過ごしていくのです。
私たちは今日、召天者記念礼拝をささげています。先に天に召された信仰の先輩に思い
を向けています。私たちもその日が来れば、この地上生涯を終えます。その日が、天の御
国への凱旋となるのか、公正なさばきとなるのかは、大きな違いです。主イエスを信じて
罪の赦しを受け取った者は、天の御国への凱旋となります。罪の赦しを受け取らなかった
者は、その罪に対する公正なさばきの座に立たされることになります。
永遠の住まいである天に心を向けましょう。そこには愛に富む父なる神がおられます。
私たちの罪のために十字架で死なれたお方、いのちを捨てるほどの愛で愛してくださった
主イエス・キリストがおられます。父なる神と救い主イエス・キリストにお会いする日を
憧れて、地上生涯を歩むのです。
自分はどこに行くことになっているのか。自分はどこに向かって歩んでいるのか。しっ
かりと見据え、確認して歩むことが大事です。
愛する皆様。再度確認しましょう。主イエスが十字架で死なれたのは、私たち罪人を、
その犯した罪のゆえに滅ぼされないように、私たちが犯したあらゆる罪に赦しを備えるた
めです。そうして主イエスを信じる者が、死んで滅びるのではなく、肉体は朽ちても、永
遠を生きるいのちに生かすためです。主イエスを信じる者にとって、死と死後は恐怖では
なくなりました。天の御国に凱旋する喜びと希望に変えられたのです。
旧約時代の信仰者たちは天の故郷に憧れました。新約の時代に生きる私たちは、より強
く天の故郷に憬れます。主イエス・キリストを信じる信仰によって、自分の国籍は天の御
国にあると確信します。天の故郷に憬れつつ、地上生涯を歩み、全うしましょう。主イエ
ス・キリストを信じている者は、さらにその信仰を確かなものにしましょう。まだ信じら
れない方も、ぜひ、自分の救い主としてのイエス・キリストを信じていただきたいと願い、
お勧めします。罪の赦しを受け取るとき、天の故郷に憬れる者となります。




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